ヨシュア23章〜24章「私と私の家とは主 (ヤハウェ) に仕える」

2017年4月2日

林竹治郎が描いた「朝の祈り」という絵があります。1905年第一回文部省美術展に入選し、今も多くのクリスチャンホームの朝の祈りの生活に励ましを与え続けています。お母さんと三人の子供たちが、真剣に神の御前に静まってお祈りしています(聖書に手を置いているのは下宿していた学生で、常に何人かいました)。竹治郎自身はこのときは家族の祈りの風景をスケッチしていたのでしょう。 “ヨシュア23章〜24章「私と私の家とは主 (ヤハウェ) に仕える」” の続きを読む

ヨシュア20章〜22章「神の平和をこの地に実現するために」

2017年3月26日

聖書で最も有名な言葉は、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬を向けなさい」(マタイ3:39)かもしれません。ときに、このみことばが悪用されてクリスチャンホームの子供がいじめに遭うなどと聞いたことがあります。 “ヨシュア20章〜22章「神の平和をこの地に実現するために」” の続きを読む

ヨシュア12章〜19章「神から与えられた責任を果たす喜び」

2017年3月19日

私は以前、もっと普通の人間でありたいと思っていた時期があります。しかし、村上春樹の小説の中に、「私は普通の人間ですと自己申告するような人間を信用してはいけない」と引用されている言葉を見て、笑ってしまいました。それは、「たとえ凡庸であっても、代わりはきかない」という意味のようです。 “ヨシュア12章〜19章「神から与えられた責任を果たす喜び」” の続きを読む

ヨシュア10章〜11章「神の戦いの昔と今…小羊の王国」

2017年3月5日

詩篇46篇で、「万軍の主(ヤハウェ)はわれらとともにおられる」と繰り返されますが、それがどれほど大きな恵みかを忘れがちかもしれません。それは、地のどんな富、権力、軍隊も、神の御前には吹けば飛ぶような存在であることを意味します。神の敵がどれほど協力して、神の民に襲いかかって来ても、敵がまとまってくれていること自体が、戦いを短時間で終わらせる恵みの機会となっています。 “ヨシュア10章〜11章「神の戦いの昔と今…小羊の王国」” の続きを読む

ヨシュア7章〜9章「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」

2017年2月19日

「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」という近代史の本が以前、ベストセラーになりました。昔は、一部の軍閥が勝手に戦争を引き起こしたという見方が大勢を占めましたが、最近はもっと大局的な視点が重視されるようになってきました。たとえば、日米開戦時の工業生産高では米国は日本の10倍にも達していました。しかし、そのような無謀な戦争に勝利を期待したのは、その36年前の日露戦争では日本が8倍の国家予算を持つロシアに勝利を収めたことが最も大きな理由になっていました。 “ヨシュア7章〜9章「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」” の続きを読む

ヨシュア4章〜6章「新しい創造を、記念する」

2017年2月5日

私たちはみな、どこかで神のすばらしいみわざを体験しているからこそ、イエスにつながっているのではないでしょうか。

しかし、ときに、「あの頃は、神の臨在を身近に感じていたのに、今は、私の心は渇いたままだ・・・どうしたら、信仰の喜びを回復できるだろうか?」と悩むことがあるかもしれません。その際、その「体験の記憶」を繰り返し思い起こし、「新しい創造」として「記念」することこそ神の命令です。 “ヨシュア4章〜6章「新しい創造を、記念する」” の続きを読む

ヨシュア1章〜3章「恐れるな。わたしがあなたとともにあるから」

2017年1月29日

「ヨシュア」とは、「主(ヤハウェ)は救い」という意味で、そのギリシャ語名が「イエス」です。神が約束の地を占領させるためにヨシュアを立てたように、神はイエスを立てて私たちを世界に遣わされます“ヨシュア1章〜3章「恐れるな。わたしがあなたとともにあるから」” の続きを読む