マルコ6章14〜29節「権力の罠の中で神の前にひとりで立つ」

2011年9月25日

韓国ドラマでは、朝鮮王朝の歴史物語が多くの人気を博していますが、王宮の中での権力闘争や怨念の連鎖を見るときに、「王族に生まれるのも大変だな・・」と思わされます。しかし、そのようなどろどろとした世界は、神の民であったはずのユダヤ人の歴史に中にも見られました。

人はひとりでは何もできないひ弱な存在なので、いつも何らかの組織を作りますが、そこには権力闘争が必然的に生まれます。自分の理想を実現するためには権力を握るしかないからです。しかし、やがて権力自体が人間の良心を麻痺させて行きます。誠実に生きなくても、力によって望む結果を生み出すことができるからです。

しかし、信仰者はみな、ひとりで神の前に立つということを知っている者です。天の真の権力者を知ることによってのみ、私たちは権力の罠から自由になることができます。

1.イエスからさえも、「あの狐」と呼ばれたヘロデ

「イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った」(6:14)とありますが、このヘロデとは、ヘロデ大王の息子、ヘロデ・アンティパスのことです。彼はガリラヤとヨルダン川東岸のペレヤ地方の国主でしたが、イエスから、「あの狐」(ルカ13:32)と呼ばれるほどずる賢い人間でした。

イエスは、パリサイ人から「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています」と警告を受けたとき、イエスは、「行って、あの狐にこう言いなさい」と言いつつ、ご自身はどのような攻撃や脅しを受けようとも神の御旨を成し遂げ続けるということを、ヘロデに伝えさせようとしました。それは、人の顔色を見てばかりいてその行動に何の真実も見られないヘロデの生き方とは対照的でした。

それにしても、ヘロデは「狐」のように生きていなければ、40年余りにもわたって自分の王座を守り通すことはできなかったことでしょう。彼の父ヘロデ大王はイエスの誕生に際してベツレヘムの二歳以下の男の子を皆殺しにしたほど残虐な王ですが、大王はその前に嫉妬に狂って自分の最愛の妻マリアンメを殺し、続けてその二人の息子も自分の命を狙っていると信じて殺し、自分の死の直前には長男をも殺しました。それで、「ヘロデの息子であるよりはヘロデの豚である方が安全だ」という陰口を叩かれました。それに加えて、当時のユダヤの支配権は、ローマ皇帝から委任されているもので、皇帝の思いひとつで支配権はすぐに奪われる可能性がありました。そのような中で彼が生き残ることができたのは、「狐」のような用心深さを持っていたからだと思われます。

当時の人々の中には、イエスに関して、「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が、彼のうちに働いているのだ」と言う者たちがいました。これはヨハネが人々の信頼を集めながら、ヘロデによってあまりにも無残な死を遂げたことによります。またイエスのことを「エリヤだ」と言う者たちがいたのは、預言者エリヤが地上での死を見ることなく火の戦車とともに天に引き上げられ、マラキ書の終わりでは世の終わりのさばきに先立って再び神から遣わされると預言されていたからです。なお、イエスはバプテスマのヨハネこそ、「きたるべきエリヤなのです」(マタイ11:14)、また、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした」(マタイ11:11)と言っておられました。

なお、ここでイエスのことを、「昔の預言者の中のひとりのような預言者だ」と言っていた人もいたと記されていますが、それこそ人間的には最も自然な解釈と言えましょう。ところが、そのような解釈がある中で、「ヘロデはうわさを聞いて」、不思議なことに、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」と言っていたというのです(6:16)。これはどう考えても迷信的な発想だと言えましょうが、それほどに彼はヨハネを殺したことを後悔しながら不安に襲われていたということを表しているのではないでしょうか。

そして、そのようになった背景が、「実は、このヘロデが、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、──ヘロデはこの女を妻としていた──人をやってヨハネを捕らえ、牢につないだのであった。これは、ヨハネがヘロデに、『あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です』と言い張ったからである」(6:17、18)と記されます。

ヨハネがヘロデを非難したのは、レビ記20章21節に「人が自分の兄弟の妻をめとるなら、それは忌まわしいことだ。彼はその兄弟をはずかしめた」と記されていることに由来します。しかし、そこには、「彼は律法に逆らって自分の兄弟の妻を奪ってしまった」というひと言では済ますことのできない、恐ろしくどろどろとしたドラマがありました。

その少し後の時代にヨセフスが記したユダヤ古代誌を参考にすると以下のような経緯が見えてきます。ヘロデはローマ皇帝の勧めに従って隣国のアラビヤ王アレタスの娘を妻としていましたが、あるときローマに行く途中に腹違いの兄弟ピリポのもとを訪ね、そこでピリポの妻ヘロデヤと恋に落ちます。

