反ユダヤ主義とイスラエル建国〜申命記30章4–6節

 イスラエル軍によるガザ支配に関して全世界で、イスラエルの暴力への批判が激しくなっています。残念ながらその一部が歴史的な反ユダヤ主義的な動きになっている部分もあります。
 ガザ地区に住む人々のことを思うと本当に心が痛みます。そして、イスラエル軍に自制を求めるのは当然のことです。
 また同時に、昨年10月7日のハマスのテロに対する正しいさばきがなされ、人質の一日も早い解放を祈って行きたいと思います。 “反ユダヤ主義とイスラエル建国〜申命記30章4–6節” の続きを読む

奴隷の人格を認めていた聖書の画期性〜申命記5章、ガラテヤ3章28節

 日曜夜のNHK大河ドラマで、源氏物語の作者 紫式部の生涯が描かれ始めました。源氏物語をお読みになっておられる方がおられたら、現代語訳がどれが良いかお教えいただければ幸いです。
 それにしても日本が誇る世界最古の長編恋愛小説と呼ばれていますが、これほどに次から次へと有名作家が現代語訳に挑戦し続けるというのは画期的なことです。どの国でも、神話や戦記ものの古典はありますが、日本はそれが恋愛小説であるというのは、何とも微笑ましい現実とも言えるかもしれません。 “奴隷の人格を認めていた聖書の画期性〜申命記5章、ガラテヤ3章28節” の続きを読む

「さすらいのアラム人」どうしの争い? 〜申命記26章5–9節

連日、ガザ地区における悲惨な映像が映されています。それを見ながら、「イスラエルは何と野蛮な国なのだろう……彼らの軍事力を抑えなければ、パレスチナ難民の将来はない」と思って当然かと思います。 “「さすらいのアラム人」どうしの争い? 〜申命記26章5–9節” の続きを読む

聖書預言の多様な解釈〜申命記30章 —— ダニエル9章から大患難期?

昨日から隔週で四回にわたり、聖書の終末預言に関して話しています。理由は、今年の初めの日本福音自由協議会総会で、信仰箇条に「千年王国」ということばを掲載するのを差し控えると決めたことがあります。ただそれを採用するかどうかは、各個教会の判断に任されるということで、それぞれの教会員に大きな課題がもたらされたことになります。 “聖書預言の多様な解釈〜申命記30章 —— ダニエル9章から大患難期?” の続きを読む

日本にとってのワールドカップの終わり〜申命記32章39節

サッカーのクロアチア戦は、本当にすばらしい戦いだったと思いますが、最後のPK戦で敗れたというのは、なんとも寂しいですね。多くの人は、「PK戦になったら運のようなものだ……」と言います。だからこそ、日本チームは必死に、延長戦を含めた120分の試合の中で勝敗をつけようと必死に頑張ったのだと思います。 “日本にとってのワールドカップの終わり〜申命記32章39節” の続きを読む

申命記31章〜34章「自業自得の苦しみにあった後にある希望」

2017年1月22日

現代は、聖書が記された三千数百年前には想像もつかなかったような驚くべき豊かさと便利さの中にあります。しかし、何と多くの人々が孤独と失望と恐怖の中に生きていることでしょう。物質的に満ち足りることは幸福の保証にはなりません。 “申命記31章〜34章「自業自得の苦しみにあった後にある希望」” の続きを読む

申命記27章〜30章「のろいの誓いから祝福の契約へ」

2016年12月11日

星野富広さんは、身体が不自由になり、イエスに出会うという過程での心境の変化を、「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」と簡潔に描いています。

意識が自分に向いすぎる人は苦しくなります。聖書に記された神の救いのご計画に心を向け、その中に自分を置くなら、人はいつでも幸せを味わうことができます。 “申命記27章〜30章「のろいの誓いから祝福の契約へ」” の続きを読む

申命記23章〜26章「主の聖なる民となるために」

2016年12月4日

三千数百年前の遠い国の細かな教えを学ぶことにどんな意味があるのかと、ふと思われることがあります。しかし、当時の文化背景を理解しながらここを読むと、知らずに微笑が湧いてきます。

現代は、普遍のドグマ(教義)よりも個別が重んじられる時代と言われますが、その原点が既に記されています。 “申命記23章〜26章「主の聖なる民となるために」” の続きを読む

申命記19章〜22章「地に足の着いた愛の交わり」

2016年11月20日

私たちの生きている世界では、「これは絶対にあってはならない」と思える悲劇や不条理が必ず起きます。日本ではそこで、あらゆる問題の可能性を「想定」しながら、未然に備えることが求められがちですが、それでは「息が詰まる」ことになりかねないばかりか、「想定外」という事態への対処ができなくなります。 “申命記19章〜22章「地に足の着いた愛の交わり」” の続きを読む

申命記16章18節〜18章22節「あなたが従うべき権威とは」

2016年11月6日

「幸せは持つものではなく、感じるものだ」と言われます。フーストン師は、「幸福とは、痛みのないことでも享楽にふけることでもなく、鍛練、自己洞察、他者への貢献、個人的な充足感、安心感、心の平安などという特定の生き方から生まれるです」と定義しています。 “申命記16章18節〜18章22節「あなたが従うべき権威とは」” の続きを読む