エズラ4〜7章「神の目が注がれることの幸い」

2021年10月24日

キリスト教会はときに目に見える慈善事業や社会奉仕に熱心になりすぎ、異教社会の論理に巻き込まれ、信仰の純粋さを失ってきたという面があります。そのような教会はしばしば社会派と呼ばれます。

それと対照的なのが少し前の福音派とも言えますが、この世の活動から一線を画すことを強調し過ぎる余り、それがときに異教社会との対立を生み出し、独善主義に陥りました。

私たちはどのようにその両極端の落とし穴から自由になることができるのでしょうか。その核心は、「神の目が注がれる」という点に常に立ち返ることです。常に神に立ち返りつつ、人間の働きではなく、神のみわざを期待するべきです。

1.宮を建てることは、あなたがたにではなく、私たちに属する事柄です

4章初めでは突然、「ユダとベニヤミンの敵たちということばが出てきます。彼らは「捕囚から帰って来た人々がイスラエルの神、主 (ヤハウェ) のために宮を建てていると聞いて、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て私たちも……いっしょに建てたい。私たちは……あなたがたの神を求めたい」と言ったと記されます。

彼らは神殿建設に協力を申し出ているのに、なぜ呼ばれるのでしょう。彼らは自分たちのことを、「私たちをここに連れて来たアッシリアの王エサル・ハドンの時以来……あなたがたの神に、いけにえを献げてきました」(4:2) と紹介しています。

彼らの先祖は遠い異教の地から強制移住させられ、「そこに住み始めたとき、主 (ヤハウェ) を恐れなかったので、主 (ヤハウェ) は彼らの中に獅子を送り込まれた。獅子は彼らの何人かを殺ししたが、その解決策としてサマリアら捕らえ移された祭司の一人に「どのようにして主 (ヤハウェ) を礼拝することを教えもらいました (Ⅱ列王記17:25–28)。

ただ、彼らは「 (ヤハウェ) だけを恐れなければならない」という教えに従うことができず、「これらの民は主 (ヤハウェ) を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えたという混合宗教に陥ってしまいました (同17:39–41)。

一方、「ユダとベニヤミン民は、自分たちの国の滅亡の理由を、偶像を造って拝む者には「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」という警告の成就と理解していました (出20:5)。一代を20年と考えると三代、四代とは「七十年」になりますから、バビロン帝国の支配下の期間は、神のさばきの現われと解釈できます。

そのことのゆえに、彼らは混合宗教に陥った偶像礼拝者と、ともに主の宮に仕えることはできないと思いました。それで、「ゼルバベルとヨシュアと、そのほかのイスラエルの一族のかしらたち、「私たちの神のために宮を建てることは、あなたがたにではなく、私たちに属する事柄です。ペルシアの王キュロス王が……命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主 (ヤハウェ) のために宮を建てるつもりです」と答えました (4:3)。

そしてその結果が、「すると、その地の民はユダの民の気力を失せようとし、脅して建てさせないようにした。さらに。顧問を買収して彼らに反対させ、この計画をつぶそうとした。このことはペルシアの王キュロス……から……ダレイオスの治世の時まで続いた」(4:4、5) と描かれます。つまり、混合宗教の形を認めさせようとするサマリア人が力づくで、神殿再建を妨害してきたのです。

なお、4章5節の記事は、時間的には24節の記事に飛びまず。

4章6節から23節までは神殿が完成した後の「城壁の修復」(4:12) に対する妨害の記事です。なぜなら神殿の完成は紀元前516年で、そのときの王はダレイオスだったからです。彼の治世は紀元前522年から486年まで続き、後継者クセルクセス(アハシュエロス)の治世は紀元前486年から464年、アルタクセルクス紀元前464年から423年でした。

このように時代を無視して記されているのは、アルタクセルクス王の時代のエズラ自身がこのような約束の地に住んでいた者たちの攻撃を生身で体験したからと言えましょう。彼らが神殿建設の協力者のように振舞いながら、実際は心の中で神の民の「となっていたことはその後の彼らの態度で明らかでした。

事実、4章12節では現地に住んでいた者たちが、城壁を修復し、その礎もすでに据えられて」いたことをペルシア王に訴えながら、「城壁が修復されたら、あなたはこのためにユーフラテス川西方の権益を失ってしまう」と手紙を書きました (4:16)。

