Laudate Dominum (Mozart)〜詩篇117篇

今日は詩篇集の中で最も短い117篇です。以下の通りです(私訳)

ほめたたえよ、主 (ヤハウェ) を すべての国々よ。 (1)

この方を称賛せよほめ歌え すべての国民くにたみよ。

それは、主の慈愛(恵み)は私たちの上に大きく (2)

主 (ヤハウェ) の真実まことは、永遠なのだから。

ほめたたえよ 主 (ヤハ) を (ヘブル語では「ハレルヤ」)。

ここには旧約と新約を貫く福音の大切なことが歌われています。原文の始まりは、「ほめたたえよ、主 (ヤハウェ) を」と記され、2節の終わりの「ハレルヤ」は、「ほめたたえよ (ハルル)、主 (ヤハ) を」と訳すことができます。つまり、「ほめたたえよ」という呼びかけがこの詩篇を包んでいるのです。

呼びかけられている相手が、イスラエルの民ではなく「すべての国々」と「すべての国民」であるというのは興味深いことです。なぜなら、旧約においては、イスラエルの民が真の意味で神の民となることで、諸国の民が彼らを見て「このような神を持つ偉大な国民がどこにあるだろうか……このみおしえのすべてのように正しい掟と定めを持つ偉大な国民がどこにいるだろうか」(申命記4:7、8)と言うようになると約束されていたからです。

つまり、異邦人はイスラエルの民を通して、彼らの神をほめたたえるようになると考えられていたのです。

しかもここでは「すべての国民」に向けての呼びかけとして、「この方を称賛せよ(誇れ)」とも訳されることばで訴えられています。イスラエルは自分たちが神の特別な選びを受けたことを前提に、主 (ヤハウェ) を「誇る」ことができましたが、今の終わりの時代には、神から離れていた異邦人が特別な選びを受け、「主 (ヤハウェ) は私たちのことをも特別扱いして、その祈りに耳を傾けてくださる」と喜ぶようになるというのです (申命記4:6-8参照)。

使徒パウロはそのことの不思議を、ローマ人への手紙15章8、9節で「キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者たちのしもべとなられました。父祖たちに与えられた約束を確証するためであり、また異邦人たちもあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです」と記していますが、続くその11節でその根拠としてこの詩の1節を「すべての異邦人よ、主をほめよ。すべての国民が、主をほめたたえるように」という訳で引用しています。

つまり、イエスは割礼を受け「真のイスラエル民」となることで申命記4章の約束を成就してくださったのであり、異邦人たちが肉のイスラエルというより、イエスを通して神を知り、イエスの父なる神をあがめるようになるというのが新約で描かれた救いのストーリーなのです。

この2節では、「それは、主の慈愛(恵み、ヘセド)は私たちに大きい。主 (ヤハウェ) の真実(まこと、エメット)まことは永遠なのだから」と歌われますが、「慈愛」とはヘブル語のヘセドの訳で「変わることのない愛」とか「契約を守る神の真実」とも訳されることばです。また「真実」とはエメットの訳で「アーメン」と同じ語根のことばで「確か」であること「信頼できること」を意味します。

それは、モーセが神に、「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」(出エジプト33:18) と途方もないことを願ったときに、主ご自身が彼の前を通り過ぎ、ご自身のことを「主 (ヤハウェ) は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、慈愛(恵み)と真実(まこと)に富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す」(同34:6、7)と紹介されたことにも現わされています。

「恵みとまこと」こそが、神の栄光の本質であるというのです。そしてヨハネの福音書1章14節では、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た……この方は恵みとまことに満ちておられた」と記されています。つまり、イエスこそが神の栄光の「恵みとまこと」を現す方であられたのです。まさに私たちはイエスを通して、神の恵みとまことを体験し、神をほめたたえるのです。

祈り

イエス様、あなたが神の「恵みとまこと」を異邦人であった私たちに特別に示してくださったことを感謝します。イエスを信じるユダヤ人たちとともに、イスラエルの神を「私たちの神」として心から賛美し、その召しに従う者とさせてください。


詩篇117篇から驚くほど多くのラテン語の歌が生まれています。以下はモーツァルトの作曲のもので、ボーイソプラノが歌うように作曲されたのだと思います。ラテン語との対訳は以下の通りです。

Laudate Dominum omnes gentes

ほめたたえよ、主 (ヤハウェ) を すべての国々よ

Laudate eum, omnes populi

この方を称賛せよ すべての国民(くにたみ)よ

Quoniam confirmata est Super nos misericordia eius,

それは、主の慈愛(恵み)は私たちの上に大きく

Et veritas Domini manet in aeternum.

主 (ヤハウェ) の真実(まこと)は、永遠なのだから。

Gloria Patri et Filio et Spiritui Sancto.

栄光あれ、御父と、御子と、聖霊とに

Sicut erat in principio, et nunc, et semper.

Et in saecula saeculorum.

始まりも 今も 世代を超えて永遠に

アーメン

以下でお聞きください