エズラ7、8章「私たちの神の御手が私たちの上にあって……」

2021年11月7日

今回の箇所には6回にわたって、「 (ヤハウェ) の御手」または「神の恵みの御手」の守りが様々な形で表現されています (7:6、9、28、8:18、22、31)。しかも、そこでは「 (ヤハウェ) の御手」がエズラの上にあったからこそ、ペルシアの王がエズラの働きを全面的に応援し、保護したというように記されています。神の御手による守りと、異教徒の王の保護は、まったく矛盾せずに描かれます。

その際、そこに真剣な祈りがなければ、神ご自身がペルシア王の心を動かしているということがわからなくなります。神の守りを意識するからこそ、「ゆっくりと昼寝ができる……」などというのではなく、神の守りの力を信じているからこそ、必死に神にすがることができるのです。

イエスも異邦人のように祈りの熱心さで神を自分の期待通りに動かすような姿勢を戒めて、「あなたがたの父は・・求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられる」と言っておられますが、同時に、失望せずに祈ることを勧めて、「求めなさい。そすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます」と言われました (マタイ6:8、7:7)。

1. (ヤハウェ) の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた

これらの出来事の後」(7:1) とは、紀元前516年のエルサレム神殿再建の後のことですが、「ペルシアの王アルタクセルクスの治世」とは紀元前464年から423年の期間で、この記事はその「第七年」(7:7) のことですから紀元前458年を指しています。

つまり、神殿の完成から約60年近くが経っているのです。

その上で主人公エズラの家系図が記されます。彼はモーセの兄、祭司アロンにつながる由緒ある祭司の家系であるということが紹介されます。そして、「このエズラがバビロンから上って来たのである。彼はイスラエルの神、主 (ヤハウェ) がお与えになったモーセの律法に通じている学者であった」(7:6) と記されます。

そして、このエズラはエルサレム神殿が再建された後の神の民の信仰生活をモーセの律法にかなったものに正すために、 (ヤハウェ) によってバビロンからエルサレムに遣わされた律法の学者です。

興味深いのは、「彼の神、 (ヤハウェ) の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた」(7:6) と記されていることです。4章21節によるとこの同じ王が、少し前にユダヤ人の敵の訴えを聞いて、エルサレム城壁の再建を中止させる命令を出していたはずだからです。

その絶望的な状況の中に「 (ヤハウェ) の御手」が差し伸べられ、その同じ王がエズラの働きを徹底的に支える側へと変えられたのだと思われます。私たちも主のご支配に信頼して、異教の支配者に謙遜と柔和の姿勢で臨むべきでしょう。

アルタクセルクス王の第七年に、イスラエル人の一部、および祭司、レビ人、歌い手、門衛、宮のしもべの一部が、エルサレムに上って来た」(7:7) とは、紀元前538年のキュロス王の第一年の勅令後の大帰還に続く、第二回目の大規模なユダヤ人の帰還80年後の紀元前458年に起きたという意味です。

そして「エズラは……第一の月の一日にバビロンを出発した。神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日にエルサレムに着いた」(7:8、9) と記されるように、その旅は何と四ヶ月もかかっています。それは彼が、主の守りを確信しながらも、一瞬一瞬、主に祈りながら、慎重に行動したからでしょう。

そしてこの帰還の目的が改めて、「エズラは、主 (ヤハウェ) の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた」(7:10) と記されています。それはエルサレム神殿がせっかく再建されたのに、帰還したユダヤ人たちが毎日の生活に追われ、聖書の朗読を聴く機会もほとんどないまま、神殿礼拝を中心とした信仰生活が心の伴わない儀式のようになっていたからだと思われます(マラキ書参照)

2.天の神の律法の学者である祭司エズラが……求めることは何でも……それを行え

アルタクセルクス王が、祭司であり、学者であるエズラに与えた手紙の写し」(7:11) の内容が12–26節まで当時の公用語であるアラム語のまま記されています。

興味深いことに、ペルシア王自身がエズラに向かってあなたは王とその七人の顧問によって遣わされている……それは、あなたの手にあるあなたの神の律法にしたがって、ユダとエルサレムを調査するためである」(7:14) と書いています。普通なら、イスラエルの民がペルシアの法律や文化を守っているかが調べられるべきですが、ここでは、神の民イスラエルが、神の律法に従っているかどうかを調べるように、エズラに全権が与えられています。

