詩篇131篇「乳離れした児のように」

2019年3月10日 

詩篇131篇は120篇から134篇まで続く「都上りの歌」の一つで、これらの中心主題はエルサレム神殿への巡礼の旅です。私たちも「堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んで……はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白」しているという旅の途中にあります(ヘブル11:9,13)。

私たちは今、ここでの生活が、旅の途中にあると思えば、少々の居心地の悪さに耐えることができます。また様々の分からないことがあっても、「やがて分かる」という希望の中で「待つ」ことができます。 “詩篇131篇「乳離れした児のように」” の続きを読む

詩篇137篇「エルサレムを至上の喜びとして生きる」

2019年2月24日 

イエスの時代のユダヤ人にとっての神の「救い」とは、ローマ帝国の支配から解放されて、ダビデ王国の栄光が回復されることでした。それは「バビロン捕囚からの帰還」、「新しい出エジプト」と呼ぶことができます。

バビロン帝国によってエルサレム神殿が破壊された70年後に、バビロンはペルシャによって滅ぼされ、ユダヤ人のエルサレム帰還が許され、神殿が再建されましたが、それは捕囚の終わりとは言えません。彼らはなおペルシャ帝国の支配下にあったからです。 “詩篇137篇「エルサレムを至上の喜びとして生きる」” の続きを読む

詩篇42〜43篇「心の渇きへの癒し」

2019年1月27日 

今から50年前、米国はベトナム戦争の泥沼化に苦しんでいる中で、Love & Peaceを掲げた反戦運動が盛になっていました。残念ながら当時の米国においては、キリスト教は戦争を正当化する宗教と見られていました。 “詩篇42〜43篇「心の渇きへの癒し」” の続きを読む

詩篇1〜2篇「主の教えを喜ぶ者の幸い」

2019年1月13日 

サラリーマン時代、「主の教えを喜ぶ人は……何をしても栄える」というみことばが、仕事の成功と結びついて嬉しく思えました。しかし、様々な悩みを抱えた方に接しているうちに、その詩篇1篇があまりにも楽天的に見えてきました。主の教えを喜びながらも次から次と厳しい試練に会う人がいるからです。 “詩篇1〜2篇「主の教えを喜ぶ者の幸い」” の続きを読む

詩篇37篇「平和の人には将来がある」

2019年1月1日 

人に裏切られ続けた人は、人の善意を信頼できず、すべてを損得勘定でしか見られないことがあります。不安に駆りたてられている人は、自分の身を守るために、人の手柄を横取りすることさえ平気でします。しかし、恩を仇で返すような行為とか、目的のためには手段を選ばない生き方が、いつまでもまかり通ることなどあり得ません。神は盲目な方ではないからです。 “詩篇37篇「平和の人には将来がある」” の続きを読む

詩篇100篇「全地の民よ 主の大庭へ」

2018年9月9日

  感謝の賛歌
主(ヤハウェ)に喜び叫べ  全地よ。(1)
 主(ヤハウェ)に仕えよ 喜びをもって。(2)
  御前に来たれ  喜び歌いながら。
知れ 主(ヤハウェ)こそ 神であられることを。(3)
 この方が私たちを造られた。私たちは主のもの
  私たちは主の民、主の牧場の羊である。
来たれ 主の門に  感謝をしながら、(4)
 主の大庭へと 賛美しながら。
  主に感謝し 御名をほめたたえよ。
それは主(ヤハウェ)が いつくしみ深く (5)
 主の恵み(慈愛:ヘセド)は とこしえで
  主の真実は 代々に至るから。

詩篇100篇は、主日礼拝の招詞として最も頻繁に用いられる詩篇の一つです。上記の交読文は、日本語として意味が通じる範囲で、原文のリズムを生かした訳です。これは四組の三行詩に分けて読むことができます。まず全体を味わってみると、どのようなことに気づくことができるでしょう? “詩篇100篇「全地の民よ 主の大庭へ」” の続きを読む

詩篇92篇「あなたの御手のわざを私は喜び歌います」

2018年7月22日

「機械の一時停止ボタンを押すと、機械は停止する。しかし、人間の一時停止ボタンを押すと、人間はスタートするんだ」と、世界的企業に倫理とリーダーシップを助言しているダブ・サイドマン氏が説いているとのことです。

続けて、「つまり、じっくり考え始め、思い込みを洗い直し始め、なにが可能であるかについて考えを組み立て始める。もっとも重要なのは、心の底に根付いている信念と、ふたたび結びつき始めることだ。そうなったときに人は、より優れた道をあらたに想像しはじめる」と記しています。

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詩篇19篇「天は語り、みことばは生かす」

2018年1月7日

ふたつのものがある。それに思いを巡らし心を集中させればさせるほど、この心をいつも新たな驚異と畏敬の念に満たしてやまない。それは私の上の星空と、私のうちにある道徳律である」と、ドイツの哲学者インマヌエル・カントは実践理性批判の結びにおいて記しています(私訳)。

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詩篇139篇「神の最高傑作として生かされる」

2017年6月18日

人は今、小川のせせらぎや森の木々、青空ばかりか太陽の光さえなくても過ごせるような人工的な世界に住んでいます。「世界って、何て美しいんだろう!」という感動を最近味わったことがあるでしょうか? “詩篇139篇「神の最高傑作として生かされる」” の続きを読む