それを受け取ったアルタクセルクスは、バビロンの王ネブカドネツァルの時代に、ユダ王国が何度も前言を翻してバビロンをてこずらせたということを発見しました。それで王は「町の再建」を中断させる命令を出し、その結果、当地の権力者は「実力をもって彼らの工事をやめさせ」ました (4:23)。それが後のネヘミヤの嘆きにつながります (ネヘミヤ1章)。

エズラはこの城壁修復の中断を自ら体験しながら、神殿再建の際にも同じ妨害が起こってダレイオスの治世の第二年の紀元前520年まで工事が中断したと伝えようとしました。

しばしば、聖書は、歴史的な時系列順に出来事を記す代わりに時間を越えた原因と結果の関係を明らかに描こうとします。神殿工事の中断も城壁工事の中断も、同じ民族によって、同じ論理の中で起こっているということを著者は描こうとしたのでしょう。

ところでイエスはわたしたちに反対しない人は、わたしたちの味方です」(マルコ9:40) と言われましたが、当時のユダヤ人たちは敵にする必要のない者たちを敵にしたのでしょうか。しかし、これは混合宗教に陥るかどうかの分かれ目でした。

たとえば聖餐式は、せっかく思い切って礼拝に来られた求道者に疎外感を抱かせる機会かもしれませんが、主の十字架の意味をわきまえない者がパンと杯にあずかることは確かに禁じられています (Ⅰコリント11:27–29)。福音自由教会は、新生した信者だけで聖餐式を守ろうとして国教会ら破門された群れであり、境界線を明確にできない信仰共同体はこの世の価値観に流され、信仰の基本を失ってきたと歴史を理解しています。

この世の人々に理解されやすくすることは、ときに福音の核心に人間的な解釈を混ぜてしまうことになりかねません。私たちは会堂建設の際に未信者を含めた外部の方にご協力をお願いしましたが、計画の中身に入っていただくことはありませんでした。

2.二人の預言者は……イスラエルの神の御名によって預言した

さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤという二人の預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言した」(5:1) と記されますが、これは神殿工事が礎を築いた直後から約15年間も進んでいなかったことに対して、主が二人の預言者を遣わして民を励ましたことを指します。彼らは敵の攻撃以前に、神殿建設の意欲を失っていたからです。

ハガイは、「この宮が廃墟になっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか」(1:4) と言いながら、主の宮よりも自分の家を優先することの愚かさを指摘しました。

またゼカリヤは、「サタンが大祭司ヨシュアを訴えようとその右手に立っていた」とき、主が「見よ。わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう」と言われたと伝え、主が彼を大祭司として整えてくださると励ましました (3:2–4)。

また、ゼルバベル向かっては、主のことばを、権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって言いながら、ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手がそれを完成させると伝え、彼の指導力を保障しました (4:6、9)。

そして、それぞれの預言は紀元前520年ごろのことと思われます。

そしてその結果が、「そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた」(5:2) と描かれます。

そのような時期に、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちが……やって来て」「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか尋ねます (5:3)。

総督タテナイはサマリア地方に拠点を置いていた権力者でしたが、神殿工事の経緯を知らなかったため、中立的な立場で状況を確かめたのだと思われます。ただ、この建物を建てている者たちの名は何というのか」(5:4) と尋ねたとは、その指導者たちがペルシア王に反抗しようとする者である可能性を危惧し、それならその首謀者の名を知る必要があると思ったからだと思われます。

ところがここで、「ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができなかった」(5:5) と記されるのは感動的です。

普通なら、神殿再建に関して王の意向の確認が最優先されるべきであるのに、「ユダヤ人の長老たち自分たちがペルシア帝国に反抗する者と見なされる可能性を恐れることもなく工事を続けたのです。

その理由が不思議に、「彼らが神見上げていたから」と記される代わりに、彼らに「神の目注がれていたらと描かれます。それは、神ご自身が「総督タテナイちを制し、ユダヤ人に向かって「立てない」?ようにしてくださったからとも言えましょう。

そして、「総督タテナイと……その同僚のユーフラテス川西方にいる知事たち、「ダレイオス王に送った書状内容が記されます。それは、まず神殿工事が順調に進み出している様子を知らせながら、それがペルシア王の許可に基づくものであるかを確かめるものでした (5:8–10)。

その上で、ユダヤ人の長老たちがタテナイに書いた手紙の内容が記されます。それは、イスラエルの歴史を簡潔に描くもので、「私たちこそは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建っていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。しかし、私たちの先祖が天の神を怒らせたので、神は彼らを……ネブカドネツァルの手に渡されました。彼はこの宮を破壊し、民を捕らえてバビロンに移したのです」(5:11、12) と、神殿の破壊は、ユダヤ人が天の神を怒らせた結果であると記されます。