その上で、まず、ペルシアの「王とその顧問たちが、エルサレムを住まいとされるイスラエルの神に進んで献げた銀と金」をエズラに預けると記しています (7:15、16)。彼はエルサレムに着いたとき、そのお金で雄牛、雄羊、子羊などのささげ物を「買い求め」、それをペルシアの王と高官に代わって、主 (ヤハウェ) のいけにえとして献げるように命じられていました。

その上で、「残りの銀と金の使い方については、あなたとあなたの兄弟たちが良いと思うことは何でも、あなたがたの神のみむねにしたがって行うがよい(7:18) と記されます。ペルシア王がエルサレム神殿へのささげ物を委ねるだけでも不思議ですが、さらにエズラとその同行者たちには、ペルシア王の期待ではなく「神のみむね」を実行することが命じられ、認められています。

そればかりか、「あなたの神の宮のために必要なもので、どうしても支出しなければならないものは、王室の金庫からそれを支出してよい」(7:20) と全権が委ねられます。

さらに「ユーフラテス川西方の財務官全員」に向けて、「天の神の律法の学者である祭司エズラが、あなたがたに求めることは何でも、怠りなくそれを行え」(7:21) と言いながら、22節には驚くほど膨大なささげ物の上限が記されます。

ここでの銀百タラントは現在の相場1g 100円で計算すると3.4億円、小麦は2.3万ℓ、ぶどう酒と油はそれぞれ2、300ℓ(市販のぶどう酒瓶で3千本)にも相当します。

そしてそのようにイスラエルの神を敬う理由が、「天の神」のみこころに反したことを行うことによって、「御怒りが王とその子たちの国に下るといけないから」(7:23) と、「 (ヤハウェ) への恐れ」が記されています。これはペルシア王自身が主 (ヤハウェ) を信じる者に回心したという意味ではなく、イスラエルの神ヤハウェの怒りを買うことを恐れるようになったという意味です。王はこの20年前の先代の王の時代に起きたエステル記の出来事を文書で学んだのかもしれません。

24節では、王はエルサレムの「神の宮に仕える者に」課税免除の特権を与えたと記されます。さらに王はエズラに「さばき人や裁判官を任命」する権威を与え、神の民を神の律法によってさばくことを委ねたばかりか、彼らに「神の律法と王の律法を守らない者には……死刑」判決を下す権威を与えました (7:25、26)。

これは後のローマ帝国がイスラエルの指導者に死刑判決を下す裁判権を保留していたのと対照的です。これはエルサレムを中心としたユダの民に自治権が与えられたことを意味します。

エズラはこの王の手紙を受けて、「私たちの父祖の神、主 (ヤハウェ) がほめたたえられますように。主はエルサレムにある主 (ヤハウェ) の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、王とその顧問と、王の有力な高官すべての前で私に恵みを得させてくださった」(7:27、28) と神をたたえます。

それと同時に私の神、主 (ヤハウェ) の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができたと、自分のすべての働きが、自分の力ではなく、 (ヤハウェ) の御手が私の上にあったことの結果として成功に導かれたと告白しています。

私たちも、自分が何かを成し遂げることができたときに、「私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけるように勧められるとともに、同時に「あなたの神、主 (ヤハウェ) を心に据えなさい」と命じられています (申命記8:17、18)。

残念ながら、人はしばしば、物事がうまく運んだときは自分を誇り、期待通りに行かないときには神に不満を言います。しかし、私たちはいつでもどこでも、すべての栄光を神に帰すべきなのです。

3.「神の恵みの御手が私たちの上にあった……これらの者はみな、指名された者であった

アルタクセルクセス王の治世に、バビロンから私と一緒に上って来た一族のかしらと、その系図の記載は次のとおりである」(8:1) と記されながら、2–14節に氏族名が記されていますが、このリストの大部分は2章3–15節に記された80年前の氏族名と重なります。

ただ、ここではまず、祭司の二つの家系「ピネハス族」と「イタマル族」が記され、その上でダビデ族という王家の家系を記しているのが特徴的です。これは、祭司エズラの指導の下に、地上の神の国を再建しようとする意図を明確にしたものです。

