エレミヤ17章19節〜20章18節「陶器師の御手の中で」

2009年1月4日

人間の苦悩の源泉は、「災害と退屈」であると言われます(ショーペンハウアー「孤独と人生」P43)。「災害」は創造主なる神が支配しておられますが、「退屈」は私たち自身が向き合うべき問題です。イスラエルの民は約束の地に入って生活が安定したとたん、カナンの刺激的な宗教に走りました。そして、最終的に神の怒りを買って、国が滅びます。それがエレミヤ書のテーマです。それは現代の私たちの課題でもあります。退屈(倦怠感)から逃げ出そうとして、やってはならない刺激的な誘惑に手を出し、自分で苦しみを招いてしまうということがないでしょうか。

4世紀末の砂漠の師父エウアグリオスは、退屈(倦怠感)を、「真昼の悪魔」(詩篇91:6「真昼に荒らす滅び」)と呼び、「あらゆる悪魔のうちでも最も重くのしかかる」として警戒を訴えました。たとえば、ひとりで日中静かな仕事をしていると、一日が五十時間もあるように感じられ、間断なくよそ見をし、「早く夕食にならないか・・」とため息をつき、自分の仕事がむなしく感じられるということがあるかもしれません。私も、ふとビートルズがエリナ・リグビーという名曲で、「マッケンジー神父は、誰も聞こうともしない説教のことばを書いている。誰も近づいては来ない・・彼はエリナ・リグビーをただひとりで葬った・・誰も救われることはなかった。この孤独な人々を見よ・・」と歌っているのが思い浮び、「聖書をこんなに丁寧に調べ時間をかけたって、何になるのか・・」という囁きが聞こえることがあります。

人によっては、このようなとき、そのような倦怠感の中で、「もうこんなところで、こんな風に生きているのはいやになった・・・まわりは愛のない人々ばかりだ。誰も私を慰めてはくれない」などと思いながら、人から言われた嫌なことばが頭の中をぐるぐるまわるなどということがあるかもしれません。エウアグリオスは、このような悪魔の攻撃にあったら、自分のたましいを二つに分け、一方を慰めるほうにし、他方を慰められる側にして、詩篇42:11のみことばを用い、「私のたましいよ。なぜ、うちしおれているのか?なぜ、私の前でうめいているのか?神を、待ち望め。私はなおもたたえよう。私の顔の救い、私の神を。」(私訳「心を生かす祈り」p210~)と祈るように勧めています。倦怠感に身を任せてしまうことは悪魔の計略に落ちることです。私たちは主にあって倦怠感と戦う必要があります。

1.「安息日をきよく保ち、この日に何の仕事もしないなら・・・・」

17章初めでは、主(ヤハウェ)に信頼する者への祝福の約束が、「水のほとりに植わった木」にたとえられて美しく表現されていました。19節以降で主はエレミヤに、主に信頼することの具体的な現われとして、安息日を守ることを改めて命じます。「十のことば」の核心は、安息日の教えにあることは明らかです。エレミヤは主のことばとして、「あなたがた自身、気をつけて、安息日に荷物を運ぶな・・・何の仕事もするな。わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりに安息日をきよく保て。しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、うなじのこわい者となって聞こうとせず、懲らしめを受けなかった」(17:21-23)と非難します。今から二千六百年前に、安息日の教えは途方もない贅沢に思えたことでしょう。少しでも生活を楽にするために、寸暇を惜しんで働くのが当然と思えたに違いありません。

ところが、主は、「安息日をきよく保ち、この日に何の仕事もしないなら」、主ご自身が強大な国々に挟まれた小国の「ダビデの王座」を守り、近隣の支配者たちがエルサレムの城門を行き交うようになり、近隣の人々が、ささげものを携えてエルサレム神殿に集まり、主の宮は経済的繁栄のシンボルになると約束されます(17:24-26)。つまり、一週間に一日、完全に仕事を休むことで、短期的には損をするように見えても、長期的には、主の豊かな祝福を受けて国が繁栄するというのです。同時に、主は、「しかし、もし、わたしの言うことを聞き入れず、安息日をきよく保たずに、安息日に荷物を運んでエルサレムの門のうちに入るなら、わたしはその門に火をつけ、火はエルサレムの宮殿をなめ尽くして、消えることがないであろう」(17:27)と警告されます。つまり、エルサレムが廃墟とされたのは、強大な国々との外交政策に失敗したからではなく、主の前に不誠実であったためであるというのです。

