不当な訴えというのは、残念ながら人間の歴史から無くなることはありません。意外に身近なところでも本当に突然そのような渦中に巻き込まれることがあるかもしれません。 “不当な訴えの被害者となった者の祈りの歌〜詩篇64篇” の続きを読む
なぜ、詩篇を祈るのか?「御手の中で」
4月1日から最近まで毎日のように詩篇の祈りを配信してきました。これからはずっと頻度が少なくなると思いますが、「なぜ、詩篇の祈りなのですか?」、「この不安の中でもっと、分かりやすいメッセージが欲しい……」という声もあることは承知しています。 “なぜ、詩篇を祈るのか?「御手の中で」” の続きを読む
オラトリオ「エリヤ」の歌〜詩篇37篇
私たちの教会は、今度の日曜日から注意深く三密を避けるため三回に分けて礼拝を始めることを決めました。そのとたん「東京アラート」が発信されました。今のところそれで予定を変えようという話は出ておりませんが、つくづく、「あなたがたには、明日のことは分かりません」(ヤコブ4:14) というみことばが迫ってきました。 “オラトリオ「エリヤ」の歌〜詩篇37篇” の続きを読む
黙想の歌〜詩篇131篇
最近のアメリカや日本のニュースでは、徹底的に相手をやり込める論調が目立って悲しくなります。日本の場合はそれが暴動にまでならないのは幸いですが、ネットの世界での誹謗中傷はひどいものがあると言われます。それが冷静な分析を職業とする学者の間にも広まっており、「科学的」ということばが一人歩きすることがあります。 “黙想の歌〜詩篇131篇” の続きを読む
「神よ、私のためにさばいてください」〜詩篇43篇
昨日、厚生労働省から贈り物が届きました。今、巷で「アベノマスク」とか呼ばれているものです。早速、着用してみましたが、何か、とっても悲しい気持ちになりました。「これは何に使うことができるのだろう……僕には小さすぎる……あまりにも中途半端……」と思えたからです。 “「神よ、私のためにさばいてください」〜詩篇43篇” の続きを読む
ガブリエルのオーボエ〜詩篇39篇
政府の緊急事態宣言が解除されそうですが、何か手放しで喜べない現実が続きます。いろんなことをことばにしようとしても、何か空しく思えるときがあります。 “ガブリエルのオーボエ〜詩篇39篇” の続きを読む
「天使にラブソングを」〜詩篇110篇
今、私はヘブル書の解説の本の仕上げに忙しくしていますが、それを通しての鍵となっているのが詩篇110篇です。ここにはダビデの子であるイエスが、同時にダビデの主となっており、神の右の座についてこの世界を治め、同時に、メルキゼデクの例に倣う祭司として、私たちのために執り成しをしてくださっているという途方もないことが記されています。
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バングラデシュの働き紹介〜詩篇148篇
昨日の配信では詩篇148篇の私訳交読文とともにサウンド・オブ・ミュージックをご紹介しましたが、今日は引き続きこの箇所から アシジのフランシスコ のことまた「声なき者の友の輪」の働きなどをご紹介させていただきます。 “バングラデシュの働き紹介〜詩篇148篇” の続きを読む
サウンド・オブ・ミュージック〜詩篇148篇
外出自粛要請の中でうっとうしい天気が続くと、気が滅入ってしまうという方もいらっしゃるかと思います。何か、心が窮屈になってしまいます。
1965年に世界的に大ヒットしたサウンド・オブ・ミュージックという映画がります。僕も何度も見ました。あのアルプスの山々を背景に始まるシーンは感動的です。そこでは、次のように歌われます。 “サウンド・オブ・ミュージック〜詩篇148篇” の続きを読む
「嘆くこと、喜ぶこと」〜詩篇86篇
先日、ある説教者メッセージ動画を見ていたら、このコロナに対する対応で私たち信仰者に期待される反応が二つある、それは「嘆くことと、喜ぶこと」であるという話があって今更ながらですが、妙に納得しました。 “「嘆くこと、喜ぶこと」〜詩篇86篇” の続きを読む