エズラ7章〜8章「私たちの神の御手が私たちの上にあって……」

2011年10月30日

今回の箇所には6回にわたって、「主 (ヤハウェ) の御手」または「神の恵みの御手」の守りが様々な形で表現されています(7:6、9、28、8:18、22、31)。しかも、そこでは「主 (ヤハウェ) の御手」がエズラの上にあったからこそ、ペルシャの王がエズラの働きを全面的に応援し、保護したというように記されています。神の御手による守りと、異教徒の王の保護は、まったく矛盾せずに描かれます。

その際、そこに真剣な祈りがなければ、神ご自身がペルシャ王の心を動かしているということがわからなくなります。神の守りを意識するからこそ、ゆっくりと昼寝ができるというのではなく、神の守りの力を信じているからこそ、必死に神にすがることができるのです。

イエスも異邦人のように祈りの熱心さで神を自分の期待通りに動かすような姿勢を戒めて、「あなたの父なる神は・・お願いする先にあなたがたに必要なものを知っておられる」と言いながらも、失望せずに祈ることを勧めて、「求めなさい。そすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」と言われました (マタイ6:8、7:7)。

1.「主 (ヤハウェ) の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた」

「これらの出来事の後」(7:1) とは、紀元前516年のエルサレム神殿再建の後という意味ですが、「ペルシヤの王アルタシャスタの治世」とは紀元前464年から423年の期間で、この記事はその「第七年」(7:7) のことですから紀元前458年を指しています。つまり、神殿の完成から約60年近くが経っているのです。

その上で主人公エズラの家系図が記されます。彼はモーセの兄、祭司アロンにつながる由緒ある祭司の家系であるということが紹介されます。そして、「エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主 (ヤハウェ) が賜ったモーセの律法に通じている学者であった」(7:6) と記されますが、エズラはエルサレム神殿が再建された後の神の民の信仰生活をモーセの律法にかなったものに正すために主によってバビロンからエルサレムに遣わされた律法の学者です。

興味深いのは「彼の神、主 (ヤハウェ) の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた」(7:6) とあることです。4章21節によるとこの同じ王が、少し前にユダヤ人の敵たちの訴えを聞いて、エルサレム城壁の再建を中止させる命令を出していたはずなのに、ここではその王の態度が180度変わっています。

その絶望的な状況の中に「主 (ヤハウェ) の御手」が差し伸べられ、その同じ王がエズラの働きを徹底的に支える側へと変わったからです。

神は異教の支配者たちの心を変えることができるというのです。私たちも異教徒の権力者と戦いの姿勢を持つ前に、主が彼らの心を変えることができるということに信頼して、謙遜と柔和の姿勢で事に臨むべきでしょう。

「アルタシャスタ王の第七年にも、イスラエル人のある者たち、および、祭司、レビ人、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちのある者たちが、エルサレムに上って来た」(7:7) とは、紀元前538年のクロス王の第一年の勅令後の大帰還に続く、第二回目の大規模なユダヤ人の帰還が80年後の紀元前458年に起きたということを描いたものです。

そしてエズラは「第一の月の一日にバビロンを出発して、第五の月の一日にエルサレムに着いた。彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった」(7:8、9) とあるように何と四ヶ月もかけてこの地に到着したというのです。彼は、主の守りを確信して大胆な行動をしたというのではなく、一瞬一瞬、主に祈りながら、慎重に行動したのでした。

そして、エズラのエルサレム帰還の目的が改めて、「エズラは、主 (ヤハウェ) の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである」(7:10) と記されています。

それはエルサレム神殿がせっかく再建されたのに、帰還したユダヤ人たちが毎日の生活に追われ、聖書の朗読を聴く機会もほとんどないまま、神殿礼拝を中心とした信仰生活が心の伴わない儀式のようになっていたからでした(マラキ書参照)。

