ホセア13章〜14章「いのちの喜びの復活」

2013年2月3日

ポール・トゥルニエというスイスのクリスチャンの精神科医は、あるカトリック教会の司祭が、「私たちの教会に、意気消沈していて一人前の大人になり切っていない人が、これほどたくさんいるのは、いったいどこに原因があるのでしょう」と尋ねに来たとき、自分たちの教会も「過半数は生気がなく、もの悲しげで疲れた心の持ち主によって占められています」と答えざるを得ませんでした。 “ホセア13章〜14章「いのちの喜びの復活」” の続きを読む

ホセア11章〜12章「哀れみに胸を熱くする神」

2013年1月20日

どの宗教においても、この世で犯した罪に応じて地獄のさばきを受けるという教えがあります。日本でも、嘘をついたら舌を抜かれる、人を殺したら何度も生き返りながら鬼に食われる、人を貶めたら崖から落とされて針の山で突き刺される、放火をしたら何度も火あぶりの刑で殺される、血も涙もない冷酷な人は血の池地獄に落とされる、などという地獄絵図が描かれて、人々に善行を促しました。 “ホセア11章〜12章「哀れみに胸を熱くする神」” の続きを読む

ホセア9章〜10章「正義の種を蒔き、耕地を開拓せよ」

2012年12月30日

この世界では、「下手に出ると付け上がり、強気に出ると相手が折れてくれる」などということがあります。また、話を通すために権力者の力を借りるなどということも有効です。経済で政府の監督権などが強くなると、補助金を引き出す能力が重宝されるようなことが起きます。 “ホセア9章〜10章「正義の種を蒔き、耕地を開拓せよ」” の続きを読む

ホセア6章4節〜8章14節「神が喜ぶ誠実さとは?」

2012年12月1日

多くの日本人は熱すぎる信仰に恐怖のようなものを感じます。それは自分の確信に熱くなりすぎて、他の人の意見が聞けなくなり、独善的になるからです。そして、その恐れは根拠のないことではありません。 “ホセア6章4節〜8章14節「神が喜ぶ誠実さとは?」” の続きを読む

ホセア4章1節〜6章3節「主を知ることを切に追い求めよう」

2012年11月18日

私は昔、浄土真宗に興味を持ったことがあります。その開祖親鸞は、自分の心の醜さや弱さに正面から向き合った結果、自分の修行の力によって悟りを開くことは無理であるということに気づき、ただ御仏のあわれみにすがるしかないという結論に達しました。その際、どんな罪人をも救ってくださる方が、阿弥陀仏として紹介されます。しかし、その方は歴史上の人物としては記録されてはいませんし、どのような方であるかもほとんど分かりません。浄土真宗では阿弥陀仏の実在性よりも、私たちのうちに救いを求める心が芽生えていること自体が大切なのだと説かれます。 “ホセア4章1節〜6章3節「主を知ることを切に追い求めよう」” の続きを読む