エレミヤ44章〜49章「わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにする」

2009年6月14日

「あの頃は、本当に楽しかったな・・・」となつかしく思いながら、ふと、「もう、あの喜びはもう過去のことなのだろうか・・」と寂しくなるようなことがないでしょうか。 “エレミヤ44章〜49章「わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにする」” の続きを読む

エレミヤ35章〜38章「主のことばを軽蔑する悲劇」

2009年5月24日

韓流ドラマなどでは良い人と意地悪な人の対比が驚くほど強調される傾向がありますが、現実の世の中のほとんどはどちらとも言えない人でしょう。今回の箇所には、「忠実な人」、「極悪人」、「気の弱い善人そうな悪人」の三種類が出てきます。 “エレミヤ35章〜38章「主のことばを軽蔑する悲劇」” の続きを読む

エレミヤ32章〜34章「私たちは真実でなくても、主は常に真実である」

2009年4月28日

私は昔、証券会社にいたとき、経済見通しが週ごとのように変わることに対し、何とも言えない空しさを感じていました。そのような中で、決して変わることのない聖書のことばに、心がますます惹かれるようになりました。 “エレミヤ32章〜34章「私たちは真実でなくても、主は常に真実である」” の続きを読む

エレミヤ21章〜24章「主のみことばを聴く群れとして」

2009年1月11日

アルコール依存症で明らかに人生が破綻している人のほとんどが、「まだ、自分は大丈夫だ・・」と思っているとのことです。その家族は疲労困憊しながら助けを求めているのに、当人は自分が病気であることを認めようとはしません。なぜなら、その病いの根本は、自分の弱さを正直に認められないことだからです。 “エレミヤ21章〜24章「主のみことばを聴く群れとして」” の続きを読む

エレミヤ17章19節〜20章18節「陶器師の御手の中で」

2009年1月4日

人間の苦悩の源泉は、「災害と退屈」であると言われます(ショーペンハウアー「孤独と人生」P43)。「災害」は創造主なる神が支配しておられますが、「退屈」は私たち自身が向き合うべき問題です。イスラエルの民は約束の地に入って生活が安定したとたん、カナンの刺激的な宗教に走りました。そして、最終的に神の怒りを買って、国が滅びます。それがエレミヤ書のテーマです。それは現代の私たちの課題でもあります。退屈(倦怠感)から逃げ出そうとして、やってはならない刺激的な誘惑に手を出し、自分で苦しみを招いてしまうということがないでしょうか。 “エレミヤ17章19節〜20章18節「陶器師の御手の中で」” の続きを読む

エレミヤ14章1節〜17章18節「主に信頼する者への祝福と、主を捨てる者へののろい」

2008年11月2日

幸福は、「健康、良き配偶者、悔いのない生涯の仕事、確固たる人生観を持つこと」にあるとスイスの哲学者 が言っています。しかし、この四つを全て手に入れることができるのは、非常にまれではないでしょうか。 “エレミヤ14章1節〜17章18節「主に信頼する者への祝福と、主を捨てる者へののろい」” の続きを読む

エレミヤ10章〜13章「あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に、栄光を帰せよ」

2008年10月16日

私たちは神を楽しみ喜ぶことができます。しかし、神を自分の目的達成の手段にすることは許されません。そこに偶像礼拝が始まるからです。私たちはこの世のものを「使用する」ことが許されていますが、その延長で、無意識にせよ、神を「使用する」ような発想になってはいないでしょうか。「楽しむ」ことと「使用する」ことの区別が大切です。ウエストミンスター大教理問答の最初では、「人間のおもな、最高の目的は何であるか」という問いに、「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」と答えるように教えられています。 “エレミヤ10章〜13章「あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に、栄光を帰せよ」” の続きを読む

エレミヤ7章〜9章「悟りを得て主 (ヤハウェ) を知るとは?」

2008年9月21日

19世紀ドイツの哲学者 は、「人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続に他ならない……幸福な人生などというものは不可能である。 “エレミヤ7章〜9章「悟りを得て主 (ヤハウェ) を知るとは?」” の続きを読む