ヨハネ1章14節「この方を受け入れた人々に与えられた特権」

2021年12月24日 クリスマス・イブ音楽礼拝

ナチスドイツの虐殺収容所アウシュビッツを生き残ったユダヤ教のラビに、ある人が、「あなたはあれほどの残虐を見過ごしておられる神を、まだ信じられるのですか?」と聞いたそうです。するとそのラビは、悲しそうな顔をしながら、静かに一言、「あれほどの悲惨がこの世界にあるのに、あなたは神を信じずに、どうして生きていられるのですか?」と反対に問われたとのことです。 “ヨハネ1章14節「この方を受け入れた人々に与えられた特権」” の続きを読む

ローマ人への手紙8章1-3節、22-28節「御霊のうめきから生まれる新しい創造」

2020年12月24日 クリスマス・イブ音楽礼拝

今、読まれたイエスの御降誕の記事には、「飼葉桶」ということばが3回登場します。第一はマリア自身がイエスを「布にくるんで飼葉桶に寝かせた、宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」と記されます。イエスはまさに居場所のない人の仲間となられたということを意味します。 “ローマ人への手紙8章1-3節、22-28節「御霊のうめきから生まれる新しい創造」” の続きを読む

イザヤ11章1〜10節「神の平和 (シャローム) をもたらす救い主」

2016年12月24日 クリスマス・イヴ礼拝

聖書ではイエスの誕生という重大なことが、驚くほど簡潔に記されています。

「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。

それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」

救い主の誕生の様子は、たったこれだけしか描かれていません。たとえば、しばしば聖誕劇では、ヨセフとマリヤがベツレヘムに着いてすぐに宿屋を捜したけれどもどこも満室でどうにか馬小屋に入れてもらったかのように描かれますが、そのようなことは何も記されていません。 “イザヤ11章1〜10節「神の平和 (シャローム) をもたらす救い主」” の続きを読む

マタイ1章18〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」

2012年12月24日

「親の因果が子に報い・・」というのは、とっても嫌な表現ですが、私たちの生きにくさの一面を言い当てているのかもしれません。たとえば、親から虐待を受けて育った子供は、親になった時、「私は親のようには絶対にならない・・」と願っているのに、同じ過ちを繰り返してしまう・・・ということがあります。依存症も、隔世遺伝すると言われることがあります。それに対して、聖書が語る「罪からの救い」とは、そのような「のろい」の連鎖から解放されることです。人はだれも、親を初めとして、自分の人生の基本的な部分を選ぶことはできませんが、神はそれらすべてを「祝福の基」とすることができる方です。 “マタイ1章18〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」” の続きを読む

イザヤ11章1〜10節「神の平和を完成する救い主」

2011年12月24日 クリスマス・イヴ礼拝

信仰に導かれた二十歳過ぎのとき、僕にとっては、「いつも主にあって喜びなさい」(ピリピ4:4)というみことばがとっても新鮮でした。でも信仰生活が長くなるうちに、それが偽善のように思えてきました。 “イザヤ11章1〜10節「神の平和を完成する救い主」” の続きを読む