マルコ11章11〜21節「すべての民の祈りの家として」

2012年7月22日

米国では昨年、繁栄の神学を提唱していたロバート・シューラー師が導いたクリスタル・カテドラルが財政破たんし売却されることが話題になりました。また、ヨーロッパでも歴史的な教会堂が売りに出されたり、コミュニティーセンターに変わったりする例が見られます。

教会は建物ではないというのは私たちの常識ですが、では、教会堂とはどのように定義できるのでしょう。イエスはそれを「すべての民の祈りの家」と呼んでくださるのではないでしょうか。

教会が「祈りの家」であることを止めた時、それはこの世で競売にかけられる建物の一つに過ぎなくなります。

1.「葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えた」

本日の箇所では、イエスがエルサレム神殿の中から商売人を追い出したという宮清めの記事が、いちじくの木がのろわれて枯れたという記事にはさまるように記されています。多くの人々は、お腹を空かせたイエスが実のないいちじくの木に腹を立てて、その木を枯らしてしまったかのように見えるこの記事にとまどいを覚えます。しかし、それは前後関係を理解していないことから生まれる誤解です。

いちじくの木のことは、イエスがacted parable(演出したたとえ話)としてエルサレム神殿に対する神のさばきを弟子たちにわからせようとするためでした。

イエスはエルサレムに大変な歓呼をもって迎えられましたが(しゅろの日曜日)、これは、すべての人から見捨てられる十字架の五日前のことです。そして、イエスがその日に宮に入った様子が、「こうして、イエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた」(11:11)と記されています。それはこの時期は過ぎ越しの祭りのために世界中からユダヤ人がエルサレムに集まっており、市内に宿を取ることができなかったからかと思われます。

イエスはベタニヤのマルタ、マリヤとラザロの家に泊まられました。そして、イエスは、宮の現状に心を痛めて一晩を過ごされたことでしょう。

そして、翌朝再びエルサレム戻った時の様子を福音記者ルカは、「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣い」たと記しています(19:41)。

そして主は、エルサレムのために泣く理由を、「やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ」(19:42-44)と言われました。

これは主の十字架と復活から40年後に起こる悲劇の予告でした。当時の人々は、イエスのエルサレム入城を、「神の訪れのとき」と見ることはできませんでした。イエスは、力を捨てた主のしもべの姿を生きることで神の平和が実現できると説きましたが、彼らは平和の救い主を拒絶することによって自滅に向かって行こうとしていました。

事実、当時のユダヤ人たちは武力による独立運動を激化させ、ついに、ローマ皇帝自身による攻撃を招いてしまいました。つまり、イエスはご自身を拒絶する人々が、武力闘争によって自滅することを見通されたからこそ、「涙を流された」のです。

そしてイエスの悲しみを別の観点から表現しているのが今回の記事です。そのことが、「翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた」(11:12,13)と描かれます。

イエスはご自分の空腹を契機に、人々を惑わすいちじくの木に弟子たちの目を向けさせました。葉だけが繁っていて実のないいちじく木は、イスラエルの民のみせかけの信仰の象徴であり、それは神のさばきの対象と見られていたからです(ホセア9:10f、ミカ7:1f、エレミヤ8:13f)。

なお、「いちじくのなる季節ではなかったからである」と追加で記されていますが、それはこの木の問題を示すためです。いちじくの木の実の収穫は通常6月ですが、普通は過ぎ越しの時期(3~4月)には、葉を繁らせ、青い実をつけています。ところがこのいちじくの木は、葉を異常に繁らせながら、青い実さえもつけていなかったのです。まさにみせかけだけで、枯れるのを待つだけの何の希望もない木でした。

それでイエスはその木に向かって、「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように」と言われましたが、「弟子たちはこれを聞いていた」というのです(11:14)。

そして、翌日には、いちじくの木が根まで枯れていました。それは、イエスがこの木をのろったことの結果でした。弟子たちはイエスのことばの力に驚きました。

ところで創世記を読みと、禁断の木の実を取って食べた人間が最初にした行為は、いちじくの葉をつづりあわせて腰の覆いを作ることでした。ここから人間の洋服が始まりますが、それはしばしば、外面を飾ることによって自分の弱さを隠そうとすることにつながります。「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサムエル16:7)とあるように、このいちじくの木のように実質のない見せかけは、やがて来る主の厳しいさばきの対象とされます。