2.「天の神の律法の学者である祭司エズラが……求めることは何でも、心してそれを行え」

そして、「アルタシャスタ王が、祭司であり、学者であるエズラに与えた手紙の写し」(7:11) の内容が、12-26節まで当時の公用語であるアラム語のまま記されています。興味深いことに、ペルシャの王自身が、エズラに向かって「あなたは、あなたの手にあるあなたの神の律法に従ってユダとエルサレムを調査するよう、王とその七人の議官によって遣わされており」(7:14) と書いている点です。これはイスラエルの民がペルシャの法律や文化を守っているかを調べる代わりに、神の民が、主 (ヤハウェ) の律法に従っているかどうかを調べるようにエズラに全権を与えているということです。

その上で、まず最初に、ペルシャの「王とその議官たちが、エルサレムに住まわれるイスラエルの神に進んでささげた銀と金」をエズラに預けると記しています (7:15、16)。そして神殿へのささげもののことが記された後に、「残りの銀と金の使い方については、あなたとあなたの兄弟たちがよいと思うことは何でも、あなたがたの神の御心に従って行うがよい」(7:18) とあるように、基本的に、エズラとその同行者たちは、ペルシャ王の期待ではなく、「神の御心」を自由に実行することが許されていると記されます。

そればかりか、「あなたの神の宮のために必要なもので、どうしても調達しなければならないものは、王の宝物倉からそれを調達してよい」(7:20) というばかりか、現在のパレスチナの地域である大河ユーフラテスの「川向こうの宝庫係全員」に向けて、「天の神の律法の学者である祭司エズラが、あなたがたに求めることは何でも、心してそれを行え」(7:21) と言いながら驚くほど膨大なささげものの上限が記されます。

そしてそのようにイスラエルの神を敬う理由が、「天の神」のみこころに反したことを行うことによって、「御怒りが王とその子たちの国に下るといけないから」と、「主 (ヤハウェ) への恐れ」が記されています。

もちろん、これはペルシャ王自身がイスラエルの神ヤハウェのみを礼拝するようになったというのではなく、ヤハウェの怒りを買うことを恐れるようになったという意味です。王は二十年前の先代の王の時代に起きたエステル記の出来事を文書で学んでいたのではないでしょうか。

王は、エルサレムの神の宮に仕える者に課税免除の特権を与えたばかりか、エズラには「さばきつかさや裁判官を任命」する権威を与え、神の民を神の律法によってさばくようにと命じました。

王は、王命によって、イスラエルの民が、主の律法に従って生きるようにと命じるとともに、それを破る者への刑罰の権威までもゆだねたというのです。これは、エルサレムを中心としたユダの民がペルシャ王国内での自治権を確保できることを意味します。

そして、エズラはこの王の手紙を受けて、「私たちの父祖の神、主 (ヤハウェ) はほむべきかな。主はエルサレムにある主 (ヤハウェ) の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、王と、その議官と、すべての王の有力な首長の好意を私に得させてくださった」(7:27、28) と、神をたたえながら、同時に「私の神、主 (ヤハウェ) の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた」と、自分のすべての働きが、自分の力ではなく、神によってなされているということを認めています。

私たちも、自分が何かを成し遂げることができたときに、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけるように勧められるとともに、「あなたの神、主 (ヤハウェ) を心に据えなさい」と命じられています (申命記8:17、18)。

残念ながら、人はしばしば、物事がうまく運んだときは自分を誇り、期待通りに行かないときには神に不満を言います。しかし、私たちはいつでもどこでも、すべての栄光を神に帰すべきなのです。

3.「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し」

「アルタシャスタ王の治世に、バビロンから私といっしょに上って来た一族のかしらとその系図の記載は次のとおりである」(8:1) と記されながら、2-14節に氏族名が記されていますが、このリストの大部分は2章3-15節に記された80年前の氏族名と重なります。

ただ、ここではまず、祭司のふたつの家系「ピネハス族」と「イタマル族」が記され、その上で「ダビデ族」という王家の家系を記しているのが特徴的です。これは、祭司エズラの指導の下に、地上の神の国を再建しようとする意図を明確にしたものです。

エズラは、バビロンの「アハワに流れる川のほとり」に帰還の人々を集め、「三日間、宿営」しましたが、「レビ人をひとりも見つけることができなかった」というあり得ない事態を発見しました。これではせっかくエルサレム神殿に着いても、預けられた多額の金銀によって多くのいけにえをささげるという礼拝に支障が生じます。

