民数記8〜10章「主が先立って歩まれる」

2016年3月6日

多くの人が落ち込むときの最大の原因は、自分の将来の希望が見えなくなったときです。しかし、そんなときでも、「あなたがたにはあすのことはわからないのです」と断言されると、かえって安心できるかもしれません。

もちろん、信仰者はどんなときにも夢を持つことができます。しかしそれは、この地での数年後の保証というより、この目に見える矛盾に満ちた世界が根本的に造り変えられる希望、「新しい天と新しい地」が実現するときです。

そこは神の喜び、平和(シャローム)が満ちた世界です。それを現実として見るとき、あすが分らない世界に、勇気を持って踏み出すことができるのではないでしょうか。

1.「選ばれた種族、王である祭司」としての任職

神の幕屋は、神が民の真ん中に住んでくださることの象徴でした。そして、8章1節から4節まで、「七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにしなさい」(2節)と命じられています。

これは祭司が夜を撤して守り続ける最大の奉仕でしたが、その意味は、「主(ヤハウェ)の御顔」がイスラエルを「照らし」、また「主(ヤハウェ)の御顔」がイスラエルに「向けられる」ことを指し示すことです(6:25,26)。

8章5節から19節までは「レビ人を・・きよめよ」との命令が記されます。11節は英語ESVでは、Aaron shall offer the Levites before the LORD as a wave offering from the people of Israel(アロンはレビ人をイスラエルの民からの揺り動かすささげ物として主の前にささげなさい)と訳されます。

a wave offeringとは、レビ記7章30、31節では牛や羊などの和解のいけにえの「胸を奉献物として主(ヤハウェ)に向かって揺り動かしなさい・・・その胸はアロンとその子らのものとなる」と記されていました。これは、ささげ物が主の所有であることを現わしながら、同時に、祭司の自由に任されることを意味します。

ですから、ここではレビ人が主のものとしてささげられながら、その後、祭司のしもべとなって、幕屋の奉仕に着くことを意味するのだと思われます。そのことが、13節では「あなたはレビ人をアロンとその子らの前に立たせ、彼らを主への揺り動かすささげものとしてささげなさい」(私訳)と記されます。

それは、神がイスラエルを奴隷状態から解放するために、「エジプトの地で・・(過ぎ越しの子羊の血が塗られていない家の)すべての初子を打ち殺した」(17節)ことを覚えるためです。

神の救いは、犠牲なくしてはあり得ませんでした。それで、レビ人は自分たちを全イスラルの初子の代わりに「生きた供え物としてささげる」(ローマ12:1)必要があったのです。

そして、21節は、「レビ人は罪から自分自身をきよめ・・アロンは彼らを揺り動かすささげ物としてささげ、彼らのための贖いをし、きよめた」と訳すことができます。

レビ人が繰り返し、a wave offering「揺り動かすささげもの」として描かれていることは興味深いことです。私たちも、主にささげられ、また人に仕えるために生かされているのです。

しばしば、信仰が自己実現の手段かのように誤解されます。パウロは、私たちには「罪の奴隷」になるか、「義の奴隷」「神の奴隷」になるかの二者択一しかありえないというようなことを記しながら、「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです」と記しています(ローマ6:16-23)。

私たちは無意識のうちに自分の個性や能力を生かすことが神の栄光を現す道だと思ってしまいがちですが、そこから生まれるのは、称賛や名誉や自己満足への憧れです。それはヒーローになりたいという文化の影響を受けています。

しかし、そこからは絶え間のない人と人との比較地獄が生まれます。ごく普通の目立たない生き方がばからしく思えるかもしれません。しかし、神に用いられているという喜びは、人の評価ではなく、神との交わりから生まれます。大切なのは、「神の望み」を生きることです。

事実、私たちのすぐ隣に、慰めやいたわりや援助を必要とする傷ついた人たちが必ずいます。そして私たちのまわりの家族のため、隣人のため、また社会のために「しなければならないこと」が無数にあります

ところが、私たちはヒーローに憧れる文化の中で、そのような小さなことを「つまらない」ことのように誤解しているのです。しかし、神は確かにそのような、目立たない、人から評価されない働きの方に目を向けておられます。