2.「イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め・・・」

そして、イエスによる宮清めの記事が、「それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです」(11:15-17)と描かれています。

この最後の「強盗の巣にした」ということばは、エレミヤ書からの引用です。

主はかつて預言者エレミヤを通して、生き方を改めなければ、彼らはこの都に住み続けることができないと何度も警告しておられました。

ところが彼らは、「これは主(ヤハウェ)の宮、主(ヤハウェ)の宮、主(ヤハウェ)の宮だ」と言う「偽りのことばを信頼して」いました(エレミヤ7:4)。彼らは、エルサレム神殿を指しながら、「これは主(ヤハウェ)の住まいなのだから、主ご自身がこの町を守ってくださる!」と言い合っていましたが、それこそ「偽りのことば」でした。

主(ヤハウェ)は、主を恐れ、主を愛する人々の中に住んでくださるのであって、主の宮は人々の心の目を、主ご自身に向けるためのシンボルに過ぎません。

ところが、彼らは、「盗み、殺し、姦通し、偽って誓い、バアルのためにいけにえを焼き・・・ほかの神々に従って」いながら(同7:9)、主(ヤハウェ)の「名がつけられている」家の、主(ヤハウェ)の前に「やって来て立ち」、「私たちは救われている」と言っているというのです(7:10)。

これはたとえば、主が忌み嫌われるあらゆる悪行を重ねながら、荘厳な礼拝の場で気分が高揚され、救われているような気持ちを味わうことと似ています。私たちはみな、どこかで後ろめたさを抱えながら礼拝の場に集っているかもしれませんが、自分の罪深さを嘆くこともなく、罪に居直ったままという反省のなさこそが、主に忌み嫌われることなのです。

そして、そのようなイスラエルの民に対する主のさばきのことばが、「わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。そうだ。わたしにも、そう見えていた」(同7:11)と記されます。

イエスはその同じことばを用いて、当時のエルサレム神殿がもはや「主(ヤハウェ)の家」ではなく、「強盗の巣」になってしまっていると言われました。そこには神の燃える怒りの気持ちが描かれています。

そして、このときのイエスも怒っておられました。その様子が、「宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった」と描かれています。

これは柔和で謙遜な主の姿と対照的です。それにしても主は、このような乱暴な実力行使をなぜなさったのでしょう。

当時のエルサレム神殿の最も外側に異邦人の庭があり、二つの壁を隔てて、祭壇、至聖所がありました。たとえば「使徒の働き」に、エチオピアの女王の財産全部を管理していた宦官が、エルサレムに礼拝に来たことが記されていますが(使徒8:27)、彼は、多大な時間と労力をかけても、自分で祭壇にいけにえを献げることも許されず、異邦人の庭から神殿の中心を仰ぎ見られるだけでした。

そこには、鳩を売る者、牛や羊を売る者たちが座り(ヨハネ2:14)、両替人もおり、大声で客を呼び寄せていたことでしょう。彼らは、宦官を軽蔑しながら、その謙遜な心を見もせずに、お金を取ることばかり考えていました。

イエスが神殿の中を歩まれた時も、同じく、敬虔な心を持った外国人や身体障害者、子供たちが、礼拝の場から排除されているのをご覧になり、彼らが、このような喧騒の中でしか神を礼拝できないことに、心を痛められたに違いありません。その心の痛みこそが実力行使の理由でしょう。

ただし、この制度はイスラエル人にとって経済的、合理的でした。一般の硬貨はローマ皇帝の肖像が描かれており、人々は両替して献金しました。また、神殿内部で売られた動物は、保証つきでした。もし遠路、動物を連れてきて、いけにえとして不適格となったら大変です。

しかも、祭司たちは、この商売の許認可権によって特別収入も得られました。しかし、主を求める異邦人の礼拝者は、この便利性の追及の影で、静かな礼拝の場を奪われていたのです。

それでイエスは、イザヤ56章7節に記された主のことばを、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」と書いてあると引用されました。ユダヤ人たちは自分たちの都合を優先していましたが、そこは何よりも「神の家」なのです。そこは、人が便宜を受ける場ではなく、神ご自身が主人公となり、礼拝される場なのです。

神は、この教会堂をも「わたしの家」、「祈りの家」と呼ばれます。「祈り」とは、「礼拝」であり、その模範は「主の祈り」です。この場の主人公は人ではありません。騒がしく自分たちの願い事ばかりを訴えたり、反対に、静けさばかりが優先されれば良いというのでもなく、聖書の神ヤハウェのみが神としてあがめられるべき場なのです。