エズラは、バビロンの「アハワに流れる川のほとり」に帰還の人々を集め、「三日間、宿営」しますが、「レビ人は見つけることができなかった」というあり得ない事態を発見しました。これではせっかくエルサレム神殿に着いても、預けられた多額の金銀によって多くのいけにえをささげるという礼拝に支障が生じます。

それで彼は「カシフヤ地方のかしらイドのもとに」代表団を派遣し、そこにあった「」(どのような由来かは不明)に仕えているレビ人と彼らに仕えるしもべを募集します。その際、神の恵みの御手が私たちの上にあったので……彼らは……レビの子……のうちから賢明な者……18名を私たちのところに連れて来てくれた。また……メラリの子のうちから……20人、および……220人の宮のしもべたちを連れてきた」(8:18–20) と、必要な人々が主によって導かれたことが強調されます。

そして最後に、「これらの者はみな、指名された者であった」(8:20) と記されます。現在の教会の働きにおいても、基本は一人ひとりの自主性によって必要な人員が満たされるべきですが、蓋を空けてみたら、もっとも大切な働き人が欠けているということもありえます。

そのときは、一人ひとりを指名するようにしながら、主の働き人の必要を満たすという過程が大切です。そして、それが満たされるまで、働きを始めてはならないという時があるかもしれません。

4.私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し

なおエズラは必要な人員がそろった後ですぐに出発する代わりに、何と「断食を布告」したと記されます (8:21)。

その目的は、「神の前でへりくだり……道中の無事を神に願い求めるため」でした。彼らは驚くほど大量のささげものを携えてエルサレムに向かいますから、どこかの民族が大軍団で攻撃して財宝を奪いに来る可能性が十分にありました。

エズラはそれに備えて、「部隊と騎兵たちを王に求める」こともできましたが、そうするのを「恥じた」というのです。なぜなら彼は、かつて王に向かって、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたからでした (8:22)。

なおその際、「主が守ってくださるから大丈夫……」と、何の対策も講じないのではなく、「このことのために断食して、私たちの神に願い求めた」と描かれます (8:23)。

主が守ってくださるという信仰は、何よりも、熱心な祈りとして表されます。なお、22節の「(神を)尋ね求める」というヘブル語は「探し求める」(申命記4:29) とも訳されることばで、神を熱心に真剣に探し求める」という心の動きが見られるからです。

これに対応するギリシャ語は「探す」とか「求める」で、「まず神の国と神の義を求め(探し)なさい」(マタイ6:33) のように用いられます。

その反対に神を捨てるすべての者の上には」、神の「(さばきの)力と怒り」が下ると警告されます。「神を捨てる」とは激しい表現ですが、人は常に何かを信じて生きているはずで、その信仰の対象が聖書の神ではなくなる者への警告のことばです。

自由学園の創立者の さんは、「どんな人でも生きている限り、知らず知らず信仰によって生きている」と言いながら、すべての母親は何らかの信念(信仰)を持っているから子育てができるし、お金儲けのために働く人も「その信念を持って生きている」、反対に懐疑の心の方が強い人は、怖れを抱いて前に進むこともできなくなると説明しています。

つまり、誰であっても、前に向かって進んでいる人は、ある種の信仰によって生きていることは確かなのです。そして、その信仰の対象が、自分の力か、お金の力か、また組織の力や権力者の力である者は、神を捨てた者としてさばきを受けるというのです。

なおこれは、神の守りを求めて真剣に祈りさえしているたら、政治権力による助けや敵の攻撃から命と財産を守るための軍事力は必要ないという意味ではありません。

興味深いことに、この後のネヘミヤ2章8、9節は、「神の恵みの御手が私の上にあったので」と、神が王の心を動かして軍事的な保護を与え、王は、軍の高官たちと騎兵たちを私とともに送り出してくださった」(2:9) と記します。

あるときには神の恵みで軍事的保護が与えられ、あるときはそれが不必要になるということを覚えたいと思います。

そしてこのエズラの四ヶ月にわたる大移動の結果が、ごく簡単に、「すると神は私たちの願いを聞き入れてくださった」と記されています (8:23)。四ヶ月の旅路の大変さを記録する代わりに、断食の祈りと、それに対する神の答えのみが簡潔に記されています。