ただし、幕屋の奉仕は肉体労働であるため、50歳の定年制が設けられます。その立場は特権ではなく「奉仕の務めを果たすため」だからです(8:25)。

ただ、高齢の者は「任務を果たすのを助けることはできる」(26節)と添えられています。これは高齢化を迎えた現代にもある示唆を与える制度かもしれません。

私たちもエジプトの初子と同じように自分の罪のゆえに神の怒りを受けて滅びるべき存在でしたが、神の御子の尊い犠牲によって救いへと招き入れられます。それで私たちもレビ人と同じように、「選ばれた種族、王である祭司」(Ⅰペテロ2:9)と呼ばれ、神を礼拝するための奉仕へと招かれています。

キリスト者は神によって一方的に選ばれましたが、それは特権を享受するためではなく、「あなたがたのからだを、神に受け入られる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」(ローマ12:1)という献身が命じられているのです。

2.過ぎ越しを祝うことは、恵みの特権であるとともに義務

9章1-14節は、新改訳では、「過越(すぎこし)のいけにえをささげる」(2,4,5,6,10,11,13,14節)と八回繰り返されますが、原文では「過越(ペサハ)を行う」と記され、「過越を祝う(守る)」という翻訳が多数あります。

確かに、「主(ヤハウェ)へのささげものをささげる」(7,13節)ともあるように、祭りの中心はささげることにはあるのですが、ここでは過ぎ越しの「祭りへの参加」こそが問われていると考えるべきではないでしょうか。

私たちはすぐ、何かに貢献できること自体に意味を見出しがちですが、聖書で繰り返されているテーマは、神のみわざを思い起こし続けることに他なりません。過越の祭りを守ること自体が、「神の望み」なのです。

神はイスラエルを救い出すためエジプトに十の災いを下しますが、その最後に当たって彼らに、「家族ごとに羊一頭を用意し」、その血を二本の門柱とかもいにつけ、その肉を食べるように命じました(出エジ12:3)。そして、主が真夜中にエジプトのすべての初子を打ったとき、「主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださった」(同12:27)のでした。

それを覚えるため、3月から4月にかけての満月の前日(太陰暦の14日)に、子羊を用意してほふることが命じられていました。

ところが、近親者の死亡などのため死体に触れた者は一時的に「宿営の外に送り出され」(5:2私訳)ました。そのように「身を汚している」(7節)者たちから、年に一度の過越のいけにえを、「ささげることを禁じられている」こと自体への疑問が出されました。

それで主は、彼らに一ヶ月遅れの同じ日に祭りを祝うことを許し、「遠い旅路にあった」(10節)人をも含めさせ、一人でも恵みの食卓から漏れないように配慮くださいました。

ただし、そのような機会を軽蔑する者には、「身がきよく、また旅にも出ていない者が、過越を守ることをやめたなら、その者は民から断ち切られなければならない」(13節)と、死刑を命じられました。

過越のいけにえはイスラエルがエジプトの奴隷状態から解放されるためにたった一度だけ必要だったことです。そして、過越の祭りは、この一度限りの決定的な解放を思い起こすことにあります。彼らはすでにエジプトの奴隷状態から解放されているのですから、過越のいけにえの目的は、神のみわざを家族と共に思い起こし感謝すること自体にあります。

たとえば、あなたに特別な恩恵を施してくれた人は、あなたの物質的なお返しを期待しはしないでしょうが、その恩を忘れたら、とっても悲しむことでしょう。忘恩こそ最大の罪です。

最も大切なことは、私たちの側で神のために何かをすることではありません。神はあなたのささげものを必要とするほど貧しい方ではありません。しかし、神は、私たちがいかに忘れっぽいかをご存知だからこそ、神の救いを思い起こすための具体的な祭りを定期的に定めてくださったのです。

そして、私たちにとっての過越とは、イエスが私たちを罪の奴隷状態から解放するために、イエスが十字架に架かってくださったことです。

バプテスマのヨハネは自分の弟子に向かってイエスを指して、「見よ。神の小羊」(ヨハネ1:36)と言いました。イエスこそが私たちにとっての新しい過越の小羊になってくださったのです。そして、聖餐式とはそれを覚えるための神が設定してくださった祭りです。