それで彼は、「カシフヤ地方のかしらイドのもとに」、代表団を派遣し、そこにあった「宮」(一時的なもの?)で仕えているレビ人と彼らに仕えるしもべを募集します。その際、「神の恵みの御手が私たちの上にあったので……思慮深い人……十八名を私たちのところに連れて来た……」(8:18) と、必要な人々が主によって導かれたことが強調されます。

そして最後に、「これらの者はみな、指名された者であった」(8:20) と記されます。現在の教会の働きにおいても、基本は一人ひとりの自主性によって必要な人員が満たされるべきですが、蓋を空けてみたら、もっとも大切な働き人が欠けているということもありえます。そのときは、ひとりひとりを指名するようにしながら、主の働き人の必要を満たすという過程が大切です。そして、それが満たされるまで、働きを始めてはならないというときがありましょう。

なおエズラは必要な人員がそろった後ですぐに出発する代わりに、何と「断食を布告」したというのです (8:21)。その目的は、「神の前でへりくだり……道中の無事を神に願い求めるため」(8:21) でした。彼らは驚くほど大量のささげものを携えてエルサレムに向かいますから、どこかの民族が大軍団で攻撃して財宝を奪いに来る可能性が十分にありました。

エズラはそれに備えて、「部隊と騎兵たちを王に求める」こともできましたが、そうするのを「恥じた」というのです。なぜなら彼は、かつて王に向かって、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたからでした (8:22)。

なおその際、「主が守ってくださるから大丈夫……」と、何の対策も講じないのではなく、「だから、私たちはこのことのために断食して、私たちの神に願い求めた」というのです。主が守ってくださるという信仰は、何よりも、熱心な祈りとして表されています。

なぜなら、「(神を)尋ね求める」というヘブル語は「慕い求める」(申命記4:29) とも訳されることばで、神を熱心に真剣に「慕い求める」という心の動きが見られるからです。これに対応するギリシャ語は「捜す」とか「求める」で、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6:33) のように用いられます。

そして、その反対に、「神を捨てるすべての者の上には」、神の(さばきの)力と怒りが下ると警告されます。「神を捨てる」とは激しいことばですが、人は常に何かを信じて生きているはずで、その信仰の対象が聖書の神ではなくなる者への警告のことばです。

自由学園の創立者の羽仁もと子さんは、「どんな人でも生きている限り、知らず知らず信仰によって生きている」と言いながら、すべての母親は何らかの信念(信仰)を持っているから子育てができるし、お金儲けのために働く人も信念を持って生きている、反対に懐疑の心の方が強い人は、前に進むこともできなくなると説明しています。

つまり、誰であっても、前に向かって進んでいる人は、ある種の信仰によって生きていることは確かなのです。そして、その信仰の対象が、自分の力か、お金の力か、また組織の力や権力者の力である者は、神を捨てた者としてさばきを受けるというのです。

なお、もちろんこれは、祈りさえしたら、何の目に見える準備も必要ないという意味ではありません。この少し後のネヘミヤは、「王は将校たちと騎兵を私につけてくれた」(2:9) ということを、「神の恵みの御手が私の上にあったので……」と、神が王の心を動かして軍事的な保護を与えてくださったとして説明されています。要は、目に見える権力者の背後に、神の御手を認めたかどうかの違いなのです。

私たちの会堂建設のプロジェクトにおいても、何よりも、主への犠牲を伴った祈りが、もっとも大切な推進力となります。会堂建設は、私たちの信仰を成長させていただける絶好の機会です。多くの経験者が、一様に、「主は私たちの祈りを期待以上に聞き届けて、不可能を可能にしてくださった……」と、主のみわざを賛美しています。

そしてこのエズラの四ヶ月にわたる大移動の結果が、ごく簡単に、「すると神は私たちの願いを聞き入れてくださった」と記されています (8:23)。四ヶ月の旅路の大変さを記録する代わりに、断食の祈りと、それに対する神の答えのみが簡潔に記されています。私たちは神に真剣に祈った結果として、神が私たちの願いを聞き入れてくださったということが感動として味わうことができるのです。