さらにその上で、「しかし、バビロンの王キュロスの第一年に……王はこの神の宮を建て直すように命令を下しました……王はまた、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンの神殿に運んで行った神の宮の金や銀の器を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました」(5:11–14)と描き、神殿再建においては「天の神いうよりキュロス自身が主導したと強調されます。

しかも、「シェシュバツァル」という名は1章8節では「ユダの首長描かれましたが、ここでは、ペルシア王キュロス自身によって任命されたユダヤ人を支配する総督して記されています。

そればかりか、キュロスに任命された「シェシュバツァルは来て、エルサレムの神の宮の礎を据えました」(5:16) と描かれます。

しかも続けて、「その時から今に至るまで(約17年間経過)、建築が続いていますが、まだ完成していません」と記されます。

そしてその上で最後の質問として、「ですから、王様、もしもよろしければ、エルサレムにあるこの神の宮を建てるために、キュロス王からの命令が下ったのが事実かどうか、あのバビロンにある王室書庫をお調べください。そして、このことについての王のご判断を私たちにお伝えください」(5:17) と記されます。

興味深いのは、神殿再建工事の経緯が現地の支配者たちに伝わっていなかったということです。それに対して、ユダの長老たちはその不始末を指摘することなく、また自分たちをペルシア帝国への反抗者に仕立てようとする裏工作を恐れることもなく、正面から現地の権力者に、落ち着いた手紙を書き、彼らに真相を確かめたいという思いを起こさせています。

総督タテナイ、「命令をだれがあなたがたに下したのか……この建物を建てている者たちの名は……」(5:3、4) と質問したことに対して、ユダヤ人の指導者は私たちは天と地の神のしもべであり……答えたのは印象的です。彼らは、タテナイに向かっては、神殿の再建はペルシア王キュロスの主導によると印象付けながら、同時に、この神殿を建てているのは人間ではなく天と地の神ご自身であると言っているのです。

ユダヤ人たちは神殿の礎を築いて間もなく、その気持ちが萎えてしまいましたが、今ここでは、神ご自身が自分たちの上に「目を注ぎこの工事を進めておられると確信しています。それは、神が預言者たちを立ててくださったからです。

その結果、どのような不安材料が出ても工事は着々と進められ続けました。何よりも大切なのは、神ご自身の導きを確信して働きがなされることです。

3.この神の宮を破壊しようと手を出す王や民をみな、投げ倒されますように

それでダレイオス王は命令を下し……調べさせたところ、メディア州の城の中のエクバタナで一つの巻き物が」発見され (6:1、2)、そこには「キュロス王の第一年に……王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえが献げられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。大きな石の層は三段。木材の層は一段とする。その費用は王家から支払われる」(6:3、4) と記されていました。

ここには神殿正面しか描かれませんが、ソロモンの神殿は高さ30キュビト、幅20キュビト、長さ60キュビトでしたから (Ⅰ列王記6:2)、キュロスの本来の意図はソロモンにまさるものを建てたかったという意味かもしれません。

しかも、神殿建設の費用は、ペルシャの王家が支払うとまで記されていました。

そしてここで、ユダヤの長老にとって待ちに待った命令が、「それゆえ、今、ユーフラテス川西方の総督タテナイと……知事たちよ。そこから遠ざかれ。この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちに、この神の宮を元の場所に建てさせよ」(6:6、7) と下されます。

そればかりか神殿工事を援助する内容が、私は……この神の宮を建てるために……命令を下す。王の収益としてのユーフラテス川西方の地の貢ぎ物の中から、その費用を間違いなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ……天の神に献げる全焼のささげ物のための雄牛、雄羊、子羊、また小麦、塩、ぶどう酒、油を……エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく……与えよ。こうして彼らが天の神に芳ばしい香りを献げ、王と王子たちの長寿を祈るようにせよ」(6:8–10) と記されます。

そればかりか、神殿工事を妨害する者たちを沈黙させる命令が、「だれであれ、この法令を犯す者があれば……その者を……はりつけにしなければならない……その家はごみの山としなければならない。エルサレムに御名を住まわせられた神が……この神の宮を破壊しようと手を下す王や民をみな、投げ倒されますように」(6:11、12) という内容で下されます。