聖餐式は新しい過越の祭りです。もちろん、聖餐にあずからないことによって、救いを失うというわけではありませんが、原則は適用できます。

私たちは、人から非難されるような罪を犯すのではないかと自分を吟味する以前に、恵みを味わう機会を自分から拒絶してはいないかを問うべきでしょう。

3.「主(ヤハウェ)の命令によって宿営し、主(ヤハウェ)の命令によって旅立った」

このようにイスラエルのすべての民が、荒野での最初の過越の祭りを祝うことができて初めて、彼らはシナイ山から約束の地に向かって旅立つ準備が整いました。そしてまず、「幕屋を立てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった」(9:15)と、出エジプト記最後の描写を思い起されます。これこそイエスの時代の人々が待ち焦がれていた神の臨在のしるしで、人々はそれをシェキナーと呼びました。

そして、「雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立った。そして、雲がとどまるその場所でイスラエル人は宿営し」(9:17)たと描かれます。

18節~23節は美しい詩の形になっています。その最初と最後で、厳密には、「(ヤハウェ)の口によって・・・旅立ち、主(ヤハウェ)の口によって宿営した・・・主(ヤハウェ)の口によって宿営し、主(ヤハウェ)の口によって旅立った」と記されています。

そのことをもとに、「人はパンだけで生きるのではなく、(ヤハウェ)の口から出るすべての者で生きる」(申命記8:3)と言われます。

19節では、「長い間、雲が幕屋の上にとどまるときには、イスラエル人は主(ヤハウェ)の戒めを守って、旅立たなかった」と記されていますが、彼らは急いで約束の地に向かいたがったはずですが、主の導きに忠実でした。

一方、「また雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主(ヤハウェ)の命令によって宿営し、主(ヤハウェ)の命令によって旅立った」(20節)とありますが、神の幕屋を組み立てること、また、各々の宿営のテントを張るには大変な労力が必要でしたが、彼らはどんなに短い滞在でも、長期滞在と同じ宿営の準備をしました。

しかし、「雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立った。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立った」(21節)とあるように、本当に短いサイクルで雲が動き出すことがあっても、彼らはすぐに神の幕屋を決められた手順に従ってたたみ、移動しました。

一方、「二日でも、一月でも、もっと長い間でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った」(22節下線私訳)と、彼らには主がいつ移動されるかの予想がつかなかったことが強調されています。

神の幕屋は、短期の滞在でも長期の滞在でも、まったく同じような建て方、またたたみ方が求められていました。私たちはこの地では旅人であり寄留者であるとも述べられますが、それは同時に、長期滞在にも仮住まいにも、両方に対応できる生活でもあります。

たとえば、あなたの住んでいる地域、また礼拝を守っている教会で、「私はいつ引っ越すか分からないので、奉仕ができません」などと言うことは正しい生き方ではありません。そんなことを言っていたら、どこにおいても中途半端な働きしかできなくなります。

たとえば、よく言われるように、「骨を埋める覚悟で、その地でお仕えするとともに、同時に、主の導きであるならば、すぐにでも自分の働きに固執せずに移動する必要があるということです。その点で、私たちはあまりにも自分の予定や計画にしばられ、柔軟な対応ができなくなりがちではないでしょうか。これは、しばしば、長期的な奉仕が何よりも大切な牧師の働きに当てはめて言われることがあります。

なお、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っていることを知らないのですか」(Ⅰコリント3:16)とある通り、現在の「(ヤハウェ)の栄光」は、教会の交わりの真ん中にあります。

ですから、私たちは、教会を離れた生活の中で、神が命じる旅立ちのときもまた宿営のときも知ることはできません。

世の人々は、明日のことを知りたいと占いに走ります。それこそサタンの計略です。それは麻薬のように、一時的に人を安心させながら、その後にさらに大きな不安をもたらし、人を依存させてゆきます。しかし、神のみこころは、明日のことを知らせないということです。雲はいつ離れるかわからないのです。

ですから次のヤコブの手紙4章13-15節のみことばを覚えるべきでしょう。「聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。』という人たち。あなたがたにはあすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、またあのことをしよう』」

自分の計画に囚われる者は、神を自分の目的の達成の手段に落としてしまいます。しかし私たちは、いつでもどこでも主との交わりを最優先し、その中で柔軟な計画を立て、目の前の働きに誠実を尽くすべきです。