ヘロデヤはヘロデがアレタスの娘を追い出すことを条件に、自分もピリポとの間に生まれた娘サロメを引き連れて夫を離縁し、彼と再婚することを約束します。ヘロデはヘロデヤの言うとおりにアレタスの娘を離縁しようとしますが、それを察した彼女は先手を打って彼のもとから逃げ出し、父であるアラビヤ王アレタスにヘロデの非道さを訴えます。それが原因で、後にヘロデはアレタスから攻撃を受け、散々な敗北を喫しますが、ローマ皇帝にうまく取り入って助けてもらい、どうにか危機を乗り越えます。

一方、ヘロデヤも、妻でありながら、夫を捨てることができたのは、自分の血筋を誇っていたからだと思われます。彼女はヘロデ大王の孫娘でしたが、それ以上にヘロデ大王が愛しながら嫉妬で殺害したマリアンメの孫娘でした。そして、マリアンメこそは、ヘロデ大王の陰謀で滅ぼされた正当なユダヤ王家の血を受け継いでいると自負し、夫のヘロデ大王を軽蔑していた女性でした。そしてマリアンメの息子でヘロデ大王に殺害されたアリストブロスからヘロデヤが生まれています。

まさにヘロデヤは高貴な血筋というよりは、怨念を受け継ぎながら育ち、当時の権力者ヘロデ・アンティパスとの再婚によって自分の道を開こうとしていた情熱的な女性でした。

それを背景に、「ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた」(6:19)という記事を読むと、ヘロデヤという特異な女性の恨みを買うことの意味や、その恐怖が伝わってきます。

一方、ヘロデは「ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていた」ばかりか、「ヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも喜んで耳を傾けていた」というのです(6:20)。ここに彼の臆病で歪んだ性格が現れています。彼は真っ向から自分の再婚を非難するヨハネを放置しておくことはできずに投獄していましたが、同時に、「正しく聖なる人」に危害を加えては罰が当たると恐れていました。そればかりか、ヨハネが当時の人々から賞賛されている様子を見て、彼の教えを聞きたいとも思っていました。

彼は恐れと好奇心に動かされた極めて臆病な人間であり、ヨハネの話を聞いたとしても、自分の生き方を反省しようなどという気持ちはまったくありませんでした。

この行動パターンはイエスが、後に捕らえられ、ローマ総督ピラトのもとから一時的にヘロデのもとに送られてきたときのものと似ています。そのときの様子が、「ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。ずっと前からイエスのことを聞いていたので、イエスに会いたいと思っていたし、イエスの行う何かの奇蹟を見たいと考えていたからである」(ルカ23:8)と描かれています。

しかし、そのときイエスはヘロデから何を聞かれてもお答えになりませんでした。それは彼が単に好奇心に駆られているだけで真理を求めようとしていないということがイエスには見えていたからです。ヘロデはこの態度に腹を立てたのか、その後態度を一変させ、「自分の兵士たちといっしょにイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返し」ました(同23:11)。

ヘロデはまさに、何の信念もない、薄っぺらな軽蔑すべき人間の代表者でした。イエスは確かにひとりひとりに誠実に向き合ってくださる方ですが、聞く耳をまったく持とうともしない人の前では沈黙を守り、過ぎ去って行かれることがあったのです。

2.「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます」

ところがここで、「ヘロデヤ」にとって「良い機会が訪れた」というのです(6:21)。「ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けたとき、ヘロデヤの娘が入って来て、踊りを踊ったので、ヘロデも列席の人々も喜んだ」のですが、その際、王は、この少女に、「何でもほしい物を言いなさい。与えよう」と言ったばかりか、愚かにも、「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう」と言って、「誓った」というのです(6:21-23)。

ヘロデは、ローマ皇帝のご機嫌を取り、へつらいながら、ようやく自分の支配地を与えられているに過ぎません。彼はまだ領主ではあっても、正式な「王」としての任命も受けていない不安定な立場にあったのです。しかし、しばしば、そのような不安の中に生きる人こそ、人々の前で虚勢を張り、自分の権力を必要以上に誇示したくなるものです。

威張りたがる人に限って、心の奥底にはとてつもない不安を抱えています。反対に、人の前でへりくだることができるのは、心に安心感を持っている人です。キリストが徹底的に謙遜になることができたのは、彼が真の王であったからです。ヘロデは偽者の王だからこそ、威張る必要があったのです。

ここで、悲劇が起きます。「そこで少女は出て行って」、その母親であるヘロデヤに向かって「何を願いましょうか」と尋ねましたが、ヘロデヤは、何と、「バプテスマのヨハネの首」と言いました。たぶん、自分の血筋を誇っているヘロデヤは落ち着き払って、何でもないことのようにこの残酷なことを願ったことでしょう。

