ヨハネ12章9〜26節「人の子が栄光を受けるその時」

2016年2月28日

この社会には様々な不条理が満ちています。私たちはその解決を政治に求めがちです。確かに、テロとの戦いや隣国との対立感情、貧富の格差の解消など、多くの熱い政治の課題があります。

しかし、人間の歴史を振り返るとき、純粋な思いで始まった様々な運動が、権力を握ったとたん堕落を始めるということの繰り返しです。権力は必ず腐敗するという原則を忘れてはなりません。長期的に何よりも大切なのは、力による解決ではなく、ひとりひとりに愛の心が成長することなのです。

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それはひとつのままです。しかし、もし死ねば豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)は、多くの小説のテーマともなっている聖句です。私はこのみことばを最初、ドストエフスキーの長編小説、「カラマーゾフの兄弟」の扉で目にしました。

その主人公アリョーシャに向かって、間もなく息を引き取ろうとする長老ゾシマは、このみことばを引用しつつ、次のように語ります。

「おまえのことをこんなふうに考えているのです。この僧院の壁の外に出ても、修道僧として俗世で過ごすだろう。多くの敵を持つことになっても、その敵たちさえ、おまえを愛するようになる。人生は多くの不幸をおまえにもたらすが、それらの不幸によっておまえは幸せになり、人生を祝福し、ほかの人々にも人生を祝福させるようになる。これが何よりも大事なのです。おまえはそういう人間なのですよ」と。

多くの人々が、自分の問題の解決を求めてこの教会に足を踏み入れました。そして、問題が解決すると、去って行きました。「先生のおかげで助かりました・・」と、心からの感謝をされ、去って行かれながら、何度、複雑な気持ちを味わったことでしょう。ふと、「あなたの根本的な問題は何も解決していないよ・・・」と言ってやりたい衝動に駆られることがありますが、それでは後が続かなくなるので、微笑みながらお別れします。

またときには、問題が解決する見通しが立たないので、去って行かれる人もいました。

でも、本当に大切なのは、問題の解決よりも、それを通して、心の友の輪が広がることです。また問題のただ中に喜びを見出せるようになることです。そして、問題を抱えたことで、他の人の人生に痛みに共感できるようになり、絶望している人に希望を与えられることです。

私たちは繰り返し、問題解決ばかりを求める自己中心的な生き方に死ぬことによって、より豊かな実を結ぶことができるのです。

 イエスは、ご自分の十字架を指して、「人の子が栄光を受けるその時が来ました」(12:23)と言われました。人類史上最も忌み嫌われた死刑の場が、なぜ、「栄光を受ける時」と呼ばれるのでしょうか。

1.「ホサナ。祝福あれ…イスラエルの王に」

12章は、「イエスは過ぎ越しの祭りの六日前にベタニヤに来られた」(1節)という描写から始まります。それは、ご自身を過ぎ越しのいけにえの子羊として献げるための最後の旅でした。

その村はエルサレムから三キロメートルほどしか離れておらず、すでに指名手配されているイエスには、捕まえられるために出向くようなものでした。ユダヤ人の最高議会はラザロが死んで四日目によみがえったことを聞いたときから「イエスを殺すための計画を立てた」(11:53)と記されていたからです。

「人々はイエスのために、そこに晩餐を用意し」ましたが、これは十字架の六日前の土曜日(安息日)日没後だったと思われます。そこには死んで生きかえったラザロがともにいたので、大勢のユダヤ人の群れがこの家を取り囲んでいました。過ぎ越しの祭りには、世界中からユダヤ人がエルサレムに集まっていました。人々はラザロの復活をはじめとする奇跡を聞いて、イエスに注目していました。

そのような中で、「大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった」(9節)と記されます。

エルサレムに集まったユダヤ人たちはイエスの様々なみわざや教えを伝え聞いてイエスに注目してきたばかりか、死人の中からよみがえったというラザロにも興味を抱きました。

それに対し、「祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである」(10、11節)と記されます。

宗教指導者たちは、民衆のイエスに対する期待が、ローマ帝国に対する独立運動に結びつくと確信しました。それを是が非にでも止めなければ、ローマ人がイスラエルの自治権を完全に奪いる去ることになると信じていました。

