「きよしこの夜」〜詩篇4、63篇

お一人おひとりにクリスマスの祝福をお祈り申しております。

この時期は、孤独であることが身に染みると言われますが、本来、クリスマスは神の御子が居場所のない者の仲間となってくださったことを覚える時期です。

今年もクリスマス・イヴ礼拝を万全の感染対策をした上で開きます。

今週木曜日24日午後7時から8時です。

今のところ、ごく限られた人の参加しかない見込みです。

今回は特に、ふだんの礼拝に来にくくなっておられる方々を歓迎したいと思っております。また、様々な悲しみや困難の中を通って来られた方々を歓迎したいと思っております。

奉仕者以外の参加人数を20名程度に抑えたいと思いますので、できれば事前に参加のご希望をお知らせいただければ幸いです。

「自分のような者が行って良いのだろうか……」と躊躇しておられるなら、そのような方こそ歓迎したいと思っております。

ただ、それでも平日の夜ですので、来られない方がほとんどだと思います。

立川福音自由教会の をお開きいただくと、すぐにクリスマスイブ音楽礼拝の礼拝動画の案内が出てきます。今回は、どなたでもご覧いただけるようになっていますので、どなたでもどうぞ。

クリスマス・イヴと言えば「きよし、この夜」が歌われます。

以下でウィーン少年合唱団による合唱賛美と人形を使ったクリスマス・ストリーをご覧いただけます。

以下にドイツ語の原詩からの直訳を掲載します。
先の合唱では、1番、6番、2番の順番で歌われていました。

  1. 静かな夜、聖なる夜。すべてが寝静まっている。
    信頼し合う、聖なるふたりだけが目覚めている。
    愛らしい巻き毛の赤子が、天的な平安のうちに眠っている。
    天的な平安のうちに眠っている
  2. 静かな夜、聖なる夜。神の御子が何と、微笑んでいる。
    その気高い御口からの愛をもって。
    救いの時が私たちについに到来した。イエス、その誕生の時、
    イエス、その誕生の時。
  3. 静かな夜、聖なる夜。この世に御救いがもたらされた。
    まばゆく輝く天の高みから。
    満ち溢れる恵みが私たちに現された。人の姿のイエスにおいて、
    人の姿のイエスにおいて
  4. 静かな夜、聖なる夜。そこに今日、すべての御力が、
    御父の愛から、溢れるように注がれている。
    慈愛に満ちた兄として抱擁してくださる、イエスが世界の民を、
    イエスが世界の民を。
  5. 静かな夜、聖なる夜。はるか昔から私たちを思い、
    主はご自身の御怒りを鎮めようとされていた。
    御父は、はかり知れないご計画の中で、全世界への祝福を約束された、
    全世界への祝福を約束された。
  6. 静かな夜、聖なる夜。羊飼いたちは最初に御告げを受けた。
    御使いたちの「ハレルヤ!」によって。
    その声は、遠くに近くに響き渡る。「救い主イエスが今ここに」、
    「救い主イエスが今ここに」と。

Stille Nacht heilige Nacht ということばの繰り返しと1番の歌詞に、ダビデが人々の攻撃を受けながら、「主よ どうかあなたの御顔の光を私たちの上に照らしてください。あなたは喜びを私にくださいます……平安のうちに私は身を横たえ……あなただけが 安らかに私を住まわせてくださいます」(詩篇4篇6-8節のみことばが迫ってきます。

また2番の「御子の笑み」の歌詞に、詩篇63篇が迫ってきます。そこでダビデは、荒野の逃亡生活のただ中で、荒野を聖所と呼びながら、「私のたましいは満ち足りています。喜びにあふれた唇で私の口はあなたを賛美します」と告白しています (2、5節)。

以前から、この曲は、1818年のクリスマス・イヴに、ザルツブルグ近郊の小さな村のカトリック教会で、そこの司祭補助のヨゼフ・モールがギターで伴奏をしつつテナーで歌い、作曲者のフランツ・グルーバーがバスで歌ったのが始まりであると知られていました。

それは、その教会にあった小さなポジティブオルガンが故障して音が出なかったからのようです(当教会のポシティブオルガンは今年も美しい音色を響かせています)。

ところが、最近の1995年になって作詞者モールの直筆の歌詞が見つかり、この歌詞は2年前の1816年に彼が24歳のときに既に作られていたことが分かりました。ただこの詩に合わせた作曲が1818年のクリスマス・イヴ直前であったことは確かなようです。

モール直筆の歌詞(ザルツブルク博物館所蔵)

これを通して、作詞者のヨゼフ・モールの生涯に改めて注目が集まりました。彼は、1792年の12月に、貧しさのために兵隊にならざるを得なかった男と、その一時滞在の場で出会った女性との間から生まれました。

しかし、父はすぐに別の場所に移動になり、ヨゼフは父親を知らない私生児として育つことになります。結婚をしないまま彼を産んだ母は、人々の冷たい視線に耐えながら、極貧の中で彼を育てます。

ただ、ヨゼフの美しい声に注目した人が育ての親になってくれ、彼は神学校まで行き、教会で仕えられるようになりました。彼はただ、貧しい村の人々の間でギターを奏でて歌うのが大好きで、上司の司祭からは、「従順の霊に欠ける」と言われ、評価が低かったようです。

そのためいろいろな教会を転々とさせられ、最後の十年は貧しい人々の学校を作って教えるとともに、自分の手にしたお金はすぐに貧しい人々に施しながら、極貧の中で病気になり、56歳で息を引きとります。

しかも、彼は自分の書いた曲がどれだけ世界の人々を慰め、力を与えたかは知りもしませんでした。彼はもともと六節の歌詞を書いています。

私生児として生まれたヨゼフ・モールであるからこそ、居場所がない者の仲間となるために人となられた神の御子イエスの愛が、誰よりも身に沁みたのではないでしょうか。イエスは、父ヨセフの正式な子として産まれましたが、血のつながりはありませんでした。人間的には、私生児と似た境遇とも言えましょう。

この歌詞には、「平和を作りましょう!」という呼びかけは記されていませんが、全能の神であるはずの神の御子が、ひ弱な赤ちゃんとして現れ、その気高い、御口の微笑みによって、私たちの心の中にある怒りや憎しみの思いを消してくださることが歌われています。

また、人となられた神の御子を通して、神の愛が目に見えるように私たちの前に現されたことが歌われています。

そしてまた、イエスが私たちのすべての痛みや悲しみを知る「兄」として私たちを抱擁してくださることが、告げられ、歌われることで、心が柔らかくされます。