民数記33章51節〜36章「境界線 (バウンダリー) を守る生き方」

2016年8月7日

子供が他の子供と争うときに発する最初のことばは、「これは私のもの!」なのかもしれません。以前は、これは第一反抗期などと、否定的に見られてきましたが、最近は、自我形成期として積極的に捉えるようになってきています。 “民数記33章51節〜36章「境界線 (バウンダリー) を守る生き方」” の続きを読む

民数記31章〜33章「主の前で戦い、主の前で生きる」

2016年7月24日

旧約聖書にある民族絶滅の命令とも思われる記述は多くの人々にとっての最大のつまずきです。しかし、それは、約束の地に「神の国」を建てるための一時的なプロセスだということを決して忘れてはなりません。 “民数記31章〜33章「主の前で戦い、主の前で生きる」” の続きを読む

民数記27章12節〜30章「あなたがたの霊的な礼拝」

2016年6月19日

以前、米国行きの飛行機に一人で乗った時、出発直前に、エコノミーの料金でビジネス・クラスへの変更をしていただけました(重量バランス対策)。そこで初めて受けた待遇はとても気持ちの良いものでした。同時に、エコノミークラスに乗ることが初めて惨めに思えたばかりか、「ファーストクラスに乗ってみたいな・・」とまで思ってしまいました。 “民数記27章12節〜30章「あなたがたの霊的な礼拝」” の続きを読む

民数記25章〜27章11節「ねたむほどに恋い慕われている者として」

2016年6月5日

多くの人々は、自分の心の醜さや弱さに失望しながら、もっと輝いた人間に変わりたいと思って神を求めるようになります。また、世の人々も、教会を、高潔な人間になるための修練の場であるかのように期待します。 “民数記25章〜27章11節「ねたむほどに恋い慕われている者として」” の続きを読む

民数記22章〜24章「主は、のろいを祝福に変えられた」

2016年5月15日 ペンテコステ

キリスト教世界ではペンテコステを「聖霊降臨日」と理解しますが、本来の意味は五十日目を意味するに過ぎず、イスラエルの民はそれを「七週の祭り」(出エジプト34:22)と呼び、春の収穫感謝祭として祝いました(レビ23:15-22)。 “民数記22章〜24章「主は、のろいを祝福に変えられた」” の続きを読む

民数記19章〜21章「困難と共存しつつ、主を仰ぎ見る」

2016年4月24日

現代は、しばしば「心地よさ」や「手軽さ」が大切にされます。そして米国の教会などでも一時、「求道者に優しい礼拝」という新しい動きが注目されましたが、最近は、その見直しが起き始めていると言われます。なぜなら、聖書に記された礼拝はそれと正反対とも言えるものだからです。 “民数記19章〜21章「困難と共存しつつ、主を仰ぎ見る」” の続きを読む

民数記15章〜18章「父は真の礼拝者を求めておられる」

2016年4月10日

「ストレス」に関する研究が盛んになっていますが、ついこの前までは、「ストレスは健康に悪いから、なるべく避けたり減らしたりして管理したりする必要がある」という見方が多くありました。しかし最近は、「ストレスは役に立つから、なるべく受け入れて利用し、うまく付き合って行く必要がある」と言われるようになっています。それをテーマにした、「スタンフォードのストレスを力に変える教科書」が多くの書店で売れています。その著者ケリー・マグゴニガルは、「ストレスは健康に悪い」と力説し過ぎたことで人々をかえって病気にしてしまったのではないかと反省し、本書を執筆したとのことです。 “民数記15章〜18章「父は真の礼拝者を求めておられる」” の続きを読む

民数記11章〜14章「誰を恐れて生きるのか」

2016年3月13日

人は心の底で、「もっと良い生活があるはずでは・・・」という期待を持ちます。それは、「神はまた、人の心に永遠を与えられた」(伝道者3:11)とあるように、人の心には、失われたエデンの園への憧れがあるからです。それは、エジプトから出たイスラエルの民にとっての「約束の地」への憧れと同じです。 “民数記11章〜14章「誰を恐れて生きるのか」” の続きを読む

民数記8〜10章「主が先立って歩まれる」

2016年3月6日

多くの人が落ち込むときの最大の原因は、自分の将来の希望が見えなくなったときです。しかし、そんなときでも、「あなたがたにはあすのことはわからないのです」と断言されると、かえって安心できるかもしれません。 “民数記8〜10章「主が先立って歩まれる」” の続きを読む

民数記5章〜7章「主は私たちの交わりに真中に住まわれる」

2016年2月7日

仏教では「死」を、私たちが受け入れ和解すべき人生の常と観て、死の中に安静と苦悩からの救いを見る傾向があります。一方、日本の神道では、「死」を禊ぎ祓うべき「穢れ」と観ます。それは「生の破滅を防ぐ所以」と言われます。それは3500年前のモーセの影響を受けているのかもしれません。日本最古の書の古事記はたった1、300年前に記されたに過ぎないからです。 “民数記5章〜7章「主は私たちの交わりに真中に住まわれる」” の続きを読む