エズラ4章〜6章「神の目が注がれることの幸い」

2011年10月2日

キリスト教会は、しばしば慈善事業や社会奉仕活動に熱心になりすぎることで、信仰における純粋さを失ってきたという面があります。それは働きが評価されすぎることの落とし穴です。そのような教会はしばしば、社会派と呼ばれます。

それに対する反動として、私たちのルーツの福音派が生まれましたが、この世の活動から一線を画すということを強調しすぎるあまり、しばしば、それが異教社会との対立を生み出し、独善主義に陥りました。私たちは、どのようにその両極端の落とし穴から自由になることができるのでしょうか。

その核心は、「神の目が注がれる」という点に常に立ち返ることです。常に神に立ち返りつつ、人間の働きではなく、神のみわざを期待しましょう。

1.「宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない」

4章初めでは突然、「ユダとベニヤミンの敵たち」ということばが出てきます。彼らは、「捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、【主】のために神殿を建てていると聞いて、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て」、「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです」と言ったと記されています。彼らは神殿建設に協力を申し出ている人であるのに、なぜ「敵」と呼ばれるのかが不思議です。

彼らは自分たちのことを、「アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえをささげてきました」(4:2) と紹介しています。その経緯がⅡ列王記17章に記されています。彼らは遠い異教の地から強制移住させられてきましたが、「彼らがそこに住み始めたとき、彼らは主 (ヤハウェ) を恐れなかったので、主 (ヤハウェ) は彼らのうちに獅子を送られた。獅子は彼らの幾人かを殺した」ということが起き、サマリヤから捕らえ移された祭司のひとりに「どのようにして主 (ヤハウェ) を礼拝することを教え」てもらいました。

ただ、その結果、彼らは混合宗教に陥り、「彼らは主 (ヤハウェ) を礼拝しながら、同時に……自分たちの神々にも仕えていた」ということに落ち着いてしまいました (Ⅱ列王記17:25、27、33)。

しかし、それは、「わたしはヤハウェ、あなたの神、ねたむ神」と言われながら、偶像を造って拝む者には「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼす」と警告しておられる神のお気持ちに真っ向から反する行いです。なお、一代を20年と考えると、三代、四代とは「七十年」になりますから、ユダとベニヤミンの民は、自分たちがバビロン帝国の支配下にあった70年は、まさに神のさばきの現われと思いました。彼らは当然ながら、混合宗教に陥った者たちとは一線を隠さなければならないと心から思っていたことでしょう。

そのため、「ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたち」は、「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、【主】のために宮を建てるつもりだ」と答えることになりました (4:3)。

ところが、その結果として、「すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。このことはペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで続いた」(4:4、5) という妨害活動による工事の中断という事態に陥ってしまいました。

混合宗教というあり方を肯定させたいという者と、いかなる偶像礼拝とも妥協してはならないと思う者たちとの、力と力の対決になってしまったのです。

なお、4章5節の記事は、時間的には24節の記事に飛びまず。6節から23節までは神殿が完成した後の「城壁の修復」にかかわる妨害の記事です。なぜなら神殿の完成は紀元前516年ですが、そのときの王がダリヨスで、その支配は紀元前522年から486年まで続いており、その後継者のアハシュエロスの支配は紀元前586年から464年、またその後継者のアルタシャスタの支配は、紀元前464年から423年であることは明らかだからです。

このような時間を無視したような書き方がされているのは、神殿再建後のアルタシャスタ王の時代に生きたエズラ自身がこのような約束の地に住んでいた者たちの攻撃を生身で体験したからと言えましょう。彼らが神殿建設の協力者のように振舞っていながら、実際は心の中で神の民の「敵」となっていたことはその後の彼らの態度でわかったのです。

事実、4章12節では神殿の再建ではなく現地に住んでいた者たちが、「城壁を修復し、その礎もすでに据えられている」ことをペルシャ王に訴えながら、城壁が修復されると王が領土を失う恐れがあると警告します (4:16)。

そしてその訴えの手紙を受け取ったアルタシャスタ王には、バビロンの王ネブカデネザルの時代に、ユダ王国が何度も前言を翻してバビロンをてこずらせたということを発見しました。それでアルタシャスタ王は、「町の再建」を中断させる命令を出し、その結果、既に建てられた城壁までも壊され、それがネヘミヤの嘆きにつながります。

エズラはこの城壁修復の中断を自ら体験しながら、神殿再建の際にも同じ妨害が起こって、ダリヨス王の第二年の紀元前520年まで工事が中断したという記事につなげたのです。

