社会の構造変化〜詩篇42篇

新型コロナウィルス感染者の急増傾向が見られます。一人が何人に感染させるかの指標である実効再生産率を見ると、不思議にも11月30日まで18日間低下し続けていたグラフが今週は上昇傾向に転じました。それはPCR検査数の増加に比例しての感染者数の増加していた傾向が、検査数が減っているにも関わらず増えてきたためで、短期的には、感染数がなお急増するしるしと見られます。これからの1週間、感染者数がなお上昇し、医療現場が大変な状況になることと思われます。医療従事者のため、また重症化しやすい方々のためにともにお祈りをしてゆきましょう。

最近、日本の医療現場の厳しさが報じられていますが、日本の十倍の比率の感染者を出しているドイツの医療体制はなお破綻せずに守られています。それは感染が広がり始めたときから、「感染対策を、感染者数の増加より、医療体制を守ること」に焦点を合わせてきたことの結果と言えましょう。一方、日本では、あろうことか、「医療従事者への差別」などということが起きるほど、社会全体の視点が狂っていたと言えるかもしれません。

詩篇42篇は、エルサレム神殿で喜んで礼拝していた人が、遠い地に追いやられ、その信仰までもあざけりの対象となってしまった悲しみが歌われています。この詩はまさに、今、コロナ蔓延化で、昔のように親密に集まって礼拝できなくなったことの悲しみを表現した祈りと言えましょう。以下の私訳から味わってみましょう。

詩篇42篇1-5節
指揮者のために。コラの子たちのマスキール

鹿が深い谷底の水を慕いあえぐように、

神よ。私のたましいは、あなたを慕いあえぎます。

私のたましいは、神に、生ける神に、渇いています。

いつになったら私は行って、神の御顔を仰ぐことができるでしょう?

昼も夜も、私の食べ物は、涙ばかりです。

「おまえの神はどこにいるのか?」と、一日中言われながら。

私は昔を思い起こしては、たましいを私の前で注ぎ出しています。

神の家へと、私は人々の先頭に立って歩んだものでした。

祭りを祝う群集の、喜びと感謝の、その声の中を……。

私のたましいよ。なぜ、うちしおれて(絶望して)いるのか?

私の前で、うめいて(思い乱れて)いるのか?

神を、待ち望め。私はなおもたたえよう。御顔の救い、私の神を。

ところで、このような絶望感の歌われる一方で、日本の日経平均株価は感染拡大への恐怖から今年の2月から3月中旬にかけて急落したあと、6月初めまで急上昇しました。その後、一進一退を繰り返した後、10月末から再び急上昇に転じ、11月は一か月間としては歴史的な15%もの上昇をしました。これは米国大統領選挙とワクチン認証後の景気回復を期待した動きと言われています。

それにしても、今年3月からの上昇幅も50%を超えるほどになっており、1989年のバブル経済を思い起こす展開となっています。

この第一の理由は、コロナ不況への対策のために大量にお金が政府、日銀から供給されたためと言われています。そうは言っても、将来への展望がなければ、株価は上がらないわけで、意外に多くの人々が、コロナの被害よりも、これを通して日本経済の体質が変えられることを期待しているからと言えましょう。

歴史的には、感染爆発は常に、社会全体の構造変化を生み出してきました。ですから、今回の感染爆発でも、同じような社会変化が期待されます。しかし、それは今まで安心していた人の立場を失わせる一方で、新しく力を持つ人々も出てくることを意味します。

実は、この株価の異常な上昇は、社会のアンバランスを示す指標でもあるのです。人によって危機感や将来見通しが驚くほど違います。

ただし、「神はまた、人の心に永遠を与えられた」(伝道者3:11) とあるような、神の永遠の視点から、いまこのときを見て、互いの見解の違いを受け入れることが大切です。この詩篇が記された3,000年前の視点から見たら、それぞれの違いはほんとうに些細なことです。

今、このときは、全世界の創造主が人となって私たちの悩み悲しみを引き受けてくださったことを覚える季節です。目先の情報に振り回されず、キリストにある永遠の希望をともに覚えたいものです。