そのうちのどれだけの人がイエスを救い主と信じたかは分かりませんが、信じた人々に導かれるような形で、群集の心も動かされ、彼らはイエスのエルサレム入城を歓呼で迎えるようになりました。

そのことが「その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った」と描かれます(12,13節)。

彼らは「大声で」、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に」と「叫び」ました。「ホサナ」とは、もともとヘブル語の「ホシアナ」(さあ、お救いください)から派生したことばで、群衆のことばは詩篇118篇25、26節から生まれています。

そこでは、「ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ救ってください・・・主(ヤハウェ)の御名によって来る人に祝福があるように」と歌われ、その直後に、「主(ヤハウェ)は神であられ、私たちに光を与えられた。枝を持って祭りの行列を組め、祭壇の角のところまで」と続きます。これが「しゅろの木の枝を取って、ホサナ」と叫ぶことにつながっているのだと思います。

しかも、興味深いのは、ここで群衆は、「イスラエルの王に」ということばを付け加えていることです。彼らは力強い軍事指導者としての王を求めていました。

その際、「しゅろの木の葉をかざし・・・賛美の歌をささげた」のは、その約二百年前の紀元前164年にエルサレム神殿をギリシャ人の偶像の神々の支配から解放したユダ・マカベオスによって始まった祭りを思い起こさせる情景です(旧約外典Ⅱマカバイ10:7)。

そこから、「宮きよめの祭り」(10:22「ハヌカ」ユダヤ暦キスレブ(太陽暦11~12月)の25日から祝う)が生まれました。現代のクリスマスはそこから生まれたという解釈もあります。

ギリシャ人との戦いはその後も続きますが、紀元前142年のユダの兄シモンによるエルサレムへの勝利の入場を思い起こさせる情景に、「民は歓喜に満ちてしゅろの枝をかざし、竪琴、シンバル、十二弦を鳴らし、賛美の歌をうたいつつ要塞に入った」という記述があります(旧約外典Ⅰマカバイ13:51)。

「ホサナ。祝福あれ」と叫んでイエスのエルサレム入城を迎えた群衆は、その情景を再現しようとしたのだと思われます。彼らはそれによって、イエスがローマ帝国の支配からエルサレムを解放してくれることを期待したのです。

ただし、興味深いのは、彼らがイエスを王として迎えるために歌った詩篇118篇ではその直前の22,23節には、「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。これは主(ヤハウェ)のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである」と記されていることです。

つまり、イエスご自身は詩篇118篇の賛美が自分に向かれていることを受け止めながら。同時に、それは人々の期待するような一方向の勝利ではなく、一度、「人々から捨てられる」ということを前提として上での神が与える不思議な勝利であるということを知っておられたのです。

十字架を示唆する文脈を、人々は見落としていました。

2.「見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って」

一方、イエスもそのような人々の期待を真正面から喜んでいるかのように、「イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた」というのです。それは、「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って」(15節)と書かれた預言の成就でした。

これはゼカリヤ書9章9節に預言された平和を告げる王としての姿です。そこでは、「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる」と記された直後に、「この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でろばに乗られる。それも雌ろばの子の子ろばに」と、「ろばの子」に乗ることの意味が説明されます。

それはかつて、ソロモンこそがダビデの後継者であったことを示すためにダビデの雌ろばに乗せてエルサレム入城をさせたという故事に基きます(Ⅰ列王1:33-35)。

同時に「ろばの子」に乗るとは、「柔和」また「謙遜」のしるしでした。なぜなら、イスラエルの神ご自身が、「わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる」と約束しておられるからです。

つまり、父なる神ご自身が全地を直接に治めることになるので、戦いの道具としての馬も戦車も必要なくなるということの証しとして、「ろばの子」に乗ってエルサレムに入城するというのです。