しばしば、聖書は、歴史的な時系列順に出来事を記すのではなく、時間を越えた原因と結果の関係を明らかに描こうとします。神殿工事の中断も城壁工事の中断も、同じ民族によって、同じ論理の中で起こっているということを著者は描こうとしています。

神の民の敵たちは、神殿建設への協力を申し出ながら、「私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです」と言いましたが、当時のユダヤ人たちはそれを断りました。確かにイエスは、「私たちに反対しない者は、私たちの味方です」(マルコ9:9) と言われましたから、当時のユダヤ人たちは敵にする必要のない者たちを敵にしてしまったという解釈がありえます。

しかし、これは混合宗教に陥るかどうかの分かれ目だったのです。私たちが守る聖餐式は、ある意味で、せっかく思い切って礼拝に来られた求道者に疎外感を味あわせるものかもしれません。しかしそれでも、主の十字架の意味をわきまえない者をその交わりに加えることは、みことばによって堅く禁じられています (Ⅰコリント11:27-29)。この世の人々に理解されやすくすることは、福音の核心に人間的な解釈を混ぜてしまうことになりかねません。

たとえば私たちの会堂建設の計画に関しても、様々な協力を、未信者を含めた外部の人々に幅広く訴える必要がありますが、外部の方々を責任者に据えることはありえません。境界線を明確にできない信仰共同体はこの世の常識に流され、信仰の基本を失ってきたという歴史を忘れてはなりません。

2.「ふたりの預言者は……イスラエルの神の名によって預言した」

「さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言した」(5:1) とありますが、これは神殿工事が礎を築いた直後から約15年間も進んでいなかったことに対して、主が二人の預言者を遣わしてユダの民を励ましたことを指しています。彼らは敵の攻撃以前に、神殿建設の意欲を失っていました。

それに対して預言者ハガイは、「この宮が廃墟になっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべきときであろうか」(1:4) と言いながら、主の宮よりも自分の家を優先することの愚かさを指摘しました。

また預言者ゼカリヤは気力を失いかけている指導者たちを励ましました。主はまず、大祭司ヨシュアがサタンの訴えを受けているときに、ヨシュアに向かって「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう」と言って、主ご自身が彼を大祭司の働きにふさわしい者として立ててくださいました (3:1-7)。

また、ゼルバベルに向かっては、主のことばを、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と言いながら、「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手が、それを完成する」と、彼の指導力を保障してくださいました (4:6、9)。そして、それぞれの預言は紀元前520年ごろのことと思われます。

そしてその結果が、「そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも彼らといっしょにいて、彼らを助けた」(5:2) と記されます。そして、「そのとき、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚とがやって来て」「だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか」(5:3) と尋ねますが、この総督たちは中断していた神殿工事が再開されたことをただ不思議に思い、何が起こったのかを確認しようとしたのでしょう。

なお「川向こう」とはペルシャ帝国の中心地から見ての概念で、ユーフラテス川の南西の地を指し、総督タテナイはサマリヤ地方に拠点を置いていたと思われます。

なお、彼らは反対勢力に味方しているのではなく中立的な立場で、神殿工事の経緯を知らずにこの地の支配を任されるようになった者たちだと思われます。

ただ、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねた (5:4) というのは、その指導者たちがペルシャ王に反抗しようとする者である可能性を危惧し、それならその首謀者の名を知る必要があると思ったからだと思われます。

「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった」(5:5) とあるのは感動的な記述です。普通なら、ダリヨス王が神殿再建に関してどのような意向を持っているかを確認した上で初めて工事を再開すべきなのに、「ユダヤ人の長老たち」は、自分たちがペルシャ帝国に反抗する者と見なされる恐れをものともせずに工事を続けたのです。それは、彼らに「神の目が注がれていた」からです。

興味深いのは、「彼らが神を見上げていた」と書くのではなく、「神の目が彼らの上に注がれていたので」と記されている点です。それは、神ご自身が、「総督タテナイ」たちを制し、ユダヤ人に向かって「立てない」ようにしてくださったからです。

そして、「総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚の川向こうにいる知事たち」が、「ダリヨス王に書き送った手紙」の内容が記されます。それは、まず神殿工事が順調に進みだしている様子をペルシャ王に知らせながら、それがペルシャ王の許可に基づくものであるかを確かめる内容のものでした (5:8-10)。