イエスの時代には、この反動の窮屈な律法主義が広がり、安息日に困っている人を助けるというようなことまでも、聖書が禁じる労働に相当するというような解釈が一般的になっていました。宗教指導者たちは、このエレミヤやイザヤの預言などをもとに、安息日を守ることによって、神がイスラエルをあわれみ、王国が復興されると説きながら、人々が安息日に労働をしないように厳しく監視していました。その結果、安息日は「喜びの日」ではなく、「苦しみの日」になってしまいました。それに対しイエスは、「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です」と言われながら、安息日にあえて、緊急性のない「片手のなえた人」などを癒しながら、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と問われました(マルコ2:27-3:4)。

エレミヤとイエスのことばは決して矛盾しません。私たちはその両面を見ながら、安息日をどのように守るかを自分で考えるべきでしょう。日本でも、「俺は仕事で忙しいんだ・・・」と、家庭を無視していた男性が反省を迫られるようになっていますが、同じように、主の日よりも仕事を優先するような心の姿勢は正されるべきです。この世において、時間とお金は、かけがえのない宝物です。だからこそ、一週間のうちの一日を世の仕事から離れて主に聖別することと、収入の十分の一を主に聖別することを、改めて問い直すべきでしょう。ただし、それは現在、「守らなければのろいを受ける・・」という戒めではありません。私たちはすでにキリストにある祝福の時代に生かされているからです。私たちは、すべてを主への愛の故に行うように召されています。時間とお金の聖別は、分かりやすい目標です。長い目で見ると、それを守って後悔する人など、どこにもいないことがわかることでしょう。主を第一とした生活があらゆる祝福の源となっていることは、多くの人によって証されています。目先の欲や都合に振り回されることがあらゆる不幸の原因です。主は、「こうしてわたしをためしてみよ・・・わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ」(マラキ3:10)と言っておられます。

それにしても、私たちの幸福は、主観と客観というふたつの要素からなっており、そこでは主観的なものの方がはるかに本質的です。ショーペンハウアーは、「おそらく健康な乞食のほうが病める王よりもより幸福であろう」と言っています(「孤独と人生」p13)が、あらゆる豊かさを手にしながら、それを味わうことができないまま暮らしている人は、現在も驚くほど多くいるのではないでしょうか。安息日の基本は、仕事の手を休めて、主にある幸せを「味わう」ための日です。主(ヤハウェ)ご自身がこの世界を六日間で創造され、七日目に休まれました。私たちは安息日に自分の労働の実を喜び、それを隣人と分けあって楽しむように命じられています。主は、休息を取ることを命じることによって、幸せを味わうことを体験させようとしておられるのです。また収入の十分の一を聖別している人は、不思議に、お金のかからない数々の楽しみ方を身に着けることができるようになって行きます。詩篇作者は、主に向かって、「あなたこそ私の主(アドナイ)、あなたに反して、私の幸いはありません」(16:2私訳)と告白しています。

2.わたしは・・わざわいを思い直す・・・しあわせを思い直す

陶器師と陶器のたとえは聖書で繰り返し用いられますが、この18章はその代表的なものです。主はエレミヤに陶器師の家にわざわざ行かせ、その仕事を見させます。そのとき、「陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた」ところでしたが、それをもとに、「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか・・・見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある」と言われます(18:4-6)。ただ、そこには陶器師の事前の計画と同時に、素材である粘土との対話があります。良い陶器師は、目の前の粘土の特徴をよく見ながら自分の計画を変えることができます。主ご自身も、「一つの国、一つの王国について、引き抜き、引き倒し、滅ぼす」という計画を表明しておられながら、「その民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていたわざわいを思い直す」と言われる一方、「一つの国、一つの王国について、建て直し、植える」という計画を表明しておられながら、「もし、それがわたしの声に聞き従わず、わたしの目の前に悪を行うなら、わたしは、それに与えると言ったしあわせを思い直す」と言われます(18:7-10)。ここで主は、救いとさばきの正反対の意味で、「思い直す」と言われます。このことばは、「悔いる」とも訳されることばです。神は以前、サウルをイスラエルの王として立てたことを「悔やまれた」と記されていますが、その直前に、「イスラエルの栄光である方は・・人間ではないので、悔いることがない」という不思議な表現がありました(Ⅰサムエル15:29,35)。この「思い直す」または「悔いる」という言葉は、拙著「哀れみに胸を熱くする神」のもととなっているホセア11章8節の「あわれみ」という言葉と同じです。つまり、神は、「わざわい」または「しあわせ」のご計画を表明しながら、それに対する民の反応を見て哀れみ、「わざわいを思い直される」か、または「しあわせ」を約束しておられても、神ご自身がそれを悔いて、「思い直される」というのです。

