「さすらいのアラム人」どうしの争い? 〜申命記26章5–9節

連日、ガザ地区における悲惨な映像が映されています。それを見ながら、「イスラエルは何と野蛮な国なのだろう……彼らの軍事力を抑えなければ、パレスチナ難民の将来はない」と思って当然かと思います。

そのような中で、イスラエルという国は、国際政治の力と力の均衡の中で、誤って人為的に、またある種の原理主義的な信仰によって作られた国であるかのような論調まで出てきます。しかし、イスラエルの地にユダヤ人が戻って国を建設したいという運動は、今から150年以上前の1880年代初頭から明確な動きとなっていました。特にヨーロッパ東部での居場所を失った多くのユダヤ人がイスラエルの地に戻ってきました。彼らはオスマントルコ帝国の不在地主から土地を購入し、集団農場を建て上げ、今まで礼拝の時にしか使っていなかったヘブライ語を敢えて公用語にして、ユダヤ人共同体を立ち上げました。そして、やがてエゼキエル書3章15節に記されたバビロン捕囚の際の寄留地テル・アビブという名の都市を中心とした国を、アラブ人と共存しつつ建て上げようとして行きました。

イスラエルという国は、もともと、政治や武力によって立てられた国ではありません。また、パレスチナ人を追い出して立てた国でもありません。行き場を無くした流浪の民が、ダビデの地に自分たちの居場所を作ろうと願った結果です。

申命記26章5–9節に、モーセがイスラエルの民に、彼らが約束の地で安住できた時に告白すべき言葉が記されています。「私の父はさすらいのアラム人でしたが、わずかな人数を連れてエジプトに下り、そこに寄留しました……しかし、エジプト人は私たちを虐待し、苦しめ、私たちに激しい労働を課しました。私たちが……父祖の神、主 (ヤハウェ) に叫ぶと……主は力強い御手……によって私たちをエジプトから導き出し……乳と水が流れる地を……私たちに与えてくださいました」。

そこには自分たちが「さすらいのアラム人」の一つの小さな民族に過ぎず、主 (ヤハウェ) の一方的なあわれみがなければ、イスラエルという国が誕生しなかったという告白があります。しかも、現代のパレスチナ難民は、「さすらいのアラム人」と呼ばれた人々の末裔と言えるかもしれません(アラブ人の場合は、ユダヤ人と異なり、民族を超えた結婚がイスラムの中で推奨されてきたためルーツを辿ることは困難)。

そして、それは現在のイスラエルにも当てはまります。イスラエルの建国の父祖たちは、最初、自分たちの方が少数派であったため、そこに住むパレスチナ人との共存共栄しか願っていませんでいませんでした。現在のパレスチナ難民と言われる人々も、父祖伝来の土地を守って来たというよりも、オスマントルコ帝国の中で、「さすらい人」として、日々の生活を守って来たに過ぎません。たぶん、当初は、どちらに先住権があるかなどという意識もなかったことでしょう。彼らは最初、互いのカルチャーの違いを受け入れ合い、適度な距離感で、大国の狭間で肩を寄せ合って生きていたのではないでしょうか……

ただ、ユダヤ人にもパレスチナ人にも共通することは「さすらい人」であるという点です。この問題に関して学んだ11歳のユダヤ人少年が次のように応答したということです

「どちらも正しいが、どちらもほかに行くところがない。こんな感じでいい」と答えたそうです。教えた人は、「君は……この紛争の核心を理解しているね」と感動したとのことです。

ダニエル・ソカッチ著「イスラエル……人類史上最もやっかいな問題」P46

実は、現在のパレスチナ難民の問題を作り出している直接的な原因は、1948のイスラエル建国直後、シリア、エジプト、イラクを始めとするアラブ諸国が、イスラエルという国の成立を認めず、ユダヤ人をその地から追い出そうと総攻撃を仕掛けてきたことに始まります。イスラエルは奇跡的にこのアラブ人の攻撃を退け、国を守ることができました。その後、アラブ諸国は何度にも渡って、イスラエルという国を消滅させようと攻撃を仕掛け、そのたびに、イスラエルが勝って、占領地を広げます。そして、そのたびにパレスチナ難民が生まれました。

つまり、本来、共存すべき「さすらい人」が、「アラブの大義」のような面目の犠牲として、戦わざるを得なくなっているのです。しかも、そこにはユダヤ人のための理想的な国家の樹立というシオニズム運動に刺激された形で、パレスチナ人の国家樹立という民族主義が生まれて行きます。それがなければパレスチナに住んでいた人々の間に、民族国家の成立を望むような一体感は生まれ得なかったはずです。

10月7日に起きたハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃に関して、あまりにも悲惨な映像なので、日本ではほとんど見ることができませんが、アラブ人との和解を切に願い続けている多くのイスラエル人にとっても驚くほどショッキングなことだったようです。ホロコースト以来の悲劇という言葉は、多くのイスラエルの民にとって実感を伴ったことばだったようです。ある若いハマスの兵士は、「俺はユダヤ人を十人も殺した、俺は英雄になった」と両親に叫んでいたとのことです。

ハマスの最大の問題は、イスラエルという国家を全否定して、ユダヤ人をその地から一人残らず追い出して、イスラム国家を建てることを目指していることにあります(ただ、それが多くのパレスチナ難民の悲願ではないはずです)。上記のような極めて合法的に平和的に始まったユダヤ人共同体をせん滅することを正義とするテロ集団が、イランの後押しを受けて、存在し続けていること自体が、イスラエルの民全体の目に見える脅威となってしまいました。

最近では変わってきていますが、多くのアラブ諸国は、ついこの前まで、イスラエルという国と地図上から無くすことを大義としていました。そのために挑んだ戦争によって、パレスチナ人がイスラエルの占領下におかれることになっています。アラブ人たちは、それを全部、イスラエルの民の責任に転嫁しています。しかし、イスラエルにとっては常に、自分たちの存在自体を否定する国々やテロ集団に囲まれていますから、すべての占領地が戦いの前線になってしまいます。

もちろん、イスラエルの多くの人々は、同じ「さすらいのアラム人」として、パレスチナ人との共存共栄を願ってきました。しかし、上記のような経緯の中で、パレスチナ人、イスラエル人双方の間で、いわゆる武闘派が力を持つようになります。残念ながら、これも歴史の常です。民族どうしの争いになるときに、多くの場合、双方の武闘派が力をもって、互いを滅ぼしあってしまいます。

多くの日本人にとって、国境が次々と変わるという世界史の流れは、実感として理解しがたいものでしょう。どちらに先住権があるかという水掛け論ではなく、アブラハム以来、この地は「さすらいのアラム人」に与えられた地であって、そこには現在のパレスチナ人も含まれるということを心に留めたいと思います。

そして、ユダヤ人も現在のパレスチナ難民も「どちらも、ほかに行くところがない民」であることは共通しています。

そして、そのように居場所がない民を作ったのは、世界中の責任といえましょう。だからこそ、これは一地域の問題ではなく、世界全体の問題として注目されるべきことです。

「ほかに行くところがない民」どうしの争いを作ってしまっている世界があります。そして、そのような現実は、今、身近にもあるのではないでしょうか……価値観がますます二極化する中で、居場所がない人が、どんどん増えているような気がします。