その上で、ユダヤ人の長老たちがタテナイに書いてきた手紙の内容が記されます。それは、イスラエルの歴史を簡潔に描くもので、「私たちは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建てられていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。しかし、私たちの先祖が、天の神を怒らせたので、神は彼らをカルデヤ人であるバビロンの王ネブカデネザルの手に渡されました。そこで、彼はこの宮を破壊し、民を捕らえてバビロンに移したのです」(5:11、12) と、大王ソロモンが建てた神殿が破壊されたのは、ユダヤ人が天の神を怒らせた結果であると記されます。

その上で、「しかし、バビロンの王クロスの第一年に、クロス王はこの神の宮を再建するよう命令を下しました。クロス王はまた、ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取って、バビロンの神殿に運んで来た神の宮の金、銀の器具を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました」(5:13、14) と描き、神殿の再建においては「天の神」というよりクロス自身が主導したと強調されます。

しかも、「シェシュバツァル」という名は1章8節に登場し、「ユダの君主」と描かれていましたが、彼はペルシャ王に任命されたユダヤ人を支配する「総督」です。すべてがクロスの権威のもとにあるというのです。

その後のことが、「そこで、このシェシュバツァルは来て、エルサレムの神の宮の礎を据えました。その時から今に至るまで(約17年間経過)、建て続けていますが、まだ完成していません」(5:16) と描かれます。

その上で最後に、タテナイからペルシャ王ダリヨスに対する質問が、「ですから今、王さま、もしもよろしければ、あのバビロンにある王の宝物倉を捜させて、エルサレムにあるこの神の宮を建てるためにクロス王からの命令が下されたかどうかをお調べください。そして、このことについての王のご意見を私たちにお伝えください」(5:17) と記されます。

興味深いのは、神殿再建工事の経緯が現地の支配者たちに伝わっていなかったということです。それに対して、ユダの長老たちは、自分たちをペルシャ帝国への反抗者に仕立てようとする「敵」の裏工作を恐れることなく、正面から現地の権力者に、落ち着いた手紙を書き、彼らに真相を確かめたいという思いを起こさせています。

総督タテナイが、「だれがあなたがたに命令を下したのか……この建物を建てている者たちの名は……」と質問したことに対して、ユダヤ人の指導者は、「私たちは天と地の神のしもべであり……」と答えたのは印象的です。

彼らは、タテナイに向かっては、神殿の再建はペルシャ王クロスの主導によるということを明確に印象付けながら、同時に、この神殿の再建のために自分たちを動かしているのは「天と地の神」ご自身であるということを言っています。

つまり、彼らは、命令はクロスから出ていると言いながら、「この建物を建てている者」は人間ではなく神であると言っているのです。ユダヤ人たちは神殿の礎を築いて間もなく、その気持ちが萎えて、働きを中断しましたが、今ここでは、神ご自身が自分たちの上に「目を注ぎ」、この工事を進めておられるという確信を持っていました。

それは、神が預言者たちを立てて与えてくださった確信です。その結果、どのような不安材料が起きても、工事は着々と進められ、工事は順調に進みました。何よりも大切なのは、神ご自身の導きを確信して働きがなされることです。

3.「この神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように」

「それで、ダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、メディヤ州の城の中のアフメタで、一つの巻き物が発見され」(6:1、2)、その中には、「クロス王の第一年に……王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえがささげられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。大きな石の層は三段。木材の層は一段にする。その費用は王家から支払う……」(6:3、4) と記されていたというのです。

ここには神殿正面のことしか描かれないという不十分さがあるにせよ、その大きさが記されます。ソロモンの神殿は高さ30キュビト、幅20キュビト、長さ60キュビトでしたから (Ⅰ列王記6:2)、見かけ上は決して小さいとはいえないものでした。しかも、神殿建設の費用は、ペルシャの王家が支払うとまで記されていました。

そしてここで、ユダヤの長老にとって待ちに待った命令が、「それゆえ、今、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚で川向こうにいる知事たちよ。そこから遠ざかれ。この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちにこの神の宮をもとの所に建てさせよ」(6:6、7) と下されます。

そればかりか神殿工事を援助する内容が、「私は……この神の宮を建てるために……命令を下す。王の収益としての川向こうの地のみつぎの中から、その費用をまちがいなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ……天の神にささげる全焼のいけにえ……エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく……与えよ。こうして彼らが天の神になだめのかおりをささげ、王と王子たちの長寿を祈るようにせよ」(6:8-10) と記されます。

