詩篇1篇〜2篇「問題に追われているとき」

2013年2月10日

何年か前ですが、健康診断を受けた時、いつもは低い血圧が上がっていることがわかり、驚きました。医者からは、「あなたには、血圧が上がりやすい傾向があるということを知っておいたほうがよいですよ……」と言われ、ショックを受けました。私は何が起きても動じない平静な心 (Serenity) にあこがれていました。牧師として二十四年がたち、すでに還暦を迎えるというのに、ストレスに弱く、いろんなことに心が敏感に反応してしまいます。 “詩篇1篇〜2篇「問題に追われているとき」” の続きを読む

詩篇109篇「恨みから自由になるための祈り」

2012年9月23日

今まで数えきれないほど多くの人々の相談に載ってきましたが、その中で、非常に多いのは、怒りの気持ちの処理の問題です。しかも、それはクリスチャンの場合に特に大きな問題になります。なぜなら、彼らは、「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません」(ローマ12:14)というみことばを知り、かえって、自分に不当な仕打ちをした人を憎んでいる自分を責めてしまうからです。 “詩篇109篇「恨みから自由になるための祈り」” の続きを読む

詩篇91篇「危険に満ちた人生の中で」

2012年9月2日

私たちの人生は、日々、いろんな危険に満ちています。そのような中で、不安な要素を一つひとつ数え上げると、外に出ることさえできなくなるかもしれません。事故で首から下が動かなくなった星野富弘さんは、以下のような詩を、きびしい自然の中で育つ美しい紫色の花を咲かせる高山植物の「おだまき」の絵とともに記しています。 “詩篇91篇「危険に満ちた人生の中で」” の続きを読む

詩篇37篇(私訳)

2012年8月12日

人が自分の利害を超えたことで熱心な働きをしていると、周りの人の中には、ときに、「あの人には隠された動機があるに違いない・・・」などと邪推する人が出てきます。それどころか、「あの人はあの地位を得ようとして・・」などと、勝手に危機感を募らせ、権力闘争を仕掛け、足を引っ張ってくる人がいます。なぜなら、人に裏切られ続けた人は、人の善意を信頼できず、すべてを損得勘定でしか見られないからです。 “詩篇37篇(私訳)” の続きを読む

詩篇44篇22〜26節「圧倒的な勝利者としての確信への道」

2011年10月9日

福島原子力発電所の事故以来、放射能漏れの影響は留まるところを知らないかのようです。みなが心を合わせて祈っているのに、神は沈黙を続けておられます。しかし、ふと、「主よ。なぜ眠っておられるのですか」という祈りを思い起こし、逆説的な慰めを受けました。それは、未曾有の悲惨の中で、神の沈黙に戸惑いながら、なお、神に信頼し続けた多くの信仰の先輩を思い起こしたからです。 “詩篇44篇22〜26節「圧倒的な勝利者としての確信への道」” の続きを読む

詩篇32篇「赦したいと願われる神」

2009年5月17日

子供はしばしば、親に叱られて大泣きした後、まるでそれを忘れたかのように身体全体で喜びを表現するということがあります。その笑顔を見ている親も、「この子は本当に反省しているのかな・・」と疑う前に、何とも可愛くてたまらないという気持ちになります。ダビデにも同じような子供の心がありました。神の前に自分の罪を深く悲しんだと思ったら、その直後に、心からの喜びを表します。そんな彼を、神は喜んでおられたのではないでしょうか。 “詩篇32篇「赦したいと願われる神」” の続きを読む