そればかりか、この少女も、「すぐに、大急ぎで王の前に行き」、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます」と言って頼んだというのです。ここでは、「すぐに、大急ぎで・・今すぐに」と、この少女が母親の願いに急かされ、また、王に考える暇も与えないように急かす様子が描かれています。

なお、この少女はサロメという名で、当時の文化からすると、12歳から14歳の間であったと思われ、自分の言っていることの残酷さを十分に理解していました。たぶん、事前に母のヘロデヤと打ち合わせをしていたのではないでしょうか。どちらにしても、サロメは母の連れ子として母に逆らうことができなかったばかりか、同時に、怨念の連鎖の中に生きていたのだと思われます。

ヘロデヤには、自分こそユダ・マカベオス以降のユダヤ人の王家の血筋を受け継ぐ者との誇りがあったことでしょう。しかし、同時に、彼女はヘロデ大王の血を受け継ぐ孫でもありました。そしてヘロデ大王こそ、ユダヤ人の正当な王家を滅ぼした張本人であったばかりか、嫉妬によって王女マリアンメとその息子でヘロデヤの父アリストブロスを殺した当事者です。

血筋への誇りと、それに結びつく怨念、そのような者にとっての権力は、何かの崇高な理想を達成するための手段などではなく、鬱積した恨みをはらすための凶暴な道具となります。権力と怨念が結びつくと、人は普通の人間としての感覚を失ってしまうかのようです。

そして、それはヘロデヤだけの問題ではなく、その娘であるサロメの問題でもありました。彼女は母親の気まぐれな恋愛に振り回されて実の父親のもとから引き離され、母しか頼りにできない環境に置かれています。サロメは母に逆らうことなどできないのです。そして、彼女も、そのような怨念と恐怖を、非道な権力を行使することで和らげようとします。あどけない少女が血のしたたる生首を盆に載せて運ぶことができるというのは、彼女の心がそれ以上の恐怖や恨みに支配され、人間としての自然な感情を失っていた最大の印といえましょう。

ヘロデヤもサロメも、権力者の家族の中にいなかったとしたら、これほど卑劣で残酷な行動は取れなかったことでしょう。権力は偶像になります。権力が人を堕落させます。

3.「自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった」

それに対して、「王は非常に心を痛めた」というのですが、「自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった」と描かれます(6:26)。「好まなかった」というのは、厳密には、「望まなかった」と記されていますが、彼は非常に心を痛めながらも、少女の願いを退けるのを敢えて「望まなかった」のです。それは、「国の半分でも与えよう」と大げさに言った誓いを破ることで、後で恐い妻のヘロデヤに責められ、軽蔑されるという恐れもあったことでしょう。

しかし、ヘロデには何よりも、列席の人々の前で、自分をひ弱な支配者と見られたくはなかったいう歪んだ恐れがあったのではないでしょうか。本来ならば、自分の過ちをすぐに認めるのが真の勇気ですが、ヘロデは臆病すぎて自分の過ちを人々の前で認めることができなかったのです。

そして、その後の経過が、淡々と、「そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した」(6:27)と記されます。

兵士は日頃から、支配者の命令をそのまま実行するように訓練されています。まして、王の家来たちの前で王命に背くことなど不可能です。兵士たちは、まさに機械のように、命じられたことを実行し、ベプテスマのヨハネの首を牢の中でたちどころに切り落とし、その首を盆に載せて、少女に渡しました。そして、この少女も、それをそのまま、母親のヘロデヤに渡しました。

そして、その結果が、「ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった」(6:29)と淡々と記され、悲惨な最後の様子が読者に迫ってきます。誰からも信頼され、時の権力者からも恐れられていた人が、どうしてこんな無残な死を遂げたのでしょう。

これが自分たちの信仰を守るためには命をもかけてローマ帝国と戦うと豪語するユダヤ人が作っていた国で起こったことなのです。そこには「神を恐れる者」がひとりもいなかったのでしょうか・・・・。

そこには「重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人など」、当時のその地の高い地位の人々が招かれていました。そこには、神を恐れる、優しい人間もいたことでしょう。彼らはいったい何をしていたのでしょう。ただし、その場の雰囲気を思い浮かべると何も言えなかった気持ちもわかります。もし、これが公式な祝宴ではなければ、ヘロデヤに恨まれるのを覚悟で、なお、王の命令をたしなめる人もあり得たかもしれません。

しかし、ここにあったのは組織的な動きでした。軍隊組織は命令系統がしっかりしていないと機能しません。そこに列席していた重臣たちは、王の相談を受けたときには発言できても、王が人々の前で兵士に発する命令に意義を唱えることは基本的に許されません。

多くの人々は、組織は誤った決断をしないというとんでもない誤解を抱いています。しかし、歴史を見て明らかなように、組織こそ、個人では決してやり得ない、とんでもない過ちを犯すのです。