なお、「その民が、悔い改めるなら・・」という条件が記されますが、「悔い改める」とは、「悔いる」とはまったく異なった言葉で、中心的な意味は「立ち返る」ことです。神は、放蕩息子の父が、息子の帰りを待つように、哀れみに胸を熱くしながら、民がご自分のもとに帰ってくるのを待っておられるのです。「正しい生活ができるようになったら、思い直す」というのではなく、「立ち返ってくる」姿を認めるだけで、すぐに「赦してくださる」というのです。

ところが、主がエルサレムに向かって、「見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え、あなたがたを攻める計画を立てている。さあ、おのおの悪の道から立ち返り、あなたがたの行いとわざとを改めよ」と語りかけても、彼らは、「だめだ。私たちは自分の計画に従い、おのおの悪いかたくなな心のままに行うのだから」と答えているというのです(18:11,12)。ここで、主は、「見よ。わたしは・・」ということばを強調しておられます。しかも、「わざわいを考え」の「考え」という言葉は、「陶器師」と同じ語根のことばです。つまり、主は、「見よ。わたしこそ、計画を柔軟に変えられる陶器師である」と語りかけておられるのです。ところが、彼らはその優しい招きに対して、「だめだ」と一言で答えたというのです。それは「もう無駄だ」とも訳される、神のみわざに心を閉ざす言葉です。彼らは主の計画に対して、「自分の計画」ということばを用いながら、自分のやりたいようにやると答えているのです。

それに対して、主は、エルサレムの愚かさを、約束の地に見られる不思議との比較で語ります。14節は翻訳困難な文章ですが、約束の地を潤すガリラヤ湖とヨルダン川の源流となる「冷たい水」は、ヘルモン山ばかりか遠い北の三千メートルを越えるレバノン山の雪どけ水が合わさっています。それこそ大自然の上に表された神の配慮ですが、イスラエルの民はそれを忘れ、役にも立たない偶像に香をたいているのです。それに対し、神は、バビロン帝国を、約束の地を乾燥させる熱い「東風」(18:17、4:11参照)にたとえ、エルサレムへのさばきを警告します。

残念ながら、人は、自分の必要が満たされると、倦怠感に襲われ、神がすでに与えてくださっている恵みを忘れて、何か別の刺激を求めようとします。そして、しばしば、恵みは失ってみて初めて分かるというようなものではないでしょうか。つい先日まで、仕事の苦しさをつぶやいてばかりいた人が、失業者が巷にあふれる時代になると、毎日、働きに行く場があり、また帰る家があるということがどれだけ大きな恵みかが分かります。同じように、約束の地は狭いところに神の不思議が満ちている場所です。ところが彼らは、その地を与えてくださった神を忘れ、バビロンやエジプトという大国の文化や富にばかり目を向けてしまったのです。何という恩知らずでしょう。しかし、神はそのような彼らに、「わたしに立ち返れ・・・わざわいを思い直すから・・・」と招き続けておられるのです。

3.「なぜ、私は労苦と苦悩に会うために生まれたのか」

18章18節から20章の終わりにかけて、エレミヤの揺れる心が描かれています。人々は、主のさばきばかりを宣告するエレミヤのことばに耳を傾けようとはしませんでした。彼らの百年前、巨大なアッシリヤ帝国が攻めて来たとき、ヒゼキヤ王のもとでエルサレムは奇跡的に独立を保つことができました。彼らはただ奇跡的な勝利の結果だけを見て、ヒゼキヤ王とそれとともにいた人々が、どれだけ神の御前に謙ったかを見ようとはしませんでした。それは太平洋戦争の破滅に一丸となって突き進んだ日本と似ています。日露戦争の勝利によって、日本は奢り高ぶってしまいました。その前に、どれだけ日本が国際社会で謙遜に振る舞い、戦争を避けるあらゆる努力をしていたかを忘れてしまいました。ロシヤとの外交に命を賭けていた西徳二郎元外務大臣のことなど、みな忘れています。

