自己責任とリスクを負う生き方——ルカ19章ミナのたとえ

昨日、日本の北アルプスで行方不明になって八日ぶりに、遭難者が保護されたというニュースが流れました。ほんとうに、日本はなんと優しい国なのかと感動しました。一方で、山が閉じられた後、富士登山を強行する外国人がいるとも報道され、その際、彼らは、「自分のリスクを覚悟して登るのだから……」と身勝手な行動を正当化していると厳しく非難されます。それもわかります。 “自己責任とリスクを負う生き方——ルカ19章ミナのたとえ” の続きを読む

当事者による国会活動——実現している主の救い〜ルカ4:16–21、イザヤ61:1

日頃のメッセージで、キリストによって既に始まっている「救い」に目を留めることの大切さを語らせていただいております。それは、今ここにある「新しい創造」と見ることができます。 “当事者による国会活動——実現している主の救い〜ルカ4:16–21、イザヤ61:1” の続きを読む

リスクと危険は違う〜ルカ19章、詩篇91篇

新型コロナ・オミクロンの恐怖が日々報じられております。確かに重症化率が低いと言っても、基礎疾患のお持ちの方やご高齢の方には「危険」です。特に癒されたと思った後の後遺症の心配があります。 “リスクと危険は違う〜ルカ19章、詩篇91篇” の続きを読む

ルカ24章13〜36節「疑う者とともに歩まれる復活の主」

2021年4月4日イースター

「復活さえなければキリスト教を受け入れられるのに……」と言う人がいます。何しろ、十字架で殺されたはずの人が、新しいからだをもってよみがえり、番兵が見守り封印されている墓の中から忽然と姿を消し、部屋に閉じこもっている弟子たちの真ん中に突然現れ、幽霊ではないしるしとして魚を食べたというのです。 “ルカ24章13〜36節「疑う者とともに歩まれる復活の主」” の続きを読む

ルカ1章26〜56節、2章1〜20節「貧しい処女から生まれた救い主」

2020年12月20日

現在の日本の株式市場は30年ぶりの活況を呈しており、新型コロナ蔓延によって記録的な収益をあげる企業が登場しています。一方、多くの飲食業等のサービス産業が倒産の憂き目にあっており、自殺者が急増しています。 “ルカ1章26〜56節、2章1〜20節「貧しい処女から生まれた救い主」” の続きを読む

ルカ1章1〜25、57〜80節「救い主到来の道備え」

2020年12月13日

私たちはイエスを救い主と告白することで「救われる」と教えられますが、その「救い」とは、目の前の様々な課題の解決となかなか結び付けては理解できないことかも知れません。 “ルカ1章1〜25、57〜80節「救い主到来の道備え」” の続きを読む

ルカ2章1〜19節「飼い葉桶こそ、救い主のしるし」

2017年12月24日
「あればあるほど、不足を感じる」ものこそ、お金と信用と力ではないでしょうか。事実、ある程度のお金を手に持つと次から次とやりたいことが生まれます。それは自己中心の罠である前に、社会の役に立ちたいと思う人にこそ起きる現実とも言えます。貧しい人にパンと住まいを提供したいと熱い情念を持ったら、いくらお金があっても足りませんし、信用と力を持っていないと人々の協力も得られません。 “ルカ2章1〜19節「飼い葉桶こそ、救い主のしるし」” の続きを読む