そして、それによって逆説的に、「この方は諸国の民に平和(シャローム)を告げ」知らせることになると、続くゼカリヤ9章10節で約束されます。なぜなら、武力を持たないという行進自体が、神の目に見えるご支配を逆説的に明らかにすることになるからです。

そしてその結果が、「その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る」と描かれ、キリストの支配が全世界に及びます(拙著「小預言書の福音」(PP328,329)。

福音記者は、これらの人々の反応に関して、「初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行ったことを、彼らは思い出した」(16節)と解説します。

イエスの弟子たちは、イエスの十字架と復活を目撃した後になって初めて、イエスご自身がゼカリヤ9章に記された柔和な王の姿を演じたということが分かりました。詩篇もゼカリヤ預言も当時の人々は誤解していました。

なお、このとき、これほど多くの人々がイエスを王として迎えたのは、「イエスがラザロを墓から呼び出し、死人の中からよみがえらせたときにイエスといっしょにいた大ぜいの人々は、そのことのあかしをした。そのために群衆もイエスを出迎えた。イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからである」(17、18節)と説明されます。

このとき、イエスは確かに救い主として入城されたのですが、彼らが期待したような意味での救い主ではありませんでした。ですから、このように日曜日にイエスを歓呼で向かえた民は、その週の金曜日には「十字架につけろ」と叫び出すのです。

彼らはこの時、確かにイエスを賛美していたつもりでした。弟子たちも命を賭けて戦うつもりでしたが、四日後には逃げ出しました。

ところが、このときの群衆の反応には、誰よりも、エルサレムの宗教指導者たちが慌てふためきました。そのことが、「そこで、パリサイ人たちは互い」、「どうしたのだ。何一つうまくいっていない。見なさい。世はあげてあの人のあとについて行ってしまった」と言い合ったと描かれています(19節)。

彼らはこれによってイエスへの殺害計画をより入念に進める必要があることを思い知らされました。

イエスはすべてを父なる神におゆだねして、すべての武力を捨て去った者としてエルサレムに入城しました。それなのにエルサレムの宗教指導者たちは、あらゆる悪知恵を使い、またローマ帝国の死刑制度を利用してイエスを死刑にすることへと必死に動き出すことになりました。

すべての人間的な知恵も力も捨て去ることの象徴としての、主イエスの「ろばの子」に乗ったエルサレム入城と、当時の宗教指導者たちの目的のためには手段を選ばないような謀略は何と対照的なことでしょう。

イエスはこのとき、「ろばの子」に乗って、人々の歓呼に迎えられながら、心は悲しみであったかもしれません。

弟子たちも民衆も、神のことばによってイエスをたたえ、イエスを王として迎えているつもりなのですが、彼らは詩篇118篇の文脈も、ゼカリヤ9章の文脈もまったく理解していませんでした。

私たちの賛美はどうでしょうか?人は、基本的に、目の前の問題を解決してくれる救い主を求めています。イエスの弟子たちだって基本的にはそのような人と同じ気持ちでした。

自分の目の前から問題が消えることを求めていたのであって、イエスの心の底の嘆きにはまったく無関心でした。

3.「人の子が栄光を受けるその時」とは?

過ぎ越しの祭りを祝うためにエルサレムに「上って来た人々の中に、ギリシャ人が幾人かいた」(20節)と描かれています。彼らは、ユダヤ人が信じる神を唯一の創造主として礼拝するために来ていたにも関わらず、神殿の外庭までしか入れず、宗教指導者と交わることもできませんでした。

それで、十二弟子のひとりのピリポに向かって「先生」(21節原文では「ご主人」)と呼びかけながらイエスへの対面を願います。彼は判断に迷いアンデレに相談した後、ふたりでイエスのもとに来ました(22節)。

聖書では、終りの日に世界中の民がイスラエルの神の前にひれ伏すと預言されており、弟子たちは、イエスこそそれを成就する救い主だと期待していました。彼らはユダヤ人たちが歓呼の叫びをもってイエスをイスラエルの王として迎えるのを見ました。