たとえば、個人としてのドイツ人は信頼できる人が多くいますが、彼らは組織として600万人ものユダヤ人を虐殺することができました。個人としての日本人は優しい人が多いのですが、組織的には朝鮮半島や中国でとんでもないことをしました。社会保険庁にお勤めの方々はまじめな方がほとんどだったのでしょうが、組織としては年金制度の信用を崩してしまいました。東京電力には優秀な方々が多いのですが、原子力発電所の大規模事故の可能性を想定しないという前提の上に組織が運営されていました。ひとりでは絶対やり得ない過ちを、組織はすることができるのです。

ジェームス・フーストン氏はそのことを、「組織は罪に対して盲目であることが多いものです。なぜなら、誤るはずはないという暗黙の前提があるからです・・・組織は悔い改めるようにはなっていません。誰かが誤ったことをした場合、それを矯正するわけでもなく、自らを深く探ろうともしません。むしろ、組織というものは・・自分自身を政治的に信じ、信頼するように意図されているのです」と指摘しつつ、キリストに従うことができるのは、組織ではなく、個人であるということを決して忘れてはならないと強調しています。

日本では、しばしば、個人的な決断よりも、集団としての決断の方が信頼できるという大きな誤解があります。しかし、ある一人の人が、真剣に神の前に祈り、問題が起きた場合には個人として全責任を負うという覚悟を下す決断であれは、多数決による決断よりも、はるかに信頼できるのではないでしょうか。多数決には個人の責任が曖昧になる危険があります。

宗教改革の原点は、1521年にマルティン・ルターが、ドイツ皇帝臨席の下、ウォルムスで開かれた帝国議会で主張の取り消しを迫られたとき、たった一人で、皇帝の命令に逆らったことに始まります。時の皇帝カール五世はアメリカ大陸をも支配する大国スペインの王でもありました。

ルターは皇帝と議会との前において、「聖書の明らかな証拠によって私の誤りが証明されるのでない限り・・・私の良心は神のことばに堅く結び付けられています。私は、私の良心に反して行動することは危険であり、不名誉でありますから、私は何も取り消すことができません・・・私はこれ以外の何もできません。私はここに立ちます。神よ、私を助けてください」と語りました。

プロテスタント教会、また私たちの自由教会とは、ひとりひとりが神の前に立ち、神のさばきのみを恐れ、自分の良心に反する組織的な決定には従わないということの上に立っています。信仰とは、ひとりひとりが神の前に立つことなのです。

ところで、ヘロデ・アンティパスは、その後、ローマ皇帝がティベリオからカリグラに代わったときにその地位を奪われます。ヘロデヤの弟のヘロデ・アグリッパが、新皇帝のカリグラの幼馴染だった関係を利用してヘロデ・アンティパスの隣り合わせの領地の支配を任されたばかりか、国王の称号を受けることができました。

そのとき妻のヘロデヤは、ヘロデに、「あなたは私の弟より低い地位に甘んじているのか・・」と何度もけしかけられ、皇帝に嘆願しますが、それがかえって皇帝の不興を買い、また、そこにアグリッパの讒言もあり、すべての領土を失ってしまいます。人の顔色ばかり見て自分の身を守ろうとしたヘロデは、最後に、妻の競争心に動かされて自滅しました。

一方、無残な最期を遂げたバプテスマのヨハネは、自分のいのちをかけて王の非道を責めつつ、人々を救い主イエスのもとへと導きました。

そして、イエスは、ヨハネよりもはるかに悲惨な十字架刑で殺されましたが、三日目に死人の中からよみがえりました。キリストは今、天において「王の王、主の主」として世界を治めておられます。

ヘロデ・アンティパスも、ヘロデヤとその娘のサロメも、権力の罠の中で、神のかたちとしての人間性を失ってしまいました。組織も権力も、この社会を変革する上では何よりも有効な手段となります。それはお金と同じように、あまりにも大切なものであるからこそ、偶像になり、人を堕落させます。

力は短期的には自分の望む結果を生み出すことができますが、それが人の良心を麻痺させることがあります。最近も、大臣になったとたん辞任に追い込まれたという例が続きましたが、組織や権力は、その人の持っている罪の性質を露にする力があります。

一方、崇高な理想を持つ高潔な人間には、この世の矛盾を解決するための権力を持ち、人と人との協力を作り出す組織を動かしてもらいたいとも思います。しかし、どんなに立派な人間でも、神を恐れるということを知らなければ、権力を乱用し、組織を機能不全に陥らせてしまいます。それは最近の日本の総理大臣に見られるとおりです。彼らはみな、それなりによい人たちでした。

しかし、「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」(箴言9:10)とあるような意味での、知恵と悟りがありませんでした。力を持つ者は、神を恐れていなければなりません。