太平洋戦争の前夜になると、人々は二二六事件の後遺症の恐怖から、知識人は軍部に反対する勇気を失っていました。そして、一方で、国際情勢をよく知る立場にあった東條英機首相などは、「戦争が終わるということは・・われわれが勝つということだ・・天皇陛下は神であって、天皇陛下に帰一していれば、国体の輝くこの国は負けるわけがない。戦っていまだかつて負けたことのない国なのだから」(保阪正康:新潮新書「あの戦争は何だったのか」P149,150)などと豪語していました。不思議なのは、彼は天皇に命をかけて忠誠を誓うと言いながら、天皇のお気持ちを聞くのではなく、自分の望むことばを天皇から引き出すことばかりに神経を使っていたということです。当時のエルサレムも同じような感じでした。当時の「祭司」、「知恵ある者」、「預言者」たちはそろって、神の都エルサレムの勝利を、神のみこころとして語っていました(18:18)。一方、エルサレムの敗北を告げるエレミヤのことばは、偽りの預言として退けられ、彼を倒す計画が話し合われていました。まさに歴史は繰り返されています。

18章19節から23節までは、エレミヤが、自分の命を狙っている人々の対しての主のさばきを願ったことばです。これは彼が、まるで小さな子供が父親に訴えているような気持ちで語った言葉です。彼の「怒り」の背後には、彼の「恐れ」がありました。彼は、19章に記されているような主のさばきを伝えなければならなかったからです。主は、「見よ。わたしはこの所にわざわいをもたらす。だれでも、そのことを聞く者は、耳鳴りがする」(19:3)と言いながら、「その日には、この所はもはや、トフェテとかベン・ヒノムの谷とか呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる」(19:6)と、エルサレム近郊の偶像礼拝の場が、死体で埋め尽くされると宣告されます。これは、すでに7:30-33で言われていたことの繰り返しですが、ここではさらに衝撃的に、主ご自身が、「わたしは、包囲と、彼らの敵、いのちをねらう者がもたらす窮乏のために、彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。彼らは互いにその友の肉を食べ合う」(19:9)と語っておられます。これは、はるか昔に、レビ記26:29、申命記28:53-57などで預言されていたことで、哀歌2:20,4:10ではそれが文字通り成就したと記されています。エレミヤはこれらのことばを、偶像礼拝の中心地、ベン・ヒノムの谷のトフェテで語る必要がありましたが(19:2,13)、今度は、当時の人々が主にある勝利と希望を語るはずの「主(ヤハウェ)の宮の庭に立ち、すべての民に」(19:14)に向かってこれを告げる必要がありました。

その様子を見て、「主(ヤハウェ)の宮のつかさ、監督者であるイメルの子パシュフル」(20:1)は、エレミヤを「主(ヤハウェ)の宮にある上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ」のでした。「翌日になって、パシュフルがエレミヤを足かせから解いたとき」、エレミヤは彼に、「主(ヤハウェ)はあなたの名をパシュフルではなくて、『恐れが回りにある』と呼ばれる」と語り、彼の一族が彼の目の前で敵の剣に倒れることを預言します。そして、また、「パシュフルよ。あなたとあなたの家に住むすべての者は、とりことなって、バビロンに行き、そこで死に、そこで葬られる。あなたも、あなたが偽りの預言をした相手の、あなたの愛するすべての人も」(20:6)と宣告されますが、パシュフルは、「剣やききんがこの国に起こらない」(14:15)などという楽観的なことを言い続けていたのだと思われます。

ところがエレミヤはその後、主(ヤハウェ)に向かって不思議にも、「あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました・・・私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります」(20:7)などと訴えます。これは、エレミヤの預言のようにエルサレムがすぐには敵の手に落ちることなく、人々は偽りの希望に慰めを見出し、エレミヤを非難し続けたからです。そのような中で彼は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」(20:9)と思うほどに追い詰められます。ところが、「主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり」(20:9)、語らずにはいられなくなったというのです。そればかりかエレミヤは、周りの人々の計略を耳にしながら、 「主(ヤハウェ)は私とともにあって、横暴な勇士のようです。ですから、私を追う者たちは、つまずいて、勝つことはできません」(20:11)と告白できました。同じようにキリストの弟子たちも、みことばが心の中で燃え盛る火のようになると同時に、主がともにおられるという励ましを受けることができました。エレミヤは先に、「あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました」(20:7)と、主に嘆きましたが、それは主に用いられる幸いの始まりでもあったのです。

