Ⅰサムエル27章〜31章「あなたの明日を支配する主」

2017年11月12日

目の前の問題にどう対処して良いか分からず、不安に圧倒される人がいます。また、自分の過去の誤った選択を後悔し続ける人がいます。しかし、「キリストのうちにある生活」にあっては、誤った選択というのはないのかとも思います。 “Ⅰサムエル27章〜31章「あなたの明日を支配する主」” の続きを読む

Ⅰサムエル25章〜26章「神の怒りにゆだねなさい」

2017年11月5日

人から不当なことばをかけられ、怒りのあまりひどい言葉を返したことがないでしょうか。人の悪には驚くほどの伝染力があります。ひどい仕打ちを受けた方が、「神様の目は節穴ではないから……」と言って、争いから身を引きました。やがて神はその立場を逆転させてくださいました。 “Ⅰサムエル25章〜26章「神の怒りにゆだねなさい」” の続きを読む

Ⅰサムエル22章〜24章「恐れを祈りに変えたダビデ」

2017年10月29日

プロテスタント教会にとって、10月31日はハロウィンの日ではなく、宗教改革記念日です。マルティン・ルターは五百年前のこの日に、ウィッテンベルグの城教会の門に、免罪符に抗議する95箇条の提題を張り出したと言われます。 “Ⅰサムエル22章〜24章「恐れを祈りに変えたダビデ」” の続きを読む

Ⅰサムエル19章〜21章「信仰と友情」

2017年10月8日

フーストン先生の本の原題は、「the Christian Life East and West(東洋と西洋でのクリスチャン生活)」ですが、そこで改めて感じたのは、人と人との関係の築かれ方の違いです。西洋とはギリシャ・ローマ文明の影響下にある文化圏ですが、その古典では、友情に関しての様々な物語や教えがあります。一方、東洋では、儒教文化の影響下で、個人と個人の友情よりも主従関係の絆で社会の秩序が守られるという価値観がありました。 “Ⅰサムエル19章〜21章「信仰と友情」” の続きを読む

Ⅰサムエル16章〜18章「おびえるサウルと主にまっすぐなダビデ」

2017年10月1日

「神経科学者たちは、恐怖こそが私たちの人間としての基礎的感情であり、脳の視床の下部で感じられると言います。多くの独裁者たちは卓越した力を身につけ、力の神として支配することを狙っています。しかし、そうすればするだけ、彼ら自身が恐怖にのみ込まれて行くのです」とフーストン氏は記しています(「キリストのうちにある生活」P67)。 “Ⅰサムエル16章〜18章「おびえるサウルと主にまっすぐなダビデ」” の続きを読む

Ⅰサムエル13章〜15章「人の顔色を気にしたサウルの悲劇」

2017年9月10日

日本では「その場の空気を読む」ことが、社会での成功の秘訣とも言われます。しかし、空気は一夜にして変わります。大戦前に鬼畜米英と言っていた世論は、米国への感謝へと変わりました。 “Ⅰサムエル13章〜15章「人の顔色を気にしたサウルの悲劇」” の続きを読む

Ⅰサムエル8章〜12章「主(ヤハウェ)こそが王である」

2017年9月3日

核兵器の拡散に対して私たちは誰もが反対することでしょう。しかし、米国やロシアや中国に保有が認められて、他の国がそれに対抗しようとすると、それは一方的な悪であるかのように非難されるというのも不合理とも言えましょう。ただ、そこで問われているのは、すでに核兵器という悪が存在している中で、どのようにそれを制御し得るかという知恵です。そこで問われるのは、今ここでの判断と共に、永遠の平和を求めるという動機です。 “Ⅰサムエル8章〜12章「主(ヤハウェ)こそが王である」” の続きを読む

Ⅰサムエル4章〜7章「礼拝の場を壊して礼拝を建て上げる神」

2017年8月20日

どの宗教にも荘厳な儀式がつきものです。ただ、そこで語られている言葉が普通の人には理解できないということが不思議です。

たとえば、仏教の最も有名な経典の般若心経では、「色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是」と唱和されます。そこでは、形あるもの全ては実体がなく、実体がないものが形を持っており、それは人の感覚、想像、行動、認識の全てに当てはまることであり、そのように移ろい行くものへの囚われから心が自由にされるなら、毎日を平安のうちに暮らすことができるという、生活の知恵のことばです。 “Ⅰサムエル4章〜7章「礼拝の場を壊して礼拝を建て上げる神」” の続きを読む

Ⅰサムエル1章〜3章「悩みから生まれた驚くべき救い」

2017年8月6日

多くの人は、自分の心の平安(シャローム)を求めて、信仰に入ると言われます。それは、自分の回りに何が起きても、動じないように自分の心を制することができる方法とも言えましょう。 “Ⅰサムエル1章〜3章「悩みから生まれた驚くべき救い」” の続きを読む