かつてユダヤ人たちは敵の妨害に気力をくじかれ、神殿工事を中断してしまいましたが、彼らが新しいペルシア王の意向がどうなるかもわからないまま工事を再開したとき、ペルシア王自身が、ユダヤ人の沈黙させる命令を発するという結果が生まれたのです。

そして神殿完成の様子が、「ダレイオス王がこう書き送ったので……総督タテナイ……は、間違いなくこれを行った。ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言を通し、建築を行って成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、また、キュロスとダレイオスと、ペルシアの王アルタクセルクスの命令によって、建築を終えた城壁の完成までも含めての工事が描かれ、最後に、「こうして、この宮はダレイオス王の治世の第六年、アダルの月(2、3月)の三日に完成した神殿完成が記されます (6:13–15)。

これは神殿の礎が築かれてから20年後、神殿工事の再開から四年後のことでした。

その上で、「捕囚から帰って来た人たちは、喜びをもってこの神の宮の奉献式を祝った。彼らはこの神の宮の奉献式のために、雄牛百頭、雄羊二百匹、子羊四百頭を献げた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、全イスラエルのための罪のきよめためのささげ物として、雄やぎ十二匹を献げた」(6:16、17) と記されます。

ここには「ユダとベニヤミン」の二部族しかいませんでしたが、彼らは十二部族の分すべてを献げました。それはイザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言書に、神が十二部族を回復させてくださると約束されていたからでしょう。礼拝は、神のみわざの完成を先取りする行為だからです。

さらに捕囚からの帰還後の最初の過越の祭りの様子が、「祭司とレビ人たちは一人残らず身をきよめて、みなきよくなっていたので、捕囚から帰って来たすべての人々のため……過越のいけにえを屠った。捕囚から戻って来たイスラエル人はこれを食べた。イスラエルの神、主 (ヤハウェ) を求めて、その地の異邦の民の汚れから離れて彼らに加わった者たちもそうした」(6:19–21) と描かれます。

過越の祭りは出エジプトを記念するものですが、ここでは「出バビロン」という二回目の「贖い」のみわざを記念しています。しかもそこには異邦人も含まれていました。

4章初めの敵対者は混合宗教の信奉者たちで、彼らは礼拝から排除されましたが、偶像礼拝者から縁を断った異邦人は過ぎ越しの祭りに加えられていたのです。

なお最後に、「そして彼らは七日間、喜びをもって種なしパンの祭りを守った。これは、主 (ヤハウェ) が彼らを喜ばせ、またアッシリアの王の心を彼らに向けて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたから」(6:22) と記されます。

ここは「ペルシアの王」と記されるべきとも思われますが、アッシリア以来の異教徒の支配を思い起こしての記述なのでしょう。イスラエルを苦しめた異教徒の国が、イスラエルを保護し、神殿工事を支援する者と変えられたということが強調されています。

4章は神殿建設の妨害活動の記述から始まりましたが、6章は、異教徒の王がエルサレム神殿の再建を励まし、完成に導かれる様子が描かれます。その背後には、「イスラエルの神の命令」(6:14) がありました。

また過越の祭りには異邦人の汚れから縁を断った外国人も加えられました。神は異邦人をも支配しておられます。しかし、同時に、私たちは信仰共同体の境界線を明確にする必要があります。

私たちが何かに取り組もうとするとき、しばしば、何らかの妨害活動が派生し、またこの世の権威との軋轢が生まれます。しかし、「神の目が注がれて」いるならば、どんな妨害も不確定要素も私たちの行く手を阻むことはできません。

そこで何よりも大切なのは、自分たちが取り組んでいる働きが、神から出ているかどうかの確信を求めることです。それは神との日々の交わりの中から生まれるものです。

箴言には、「人には自分の行ないがみな純粋に見える。しかし主は人の霊の値打ちを量られる」(16:2) と記されます。それは、主が心の奥底にある動機を見ておられるという意味です。私たちはそれを常に問い直す必要があります。

その直後に、「あなたのわざを主 (ヤハウェ) にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ」(同16:3) と記されます。「ゆだねよ」の基本的な意味は「転がせ」で、「働き」を自分の手から主の手に明け渡すことを意味します。具体的に言うと、たとえば、何かの働きに着手するときに、「主よ、この働きの責任を担ってください。私はあなたの手足として動きますから……」と祈ることではないでしょうか。

私たちは自分の願望を主のみこころに結び付けたい傾向がありますが、それから自由になる必要があります。