私たちは神に真剣に祈った結果として、神が私たちの願いを聞き入れてくださったということを自覚でき、感動として味わうことができるのです。

祈らない人は、神の恵み自体を意識することができません。それこそ信仰の破船です。クリスチャンであるとは、イエスの御名によってイエスの父なる神に祈ることができる特権を味わっている人を指します。

5.神の御手が……敵の手、待ち伏せする者の手から、私たちを救い出してくださった

8章24、25節では、エルサレム到着後のこととして、「私は祭司長たちのうちから12人……および同僚10人を選り分け」、「王、顧問たち、高官たち、および、そこにいたすべてのイスラエル人が献げた……神の宮への奉納物である銀、金、器を量って、彼らに渡した」と記されます。

さらにその価値が「銀650タラント……金百タラント」と描かれます (8:26)。なお一タラントは約34㎏ですから、銀は22トン、金は3.4トンになります。銀価格を1g=100円とすると、銀は22億円、金価格を1g=7、200円とすると何と約245億円にも相当します。この多くはペルシア王宮からのささげ物だと思われます。

そして、エズラはこれらを主の宮にささげるにあたって、この十二人の祭司たちに向かってあなたがたは主 (ヤハウェ) の聖なるものである……この銀と金は、あなたがたの父祖の神、主 (ヤハウェ) に対する、進んで献げるものである。あなたがたは、エルサレムの主 (ヤハウェ) の宮の部屋で、祭司長たち、レビ人たち、イスラエルの一族の長たちの前で重さを量るまで、寝ずの番をしてそれらを守りなさいと厳かに命じます (8:28、29)。そして、それらはすでにエルサレム神殿で仕えていた祭司とレビ人たちに無事に渡されました。

私たちの教会においても「主の聖なるもの」とされた牧師や財務担当者が「寝ずの番」をする心がけで皆様の献金が守られています。主の財産は主ご自身が守ってくださるはずですが、主はそのために人間に責任を与えられます。

8章31節では再び旅のことが振り返られ、私たちの神の御手が私たちの上にあり、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から私たちを救い出してくださった」と記され、驚くほど多額のささげ物がエルサレム神殿に無事に献げられたことが確認されます。ここでは「神の御手」と「敵と待ち伏せる者の手のひら」との対比が強調されます。

ヘブル語の「」には「」とか「保護」の意味が込められ、一方ここでの「敵の手」は「手のひら」とも訳されることばを用いて、あえて使い分けが行われているように思えます。

その上で、「捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のささげ物を献げた」と描かれますが、ここでも、「全イスラエルのために雄牛12頭、雄羊96匹……罪のきよめのささげ物として雄やぎ12匹」などと、ユダ族を中心とした民が、イスラエルの十二部族全体を覚えたことが強調されています (8:35)。

そしてエズラ一同が、「王の命令書を、王の太守たちとユーフラテス川西方の総督たちに渡した。この人たちはこの民と神の宮に援助を与えた」と、イスラエルに神の民としての自治権が保障された守られたことが確認されます。この世の王の上には、天地万物の創造主がおられたからです。

私たちの会堂建設においても多額のお金が動きました。私たちはそこで神の御手の守りを求めて真剣に祈りました。祈りのないプロジェクトはこの世的になります。そこに様々な誘惑の手が働き、サタンの攻撃も盛んになります。会堂建設を巡って争いが生まれる教会だってあります。

何よりも大切なのは「神の御手」による導きと守りを真剣に求めて祈り続けることでした。

私たちの中には、「私はお金もないし、能力もないから、何もできなくて、肩身が狭い」などと思う人はいなかったはずです。私たちは皆、揃って主の前に静まり、祈りを献げられたのではないでしょうか。その恵みの奉仕を忘れてはなりません。

私たちの祈りは、呼吸のようなものです。仲の良い家族が些細なことでも分かち合い、ともに悲しみともに喜ぶように、生活のすべてが祈りになるべきでしょう。

羽仁もと子さんは、「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」ということばを繰り返しました。

私たちは地に足の着いた形で「生活する」必要がありますが、そこでは同時に、一つひとつのことを自分の心で「思想」して、自分で納得することが生活の基盤となるべきです。

同時に、日々の生活すべてにおいて、天地万物の創造主との親しい「祈り」の交わりを喜び、信仰を持って前進してゆくことが大切です。生活のすべてが祈りとなることの平安を味わいましょう。