そればかりか、神殿工事を妨害する者たちを沈黙させる命令が、「だれであれ、この法令を犯す者があれば……その者をその上にはりつけにしなければならない……その家はごみの山としなければならない。エルサレムに御名を住まわせられた神は、この命令をあえて犯しエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように」(6:11、12) という内容で下されます。

ユダヤ人たちは敵の妨害に気力をくじかれ、神殿工事を中断してしまいましたが、彼らが新しいペルシャ王の意向がどうなるかもわからないまま工事を再開したとき、ペルシャ王自身が、ユダヤ人の敵を沈黙させる命令を発するという結果が生まれたのです。

そして、神殿工事完成の様子が、「このように、ダリヨス王が書き送ったので、川向こうの総督タテナイ……は、これをまちがいなく行った。ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、また、クロスと、ダリヨスと、ペルシヤの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた。こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した」(6:13-15) と記されます。これは神殿の礎が築かれてから20年後、神殿工事の再開から四年後のことでした。

そして、神殿完成後の最初の礼拝の様子が、「そこで……捕囚から帰って来た人々は、この神の宮の奉献式を喜んで祝った。彼らはこの神の宮の奉献式のために、牛百頭、雄羊二百頭、子羊四百頭をささげた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、イスラエル人全体の罪のためのいけにえとして、雄やぎ十二頭もささげた」(6:16、17) と記されます。

ここにはユダとベニヤミンの二部族だけしかいなかったのに、彼らは十二部族分のいけにえをささげました。それはイザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言書に、神が十二部族を回復させてくださるという約束が繰り返し記されていたからだと思われます。礼拝は、神のみわざの完成を先取りする行為だからです。

その上で、捕囚からの帰還後の最初の過ぎ越しの祭りの様子が、「祭司とレビ人たちは、ひとり残らず身をきよめて、みなきよくなっていたので、彼らは捕囚から帰って来たすべての人々のため……過越のいけにえをほふった。捕囚から戻って来たイスラエル人と、イスラエルの神、【主】を求めて、この国の異邦人の汚れから縁を絶って彼らに加わったすべての者たちとは、これを食べた」(6:19-21) と描かれます。

過ぎ越しの祭りは出エジプトを記念するものですが、ここでは出バビロンという二回目の贖いのみわざを記念しています。しかもそこにはイスラエルの神をだけを信じるようになった異邦人も含まれていました。4章初めの敵対者は混合宗教の信奉者たちで、彼らは礼拝から排除されましたが、偶像礼拝者から縁を断った異邦人は過ぎ越しの祭りに加えられていたのです。

なお最後に、「そして、彼らは七日間、種を入れないパンの祭りを喜んで守った。これは、【主】が彼らを喜ばせ、また、アッシリヤの王の心を彼らに向かわせて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたから」(6:22) と記されますが、ここは「アッシリヤの王」の代わりに「ペルシャの王」と記されるべきかもしれませんが、これはアッシリヤ以来の異教徒の支配を思い起こしての記述だと思われます。

イスラエルの民を苦しめた異教徒の国が、イスラエルを保護し、神殿工事を支援する者と変えられたということは驚くべきことです。

4章は神殿建設の妨害活動の記述から始まりましたが、6章は、異教徒の王がエルサレム神殿の再建を妨害する者に厳しい警告を発して、神殿建設が完成に導かれる様子が描かれます。

その背後には、「イスラエルの神の命令」(6:14) がありました。また過ぎ越しの祭りには異邦人の汚れから縁を断った外国人も加えられました。神は異邦人をも支配しておられます。しかし、同時に、私たちは信仰共同体の境界線を明確にする必要があります。

私たちが何かに取り組もうとするとき、しばしば、何らかの妨害活動が派生し、またこの世の権威との軋轢が生まれます。しかし、「神の目が注がれて」いるならば、どんな妨害も不確定要素も私たちの行く手を阻むことはできません。そこで何よりも大切なのは、自分たちが取り組んでいる働きが、神から出ているかどうかの確信を求めることです。それは神との日々の交わりの中から生まれるものです。

箴言には、「人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる」(16:2) とありますが、人は誰も、自分が正しい道を歩んでいると思い込んでいるものだが、主は心の奥底にある動機を見ておられるという意味です。私たちは自分の心の動機を常に問い直す必要があります。

そしてその直後に、「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない」(16:3) と記されます。「ゆだねる」の基本的な意味は「ころがす」で、「働き」を自分の手から主の手に明け渡すことを意味します。具体的に言うと、たとえば、何かの働きに着手するときに、「主よ、この働きの責任を担ってください。私はあなたの手足として動きますから……」と祈ることではないでしょうか。