そして、エレミヤは、「主(ヤハウェ)に向かって歌い、主(ヤハウェ)をほめたたえよ。主が貧しい者のいのちを、悪を行う者どもの手から救い出されたからだ」(20:13)と自分の勝利を歌います。ところが、その直後、一転して彼は、「私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな」(20:14)と、自分が生まれたばかりにこのような間尺に合わない使命を与えられたと嘆きます。これは、不条理な苦しみに会ったヨブの告白とほとんど同じです(ヨブ3:1-12)。そして、エレミヤは、「なぜ、私は労苦と苦悩に会うために胎を出たのか。私の一生は恥のうちに終わるのか」(20:18)と嘆きます。彼はこのような嘆きの故に、「悲しみの預言者」と呼ばれています。

「主に従えば、幸福になれる・・」などという一見、わかりやすい表現は注意が必要です。そのような誤解のために、多くの人は、「私がこのような苦しみにあうのは、主のさばきを受けているからなのか・・・」などと、人生が思うように展開しない中で、空周りを起こすことがあります。また、「私なりに主を第一として生きてきたのに、どうして、すべてがこのようになってしまうのか・・」と嘆きながら、他の信仰者に相談し、「逆境の日には反省しなさい」などと、文脈を無視したみことばを投げつけられ、かえって落ち込むという人もいます。しかし、たとえば、アナニヤは、後の使徒パウロになる迫害者サウロにバプテスマを授けるように命じられ、躊躇しますが、復活の主は、「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫に前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです」(使徒9:15,16)と言われました。私たちは、主から選ばれ、期待され、使命を授けられたものとして「苦しむ」ということがあるのです。

パウロは、コロサイの信徒に向けて、「私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ1:24)と言いました。そこには、キリストのために苦しみことの誇りがあります。

私たちが心の底で求めているのは、そのような真の生きがいではないでしょうか。生まれてこなければ良かったというほどの苦しみに会うことがあったとしても、それを補って余りある誇りと喜びを主は与えてくださいます。エレミヤは、主にある勝利を歌ったり、このような恨みにも似たことを言ったりと、心が異常なほどに揺れていますが、それは感受性の豊かな人に起こる常でもあります。ショーペンハウアーは、「偉大な精神の持ち主は神経の働きがあまりにも活発なため、それがいかなる形を取るにせよ苦痛に対する感受性は異常に高い」(同書p43)と言っていますが、それはダビデの詩篇の祈りの例からしても事実といえましょう。そして、多くの信仰者は、このような苦しみの直後に名状しがたい喜びを味わうことができています。私たちが避けるべきなのは、「苦痛と退屈の間を振り子のように行き来する人生」(ショーペンハウアー「存在と苦痛」P39)ではないでしょうか。それに対して、「悲しみと喜びが交差する人生」こそ、神に召された者の生き方ではないでしょうか。先の砂漠の師父エウアグリオスは、「真昼の悪魔」との戦いの後には、「ある平和な状態」と「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどる」(Ⅰペテロ1:8)という状態がたましいを支配すると語っています。それこそ倦怠感に耐える者への報酬です。

エレミヤは、主からの使命に生きる中で、「なぜ、私は労苦と苦悩に会うために、胎を出たのか」と嘆きました。それを思うときに、「私は幸せになるために生まれた。私は自分を幸せにしてくれる神を求める」などという発想の愚かさに気づかされます。主は、「見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように・・・あなたがたも、わたしの手の中にある」(18:6)と言われます。また、イザヤは、「陶器が陶器師に『彼はわからずやだ』と言えようか」(29:16)と言いながら、「しかし、主(ヤハウェ)よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られた者です」(64:8)と告白しています。私たちはそれぞれ、思いはかることのできない主のご計画の中で、創造され、生かされています。私たちは、その神のみこころに沿って生きるとき、真のいのちを輝かせることができます。アリストテレスは、「人の幸福はそのすぐれた能力をなにものにも妨げられず自由に発揮することである」と言ったそうですが(ショーペンハウアー「孤独と人生」p33)、それは、主の御前にへりくだり、「私は粘土で、主は陶器師です」と告白するときに可能になることでもあります。自分の幸せのために、主を求めるというのではなく、主の命令に従って、時間と財を聖別する中で、結果的に、この世の基準とは異なった「しあわせを味わう」ことができます。エレミヤのように主に自分の悲しみを訴えながらも、主のみこころに従った働きをするときに、この世の倦怠感を超越した、悲しみとセットにある「名状しがたい喜び」を味わうことができます。ですから、私たちが第一に求めるべきことは、「自分の幸せ」ではなく、「主のみこころに従う」ということです。