そして、ソロモン王に会うためにシェバの女王がはるか南の国からやってきたように、今、ギリシャ人が主のもとに来ました。彼らはそれに誇りと喜びを感じていたことでしょう。

主はそんな気持ちを察し、直接質問に答える代わりに次のように語られます。

イエスはまず「人の子が栄光を受けるその時が来ました」(23節)と言いました。彼らは一瞬、ギリシャ人もイエスを「王」として拝むことと理解し喜んだでしょうが、イエスはそれ以前に、イザヤ書52章13節から始まる主のしもべの歌を思い起こしておられたのではないでしょうか。

そこではまず最初に、「見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる」と約束された上で、その上で、「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた・・・彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた」という受難が記されていました。

つまり、人の子が栄光を受ける時とは、まさに、預言された「主のしもべ」としての生き方をまっとうする時であられたのです。

それで、イエスは続けて、「まことにまことに・・」と重々しく、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(24節)と語ります。

「一粒の麦」は米と同じく、食料とともに種になり得ます。農民は、飢饉の時、種モミさえ食べてしまいたい誘惑に駆られます。しかし、それを地に植えるなら、当面の食料としては死にますが、そこから苗が育ち多くの実をならせます。麦としてのあり方を捨てることが、豊かな収穫の出発点なのです。

同じように、イエスの死は新しいいのちを生み出す種になるのです。イエスはこのみことばをイザヤ書53章10節「彼を砕いて、痛めることは主(ヤハウェ)のみこころであった。もし彼が自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く子孫を見ることができ、主(ヤハウェ)のみこころは彼によって成し遂げられる)を背景に語られたことでしょう。

イエスはまさにイザヤ書53章の苦難のしもべの姿を生きようとされたのです。

それは私たちの生き方をも指し示しますから、イエスは「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです」(25節)と説明を加えました。それは、自分を忘れて神と人とに仕えることで、かえって真実のいのちの喜びを味わい続けることができるという意味です。

ある人は、「惨めな人生を歩んでいる人はほとんど例外なく自己中心的な人である」と言っています。その人は、愛することの喜びを知らないからです。

ですからドストエフスキーは、「地獄とは何か」、それは「愛を渇望する炎の中で」、「もはや愛せないという苦しみ」と描きます。

またイエスは、「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます」(26節)と言われましたが、イエスについて行くとは、地に落ちる一粒の麦になることです。

自分を生かすためにイエスにすがるのではなく、自分の願いではなく主の願いに自分自身を明け渡すのです。

イエスはご自分が十字架にかけられる時を指して、「栄光を受けるとき」と言われました。私たちと同じ弱さに縛られた肉体を持っておられた方が、人間的な欲求に打ち勝って自分のいのちを明け渡すことができたということ自体が栄光でした。

しかも、それはこの世の闇、人間の罪の現実が際立って現わされたときでした。その真暗闇の中でイエスのいのちは輝き、死の力を呑み込んでいました

私は長い間分かりませんでしたが、十字架こそがこの地におけるイエスの玉座だったのです。そこには「栄光の王」(詩篇24篇)としての威厳が満ちていました。ローマの百人隊長はそれを進んで認めました。

私たちはみな、だれしも、「無病息災、家内安全、商売繁盛」を心の底で求めたい者です。それ自体は心の素直な気持ちですから、それを神に求めることは間違っていません。

しかし、残念ながら、その願いがかない続けるということはあり得ません。また、それがかない続けると、人間は傲慢になり、かえって傍若無人に周りの人を傷つけることになりかねません。

大切なのは、常に、神の壮大なみこころに思いを馳せることです。それは神の平和(シャローム)がこの地に広がることに他なりません。この神のみこころを理解せずに、目先の政治を優先した人々が、絶え間のない争いを作りだしてきました。

残念ながらそれはときに、神の名を持ち出しての戦争の正当化にまでつながりました。主の御名によって戦いを正当化するとは、何という皮肉でしょう。

シャロームというみこころを忘れてはなりません。そして、それは、今ここにすでに実現している神の祝福を思い起こすことから、完成の期待へと向かうのです。