私たちは、この礼拝の場を、そのような恐れの気持ちを持って見ているでしょうか?その心が、今、問われています。

3.「すべての民の祈りの家」

マタイの記述によると、イエスの宮清めによって、「また(すると)、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた」(マタイ21:14)という新しい展開が起こりました。

主が世的な便利性の論理を排除した時、世で軽蔑されていた人々が前面に出て来ることができました。盲人や足なえは、神にのろわれた者と見られ、神殿に居場所がありませんでしたが、この時、神殿は弱者を排除する場から、いやす場へと変えられたのです。

そればかりか、これに続いて、もう一つの大きな変化が起きました。それは、宮の中に、子どもたちの、「ダビデの子にホサナ」という賛美が響き渡ったというのです(21:15)。これは、癒しの奇跡を見た子供たちが、イエスを預言された救い主としてたたえる叫びでした。

祭司長や律法学者は、そのような賛美に腹を立てました。その記事の意味は、一見、聖書知識が豊富なようでいながら自分の力により頼む者が神の敵となる一方で、幼子や乳飲み子のように、心の底から自分の弱さを知っている者を通して、神はご自身の栄光を表わされるということでした。

地上のキリストの教会も、この世的な便利性の論理を追求しながら、様々な障害者の方や、病の人や子どもたちを礼拝の場から締め出してきたということがないでしょうか?

それは心の宮の問題でもあります。牛がいる所に盲人は安心して入ってこられません。同じように、大きな理想を追及するあまり、自分の弱さを締め出してはいないでしょうか。精神的弱さを覚える人を受けとめることは、自分の弱さを受け入れることでもあります。

両替人の台に、子どもは邪魔者です。同じように、心が忙しすぎるなら、自分の中に住む子どもの声を窒息させ、喜びがなくなります。目の前の子どもを受け入れることは、自分の中にいる子どもの気持ちを受けとめることでもあります。

「あなたがたのからだは・・神から受けた聖霊の宮である」(Ⅰコリント6:19)とあるように、神の前で沈黙によって心の宮清めをも行なう必要があります。その時、あなたの内側に、真心からの神への賛美と、自由な喜びが生まれます。

この福音書では、盲人や足なえ、子どもの記述がない代わりに、「祈りの家」に「すべての民の」と付加されます(11:17)。この方が正確なイザヤの引用です。

神は「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる」(イザヤ56:7)と、外国人や、自分を枯れ木としか呼べない宦官たちを礼拝に招くと約束しました。それは世の完成のしるしであり、その時、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」のです。

イザヤは、豊かな者たちの自己満足の礼拝を非難し続けていました。それが正される時、主(ヤハウェ)は、「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように・・・毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る」と仰せられました(イザヤ66:22,23)。

つまり、すべての民を含む礼拝の完成こそ、世界のゴールなのです。この地の礼拝は、天で実現するこの理想の礼拝を、目に見えるように表わそうとするものです。

ただし、「すべての民」を迎えようとする時、様々な困難があります。それぞれの感性、習慣等が余りにも異なるからです。互いへの尊敬がなければ一緒に礼拝はできません。

ひとりひとりに聖霊の賜物が与えられるのは、異なった背景を持つ人々が互いに仕え合うためです。そこではひとりひとりに使命が与えられています。「私などが・・・」と互いに遠慮し合うことで、孤立感を味わう人もいます。

また、奉仕への無責任によって、礼拝全体の雰囲気がしまりのないものになる場合があります。安易な甘えは、御霊の働きを消すことになります。それは小さなことから始まります。あなたと並んで礼拝している人に無関心であって良いでしょうか?

