反ユダヤ主義とイスラエル建国〜申命記30章4–6節

 イスラエル軍によるガザ支配に関して全世界で、イスラエルの暴力への批判が激しくなっています。残念ながらその一部が歴史的な反ユダヤ主義的な動きになっている部分もあります。
 ガザ地区に住む人々のことを思うと本当に心が痛みます。そして、イスラエル軍に自制を求めるのは当然のことです。
 また同時に、昨年10月7日のハマスのテロに対する正しいさばきがなされ、人質の一日も早い解放を祈って行きたいと思います。

 しばしば、報道では、第二次大戦直後のイスラエル建国から、イスラエルの圧倒的な力と、パレスチナ難民の無力さが報じられますが、現在のイスラエルを理解するには19世紀後半のロシアや東ヨーロッパ、また西ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の激しさを見る必要があります。

 多くの人は「屋根の上のバイオリン弾き」の話を知っています。それは現在のウクライナ付近で、ユダヤ人がそれまでも住まいを奪われ、強制移住させられる話です。
 また、フランスでもドレフュスというユダヤ人将校が無実の罪で終身刑の判決を受け、後に無罪とされたというスキャンダルがありました
 
 私たちはナチスドイツのユダヤ人迫害の残虐さを聞きますが、これも当時のドイツ国民全般に広がっていた反ユダヤ主義的な雰囲気があってはじめてナチスがそのような政策を実行できたという歴史的な流れがあります。

 19世紀末に、そのような全世界的な反ユダヤ主義運動の広がりの中から、 を中心としたシオニズム運動が起きます。
 そのモットーは「土地なき民に、民なき土地を」というものでした。

 現在のパレスチナと呼ばれる地域の大部分は、基本的に、荒れ地ばかりで農業が成り立つような地域ではありませんでした。そこはオスマントルコの支配地ではありましたが、私たちが思うような民族の住む地ではありませんでした。ですから当時のパレスチナは「住民のいない土地」に近い状態でした。

 しかも19世紀まではその地にユダヤ人が住んでいなかったかのような誤解がありますが、1890年のエルサレムの推定人口は42,000人でそのうちユダヤ人が25,000人、イスラム教徒が9,000人、キリスト教徒が8,000人であったという統計もあるとのことです。

 少なくとも2000年前にエルサレムからユダヤ人がすべて跡形もなく追い出されたように誤解されがちですが、ユダヤ人は追い出されても追い出されてもエルサレムに住み続けて来ています。
 ですからユダヤ人がパレスチナ人を追い出して国を建てたというのはあまりにも一方的な見方です。

 とにかく19世紀後半の全世界的なユダヤ人迫害の中で、支配的な民族がいないパレスチナの地域に、ユダヤ人が自分たちの国を建てようという運動が盛んになったという経緯を思い起こす必要があります。
 またそのときに彼らは何と、実質的に新しい共通言語まで作り出しました。現在のイスラエルの公用語のヘブライ語は、それまで礼拝の祈りでしか使われていなかったことばでしたが、それを日常語に作り変えるという画期的なことがなされました。1908年に全く新しいへブライ語辞典が刊行され、現在の日常ヘブライ語が生まれました。
 また多くのユダヤ人が集団農場を広げ、荒れ地を開拓し、全世界からのユダヤ人の移住の受け入れ先を広げて行きました。そのような地道な努力が前提となって1948年の建国があったのであったという歴史を忘れてはなりません。
 そして、ユダヤ人が荒れ地を開拓し、その地に経済的な安定が生まれた結果として、そこに吸い寄せられるように、近隣のアラブ諸国の住民が吸い寄せられてきたという経緯があります。

 もちろん、そこには現在のパレスチナ難民の起源となる人々が住んでいたことも確かです。しかし、当初のシオニズム運動には、パレスチナの地域から先住民を追い出してユダヤ人の入植地を作ろうなどという計画はなかったはずです。
 異なった民族、また異なった宗教の民が共存できる形をみなが望んで移住が進んでい行きました。というよりそれ以外の選択肢はありませんでした。

 何度も書いておりますように、現在のパレスチナ難民の問題は、イスラエル建国に対して、周辺のアラブ諸国が一斉に攻撃をしかけ、イスラエルという国を抹殺しようとした副産物として生まれています。
 もともと ヨルダン川西岸のパレスチナ人は、ヨルダンという国が、現在のガザ地区はエジプトが管理するという合意ができていました。
 周辺諸国が責任を放棄する中で現在の難民問題が生まれています。

 なお、シオニズム運動はもともとは世俗的な流れでしたが、それに聖書的な解釈がつながるようにして、ユダヤ国家が成立してゆくという経緯をも思い起こす必要があります。ただ今でも超保守的なユダヤ人は、現在のイスラエルと聖書の預言を結びつけることを拒否します。なぜなら現在のイスラエルはあくまでも世俗的な国家だからです。

 しかしながら、イスラエル建国を聖書の預言の預言の成就と見るクリスチャンも北米を中心に数多くいます。
 その中心的テキストは申命記30章4、5節には次のように記されています

4 たとえ、あなたが天の果てに追いやられていても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻される。
5 あなたの神、主はあなたの先祖が所有していた地にあなたを導き入れ、あなたはそれを所有する。主はあなたを幸せにし、先祖たちよりもその数を増やされる。

 ただ、その直後にはキリストが聖霊を送って私たちの心を内側から作り変えてくださる約束が次のように記されています

あなたの神、主はあなたの心とあなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、主を愛し、そしてあなたが生きるようにされる。
申命記30:6

 つまり、イスラエルの民が全世界から約束の地に連れ戻されるという約束と、聖霊が与えられるという約束がセットに記されているのです。
 ですから、異邦人を含む神の民全体に対する祝福を横に置いて、イスラエル建国だけを選んで預言の成就と見ることは、聖書全体からは難しい解釈かとは思います。
 ただ、イスラエル建国を預言の成就と見る根拠も完全には否定できなという面もあるかもしれません。
 どちらにしても、ユダヤ人と呼ばれるイスラエルの民は、今も昔も、創造主なる神にとって特別な存在です。ですから私たちは、繰り返し歴史に登場してきた反ユダヤ主義に反対し、イスラエルの祝福を祈り続ける必要がありましょう。