エズラ記9、10章「この世と調子を合わせてはいけません」

2021年11月28日

2001年3月当時のアフガニスタンを支配していたタリバンは、バーミヤンの巨大な仏像をロケット砲で破壊し、全世界の人々を敵に回し、その後まもなく政権が崩壊しましたが、20年たって復権しました。ただし、支配地の偶像を破壊するように命じた最古の文書こそ聖書なのです。それは特に申命記7章に明確に命じられています (5節)。 “エズラ記9、10章「この世と調子を合わせてはいけません」” の続きを読む

エズラ7、8章「私たちの神の御手が私たちの上にあって……」

2021年11月7日

今回の箇所には6回にわたって、「 (ヤハウェ) の御手」または「神の恵みの御手」の守りが様々な形で表現されています (7:6、9、28、8:18、22、31)。しかも、そこでは「 (ヤハウェ) の御手」がエズラの上にあったからこそ、ペルシアの王がエズラの働きを全面的に応援し、保護したというように記されています。神の御手による守りと、異教徒の王の保護は、まったく矛盾せずに描かれます。 “エズラ7、8章「私たちの神の御手が私たちの上にあって……」” の続きを読む

エズラ4〜7章「神の目が注がれることの幸い」

2021年10月24日

キリスト教会はときに目に見える慈善事業や社会奉仕に熱心になりすぎ、異教社会の論理に巻き込まれ、信仰の純粋さを失ってきたという面があります。そのような教会はしばしば社会派と呼ばれます。 “エズラ4〜7章「神の目が注がれることの幸い」” の続きを読む

エズラ記3章「主 (ヤハウェ) の神殿の基が据えられた日

2021年10月10日

旧約後半の中心テーマはエルサレム神殿の再建です。それはソロモンの神殿に比べれば「無いに等しい」ほどに小さなものでした。しかし、預言者ハガイはそれを指して、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさる」と主のことばを伝えました。それは、この神殿に神の栄光が戻って来ることを期待してのことばで、それがイエスにあって成就しました。私たちの教会も約10年前に、この慎ましい教会堂を建てるための第一歩を踏み出そうと教会総会を開きましたが、その日の説教箇所が今回の聖書箇所です。創世記から順番に説き明かし始め、はからずもこの箇所になりました。会堂建設に伴う「主へのささげ物」の話などは、個人的にはしたくない話でしたが、まさに主の摂理の中で、この箇所に当たり、多額の献金が与えられる契機になりました。それを覚えながら、謙遜に主のみことばをともに聴きましょう。 “エズラ記3章「主 (ヤハウェ) の神殿の基が据えられた日” の続きを読む

エズラ記1、2章「わざわいではなく平安の計画の実現」

2021年9月26日

私たちは自業自得でとんでもない苦しみに会うことがあるかもしれません。そこで、「もう、私の人生は終わってしまった……」と落胆しながら、後悔の思いで一杯になることがあります。しかし、そこで神に立ち返るとき、どんな悲惨な中からも、不思議な道が開かれてきます。 “エズラ記1、2章「わざわいではなく平安の計画の実現」” の続きを読む

エズラ9章〜10章「この世と調子を合わせてはいけません」

2011年11月13日

私たちは今、新しい会堂の候補地を探していますが、物件が少ない中、予算と敷地面積から可能性のあるのは、競輪場の隣接地と、立川駅南口の場外馬券場を経由するのが近道という場所です。この数ヶ月、様々なご意見も聞きながら本当に悩んできました。 “エズラ9章〜10章「この世と調子を合わせてはいけません」” の続きを読む

エズラ7章〜8章「私たちの神の御手が私たちの上にあって……」

2011年10月30日

今回の箇所には6回にわたって、「主 (ヤハウェ) の御手」または「神の恵みの御手」の守りが様々な形で表現されています(7:6、9、28、8:18、22、31)。しかも、そこでは「主 (ヤハウェ) の御手」がエズラの上にあったからこそ、ペルシャの王がエズラの働きを全面的に応援し、保護したというように記されています。神の御手による守りと、異教徒の王の保護は、まったく矛盾せずに描かれます。 “エズラ7章〜8章「私たちの神の御手が私たちの上にあって……」” の続きを読む

エズラ4章〜6章「神の目が注がれることの幸い」

2011年10月2日

キリスト教会は、しばしば慈善事業や社会奉仕活動に熱心になりすぎることで、信仰における純粋さを失ってきたという面があります。それは働きが評価されすぎることの落とし穴です。そのような教会はしばしば、社会派と呼ばれます。 “エズラ4章〜6章「神の目が注がれることの幸い」” の続きを読む

エズラ3章「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」

2011年9月18日

私たちの礼拝では2004年5月から、創世記1章から駆け足で聖書を解き明かし、聖書の時系列からすればほとんど最後の書に至っています。そしてその中心テーマは、エルサレム神殿の再建です。それはソロモンの神殿に比べれば「無いに等しい」ほどに、ちっぽけなものでした。 “エズラ3章「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」” の続きを読む

エズラ1章〜2章「わざわいではなく平安の計画の実現」

2011年9月11日

私たちは自業自得でとんでもない苦しみに会うことがあるかもしれません。そこで、「もう、私の人生は終わってしまった……」と落胆しながら、後悔の思いで一杯になることがあります。しかし、そこで神に立ち返るとき、どんな悲惨な中からも、不思議な道が開かれてきます。 “エズラ1章〜2章「わざわいではなく平安の計画の実現」” の続きを読む