マルコ14章12〜26節「キリストのからだと契約の血を受ける幸い」

2013年1月6日

イスラエルの民が繰り返し思い越すように命じられたのは出エジプトの出来事、神が彼らをエジプトの国、奴隷の家から連れ出してくださったことで、それこそ旧約聖書の中心テーマです。過越の祭りはそのためにありました。クリスチャンが思い起こすことはキリストの十字架の贖いです。それこそ新約聖書の中心テーマです。聖餐式はそのためにあります。
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マルコ14章1〜11節「福音を生きたひとりの女」

2012年12月9日

故田中角栄氏が「政治は数であり、数は力、力は金だ」と言われたことが、金権政治の哲学と批判されてきましたが、何の既得権益も持たない人が社会に影響力を発揮しようとするときに、このことばは極めて現実的な政治哲学とも言えましょう。私たちもある人の功績をたたえる時、その人が成し遂げた何かを語ります。そして、何かを成し遂げた人は、お金や力や人を使うことに長けている場合がほとんどです。
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マルコ13章24〜37節「世界の終わりと思える中で」

2012年11月25日

マルコの福音書13章は、しばしば世界の終わりに関する預言として理解されてきました。しかし、文脈から明らかなように、直接的なテーマはエルサレム神殿の崩壊に関することです。もちろん、これをキリストの再臨に関する教えと理解しても現代への適用は、基本的に変わりはしません。そのことを宗教改革者マルティン・ルターは、「たとい世界が明日滅びると分かったとしても、それでも私は今日、りんごの木を植えるだろう」と言いました。 “マルコ13章24〜37節「世界の終わりと思える中で」” の続きを読む

マルコ12章35〜44節「神の救いはあらゆる常識を超えている」

2012年10月28日

イエスの時代の宗教指導者たちは、一様に、「神の国」の実現を待ち望んでいました。それは目に見えるダビデ王国の再興のときでした。律法学者たちは指導者たちの中でも、特に、目に見えない神のご支配や復活のいのちということに目を向けていました。ただ、その際、主を愛する者に主は「祝福」を与え、主の御声に従わない者には「のろい」が与えられるという趣旨の教えを、あまりにも短絡的にとらえていました。 “マルコ12章35〜44節「神の救いはあらゆる常識を超えている」” の続きを読む

マルコ12章18〜34節「原点に立ち返る」

2012年10月7日

広島の平和公園の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい。もう過ちは、繰り返しませぬから」と記されています。これは、まさに日本語らしい文章で、過ちを繰り返さないと誓っているのが誰かがぼかされている文章とも言われます。しかし、それはひとりひとりが静かに、戦争の原点に立ち返るきっかけを与える名文ではないでしょうか。 “マルコ12章18〜34節「原点に立ち返る」” の続きを読む

マルコ12章13〜17節「あれか、これか、を超えた神の視点」

2012年9月16日

私たちの世界ではしばしば、明確な対立軸を作りながら人々の心をまとめて権力を掌握し、変革を成し遂げるという手法が用いられます。しかし、根底に争いと憎しみを駆り立てる論理があることは次の問題を生み出す種となります。 “マルコ12章13〜17節「あれか、これか、を超えた神の視点」” の続きを読む

マルコ12章1〜12節「真の王を忘れた国の悲劇」

2012年8月19日

すべての国は、内側から滅びると言われます。日本が第二次大戦の始めた無謀さも確かに問題なのですが、誰も目にも敗北が明らかになりながら、戦争を終結させる指導力が日本の政治になかったということが、東京大空襲ばかりか二度の原爆投下を招いた原因とも言えましょう。誰のために政治権力を与えられているかを忘れた指導者が国を治めていた悲劇です。 “マルコ12章1〜12節「真の王を忘れた国の悲劇」” の続きを読む

マルコ11章19〜33節「神殿を離れた信仰の始まり」

2012年8月5日

イエスはエルサレム神殿を指して、「すべての民の祈りの家」と呼ばれましたが、それと同時に、神殿の崩壊を告げました。そして、それから40年もたたない紀元70年に、地上のエルサレム神殿は廃墟とされ、今に至っています。そして、「すべての民の祈りの家」としての教会が全世界に広がっています。 “マルコ11章19〜33節「神殿を離れた信仰の始まり」” の続きを読む

マルコ11章11〜21節「すべての民の祈りの家として」

2012年7月22日

米国では昨年、繁栄の神学を提唱していたロバート・シューラー師が導いたクリスタル・カテドラルが財政破たんし売却されることが話題になりました。また、ヨーロッパでも歴史的な教会堂が売りに出されたり、コミュニティーセンターに変わったりする例が見られます。 “マルコ11章11〜21節「すべての民の祈りの家として」” の続きを読む