イスラエルの移動の際には、神の幕屋の解体と組み立てが大変な労を要しましたが、たとい一晩の滞在でも一年の滞在と同じ準備が求められていたのですから、私たちもその原則に従うべきです。

4.「主の契約の箱は彼らの先頭に立って進み・・休息の場所を捜した」

10章1-10節には、会衆の召集と、宿営の出発の合図のためのラッパの吹き方が記されています。それぞれ、二つを長く吹き鳴らす、ひとつを吹き鳴らす、短く吹き鳴らす、二度目に短く吹き鳴らすなどの区別がありました。そして、これは祭司の働きでした。

これはイスラエルが、神ご自身の治める国であることの象徴です。ですから、侵略者との戦いに出る場合は、「ラッパを短く吹き鳴らす・・・敵から救われるためである」(9節)と、主の召集に従うときの勝利が確実であることが約束されます。

パウロはこのラッパのたとえを用いながら、集会においては、「舌で明瞭なことばを語る」必要を説きました(Ⅰコリント14:8,9)。

そしてついに「第二年目の第二の月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った」(10:11)のでした。するとユダの宿営の旗の出発に続き、レビのゲルション族、メラリ族が幕屋が取り外して運び、南側のルベンの旗に続いて「聖なるものを運ぶケハテ族が出発。彼らが着くまでに幕屋は建て終えられる」(10:21)と記されます。その後、西側のエフライム、北側のダンの旗のもとに残りが出発します。

興味深いのは、主ご自身が導いてくださるのに、モーセはミデアン人の妻の兄弟を道案内として同行することを求めていることです。それは神の導きを求めることと、人間の道案内を求めることには矛盾はないということです。

信仰という名のもとに人間の様々の経験が軽蔑されることがあってはなりません。なお、士師記1章16節によると「モーセの義兄弟であるケニ人の子孫」として同行したと記されています。

こうして、「彼らは主(ヤハウェ)の山を出て、三日の道のりを進んだ」のですが、その際、「主(ヤハウェ)の契約の箱は彼らの先頭に立って進み、彼らの休息の場所を捜した」(10:33)と記されます。

それは、「契約の箱」は主の臨在の現われで、出発の際は民の真ん中にあるのですが、出発後、すぐに先頭に移ったと描かれています。休息の場所を主ご自身が先頭に立って捜してくださるというのは何という慰めでしょう。

それでモーセは、契約の箱が出発する際は、「主(ヤハウェ)よ。立ち上がってください・・あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように」と祈り、とどまるときは「主(ヤハウェ)よ。お帰りください。イスラエルの幾千幾万の民のもとに(新改訳は「幾千万」と記されているがそれでは多すぎる)」と祈りました(10:35,36)。

私たちの場合は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)と命じられます。それは、イエスが私たちに先立って十字架の苦しみを味わい、栄光を受けられたからです。

私たちは「その足跡に従う」(Ⅰペテロ2:21)ように召されました。イスラエルが主に導かれて出て行ったのは、水も食料もない荒野、強大な敵の前でした。それはまるで主ご自身が迷っておられるようにさえ見えたことでしょう。しかし、それこそ、乳と蜜の流れる約束の地への間違いのない道だったのです。

イスラエルの民は、主の雲だけに目を留めながら、「あすのことはわからない」まま、主の契約の箱を先頭に荒野の中を歩みました。私たちも、「きょう一日」を、契約のみことばに信頼して歩みます。

聖書には、「今日」と「永遠」のことは記されていますが、「あす」のことは記されていません。それは、与えられた一日を大切に生きる中から、おのずと「あす」が開かれるからです。

ですからイエスは、「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイ6:34)と言われました。しかも、人生のゴールが栄光に包まれていることを確信できる者にとっては、途上に起きるすべてのことは、驚きと喜びと冒険の機会となるのではないでしょうか。

多くの人は、人生のゴールが見えていないからこそ明日が不安になります。しかし私たちは、「あすがわからないからこそ、人生は退屈しない!」と言うことができるのです。

このときのイスラエルの民の目的地は、「広い良い地、乳と蜜の流れる地」(出3:8)、私たちの目的地は、神の平和(シャローム)に満ちた「新しい天と新しい地」です。