イザヤ66章15~24節「神が創造してくださる礼拝の完成」

2024年4月7日

預言者イザヤは、イスラエル王国が圧倒的な大国から攻撃を受けるという中で、人間的な解決を求める前に、何よりも神の前に静まり、神に助けを求めることを優先しなければならないと繰り返し強調しています。 “イザヤ66章15~24節「神が創造してくださる礼拝の完成」” の続きを読む

イザヤ66章1〜14節「父性的であるとともに母性的である神の愛」

2024年3月17日

イザヤ66章10–14節は、キリスト教に対する偏見を決定的に砕く預言のようにも思えます。母親が大好きな僕は、「あなたがたは乳を飲み、脇に抱かれ、膝の上でかわいがられる」という「新しいエルサレム」で実現する「救い」の描写に、何とも言えない平安(シャローム)を感じます。 “イザヤ66章1〜14節「父性的であるとともに母性的である神の愛」” の続きを読む

イザヤ65章16~25節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」

2024年3月3日

私たちは今、「すぐに結果を出さなければ……」というプレッシャーの世の中に置かれています。私自身もかつてそのような職場に身を置き、その発想を身に染み込ませて牧師になりましたが、そのために信仰生活が苦しくなった時期があります。なぜなら、あまりにも結果が見えなさ過ぎるからです。それは目に見える教会の成長のことばかりではありません。「これだけ神のみことばに親しんでいるのに、どうしてこうも僕は成長できないのだろう……」と思ってしまうことがあります。 “イザヤ65章16~25節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」” の続きを読む

イザヤ63章18節~65章16節「アーメン(真実)の神によって祝福される歩み」

2024年2月18日

世の人々にとってのクリスチャン生活には、「天国に憧れながら、この世の不条理を忍び、悔しいことがあっても微笑みながら生きる」というイメージがあるかもしれません。しかし、そんな生き方では、息が詰まってしまいます。 “イザヤ63章18節~65章16節「アーメン(真実)の神によって祝福される歩み」” の続きを読む

イザヤ62章4節~63章17節「諦めることなく、主 (ヤハウェ) に訴える」

2024年1月28日

「あきらめ」とは「明きらむ」から生まれた言葉で、そこには「心を明るく楽しくする」という意味があったようです。依存症の原因に、自分では変えようのない過去への後悔や恨みがあると言われますが、目の前の現実を明らかに見るときに、断念すべきことがわかります。 “イザヤ62章4節~63章17節「諦めることなく、主 (ヤハウェ) に訴える」” の続きを読む

明けましておめでとうございます〜イザヤ51章2、3節——神の選びの原点

 明けましておめでとうございます。2024年元旦は月曜日ということで新年の初日の礼拝をお休みしておりますが、毎年のように教会堂にきて、お一人おひとりのこと覚えてお祈りしておりました。 “明けましておめでとうございます〜イザヤ51章2、3節——神の選びの原点” の続きを読む

イザヤ60章10節〜62章3節「神の救いがもたらす大逆転」

2023年12月31日

多くの人々は、「大切な何かを失うこと」を恐れて生きています。この「恐れ」は豊かになるほど大きくなります。福音を聞き、それに感動しながらも、何か大切なものを失うことを恐れて決断できない人もいます。これは江戸時代からのキリシタン迫害のトラウマが日本人全体の心に深く染み込んでいるためかもしれません。 “イザヤ60章10節〜62章3節「神の救いがもたらす大逆転」” の続きを読む

イザヤ59章4節~60章9節「暗闇の中に輝く主 (ヤハウェ) の栄光」

2023年12月17日

第二次大戦中、ヒトラーは「ユダヤ人問題に対する最終解決」を目指しましたが、現在のイスラエルはハマスというテロ組織の「最終解決」を急いで、世界から孤立してはいないでしょうか。 “イザヤ59章4節~60章9節「暗闇の中に輝く主 (ヤハウェ) の栄光」” の続きを読む