「家庭に、くつろぎを期待したら互いのわがままがぶつかり合う。家庭は仕え合う場である」と言われます。互いに仕え合おうとする時、結果的にやすらぎが生まれます

この「祈りの家」も同じです。くつろぎを期待するなら、わがままがぶつかり、人を退け、自分の弱さをも退ける結果になります。ひとりひとりが「すべての民の祈りの家」を建てるために召されています。

4.「わたしはシロにしたのと同様なことを行おう」

ところで、このイエスの言動を聞いた「祭司長、律法学者たち」の反応が、彼らは、「どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである」(11:18)と記されています。

そのような目先の損得勘定に目が向かう信仰に対しては、引き続きエレミヤ書のことばが印象的です。そのとき主は、「主(ヤハウェ)の宮」の幻想に浸っている人に、「それなら、さあ、シロにあったわたしの住まい、先にわたしの名を住ませた所へ行って、わたしの民イスラエルの悪のために、そこでわたしがしたことを見よ」(7:12)と言われます。

これはサムエル記の最初にある記事を指します。祭司エリの息子たちは当時、シロにあった幕屋で人々が主にいけにえをささげて礼拝するシステムを、私腹を肥やす手段と変えてしまいました

それに対し、主は、何とご自身の契約の箱がペリシテ人に奪われることを許すことまでして、当時の礼拝システムをご自分で壊してしまわれたのです。主ご自身が定めた幕屋礼拝を、主ご自身が一時的に捨てられたのです。

そしてそこで、主は、「今、あなたがたは、これらの事をみな行っている・・・それで、あなたがたの頼みとするこの家、わたしの名がつけられているこの家・・に、わたしはシロにしたのと同様なことを行おう」(エレミヤ7:13、14)というさばきを宣告されました。

エルサレム神殿を建てられたのは、ソロモンである前に、主ご自身でした。しかし、それが社会的弱者を虐げるシステムとなったとき、主はこれを捨てることを自ら決めらました。

神殿で何よりも問われているのは、私たちがどれだけ多くのいけにえをささげるかではなく、主ご自身の語りかけを、恐れをもって聞き、それに応答するということでした。

神殿の心臓部に納められていたのは、主ご自身の手で書かれた「十のことば」でした。しかし、「主(ヤハウェ)のことば」に耳を傾けなくなった者は、神の民であることを自分で捨てた者です。

イスラエルの民は、神の御教えを本来の姿から捻じ曲げてしまいました。いけにえは、神の恵みへの応答としてささげられるものなのに、それが神を動かす手段、また祭司の特権を維持するシステムになったのです。

人間的な損得勘定が前面に立つとき、神の御教えが退きます。宗教とイデオロギーは紙一重です。たとえば、20世紀の共産主義国においては、貧しい者の味方であるはずの共産党が、人々を虐げる力となりました。彼らは自分たちの理想を実現するために、人を手段化したのです。

また、日本でも、大東亜共栄圏というアジアの繁栄を築こうという大義を掲げましたが、軍費の調達に困ったあげく、中国人にアヘンを栽培させ、中国人にアヘンを売りつけて、軍費を賄いました。

残念ながら、人間的な理想を絶対化する人は、意識の奥に潜む自分の損得勘定の思いをごまかし、平気で他の人の痛みや悲しみを無視できるようになります。人の心の闇の深さを知るべきでしょう。

律法の中心は、いけにえではなく、神の教えをへりくだって聞き続けることです。みことばを心から味わうということを素通りした教会の奉仕活動は、ひずみを生み出します。

忙しすぎる教会活動や様々なことを断定する教えによって傷ついている人がいつの時代にもいます。目に見える働きと静まりのときはともに成長する必要があります。

その後のことをマルコは、「夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに」、「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました」と言ったと記されています(11:19-21)。

それはまさにエルサレムが主によって廃墟とされるということを象徴したことでした。イエスはこのことを通して弟子たちに大切な教訓を残されたのです。

ヨーロッパの教会堂はどこにおいても静寂が尊重されていました。しかし、その傍らで、子供や乳幼児を抱えた若い母親はほとんどいなかったように思えます。静寂が子供を排除した中で守られるとしたら、それは決して「すべての民の祈りの家」ではありません。

また、多くの教会では、良き市民となるための道徳教育が強調されていましたが、一方で、病の癒しや生活苦などのような日常的な課題はあまり前面には出てきませんでした。また、神が今も生きて働いて、不思議なみわざを示してくださるというような証しの場もほとんどありませんでした。そこでは、ただ一人ひとりが神の前に静まることばかりが強調されてきたのかもしれません。

しかし、神との交わりを深めることと、信仰者どうしの兄弟愛を深めることは、車の両輪のように、いっしょに進む必要があります。イエスが、神殿を「すべての民の祈りの家」と言われたことの意味の広がりを考えてみましょう。

神と人、人と人との生きた交わりが見られない会堂は、単なる建物に過ぎなくなります。今この時から、「祈りの家」の意味を掘り下げてゆきましょう。