祈らない人は、神の恵み自体を意識することができません。それこそ、信仰の破船です。どちらにしても、祈らない信仰者ほどに、愚かな信仰生活はありません。クリスチャンであるとは、イエスの御名によってイエスの父なる神に祈ることができる特権を味わっている人を指します。

4.「神の御手が……敵の手、待ち伏せする者の手から、私たちを救い出してくださった」

そして、エルサレム到着後のことが、「祭司長たちのうちから十二人」を選び出し、「王や、議官たち、つかさたち、および、そこにいたすべてのイスラエル人がささげた……神の宮への奉納物の銀、金、器類を量って彼らに渡した」と記しながら、その途方もない価値が、「銀六百五十タラント……金百タラント」と描かれます (8:24-26)。

一タラントは約34㎏ですから、銀は22トン、金は3.4トンになります。銀価格を1g=100円とすると銀だけで22億円、金価格を現在の相場1g=4,400円からすると約150億円にも相当します。その他、「一千ダリク相当の金の鉢二十」とありますが、これは約8500gの金に相当します。

これらの多くの部分は、ペルシャ王宮からのささげものだと思われます。そして、エズラはこれらを主の宮にささげるにあたって、この十二人の祭司たちに向かって「あなたがたは主 (ヤハウェ) の聖なるものである。この器類も聖なるものとされている。この銀と金は、あなたがたの父祖の神、主 (ヤハウェ) への進んでささげるささげ物である。あなたがたは、エルサレムの主 (ヤハウェ) の宮の部屋で、祭司長たち、レビ人たち、イスラエルの一族の長たちの前で量るまで、寝ずの番をして守りなさい」と厳かに命じます (8:28、29)。

そして、それらはすでにエルサレム神殿で仕えていた祭司とレビ人たちに無事に渡されました。私たちの教会においても、多くの方々からの多額の会堂献金や債権を管理する人が立てられます。彼らも「主の聖なるもの」とされ、土地の売り手や建設業者に渡すまで「寝ずの番」をする心がけで、「ささげ物」を守る必要があります。

8章31節では再び旅のことが振り返られ、「私たちの神の御手が私たちの上にあって、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から、私たちを救い出してくださった」と記され、驚くほど多額のささげものがエルサレム神殿に無事にささげられたということが確認されます。

ここでは「神の御手」と「敵と待ち伏せる者の手のひら」との対比が強調されています。ヘブル語の「手」には「力」とか「保護」の意味が込められており、一方ここでの「敵の手」は「手のひら」とも訳されることばを用いて、あえて使い分けが行われているように思えます。

その上で、「捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のいけにえをささげた」とありますが、ここでは、「イスラエル全体のために雄牛十二頭、雄羊九十六頭……罪のためのいけにえとして雄やぎ十二頭」などと、ユダ族を中心とした民が、イスラエルの十二部族全体を覚えて「主 (ヤハウェ) への全焼のいけにえ」をささげたことが強調されています。

そして、最後に、エズラが、「王の命令書を、王の太守たちと、川向こうの総督たちに渡した。この人たちは、この民と神の宮とに援助を与えた」と、イスラエルに神の民としての自治権が保障されたということが確認されます。この世の王の上には、天地万物の創造主がおられたことが改めて確認されます。

私たちは今、会堂建設のプロジェクトに着手しています。そこでは多額のお金が動くことになります。そこで何よりも大切なのは、金額よりも、神の守りに信頼し、神の御手の守りを求めて真剣に祈ることです。祈りが不足したプロジェクトはこの世的になります。そこに様々な誘惑の手が働き、またサタンの攻撃が盛んになります。会堂建設をめぐって争いが生まれる教会だってあります。

何よりも大切なのは、「神の御手」による導きと守りを真剣に求めて、様々な犠牲を払いながら祈りに専心することです。人によっては、このようなプロジェクトが動き出したときに、「私はお金もないし、能力もないから、何もできなくて、肩身が狭い思いをする……」などと思うかもしれません。

しかし、どんな人でも、主の前に静まり、祈りをささげることができます。中心的な奉仕者には、様々なサタンの攻撃や誘惑があるでしょう。指導者のため、奉仕者のために、時間をささげて祈ることこそが、最高の奉仕になります。