真珠湾攻撃総隊長 淵田美津雄兄の証し〜ルカ23章34節

先日のポッター先生の はとっても感動的でした。メッセージの最初と最後に紹介された話ですが、講談社文庫から以下のような本として出ており、その最後に、ディシェイザー宣教師の証しのトラクトも一緒に掲載されております

真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝

ポッター先生がお話しくださったように、国籍が天にある者どうしのすばらしい宣教協力の姿が描かれております。これはもと2007年に講談社という一般の出版社から発行されており、それが文庫化されているということが感動的です。先日は時間の関係で紹介されなかった淵田隊長のすばらしい証しがあります。

淵田さんは、第二次大戦後の極東軍事裁判の進め方に激しい怒りを覚えておられました。そこでたとえば、日本の捕虜の扱いの非道さが問題になっていたので、彼は反対に米国で捕虜とされた日本兵から、彼らに対する扱いの非道さの証言を集めようと、何人もの人にインタビューしました。そこには確かに、不当な扱いの証言も聞かれました。しかし、米国のユタ州のキャンプで手や足を失った傷病兵が受けた手厚い治療に驚きました。それを中心的に担っていた一人のアメリカ人の女性、マーガレット・コヴェルという方の親切に日本の兵隊たちは深く感動しました。それで彼らは、彼女に、どうしてそこまで自分たちに尽くしてくれるのかと尋ねました。彼女の両親はバプテストの宣教師として長らく神戸で奉仕し、太平洋戦争開始とともにフィリピンに逃れましたが、戦争末期になって、日本兵が暴虐化する中で、発見され、スパイ容疑で、日本刀で二人そろって首を切られました。

そのようすを見ていた方がいて、二人は両手を縛られながら、心を合わせて熱い祈りをささげていたと伝えられました。マーガレットには、両親が不当な扱いを受けながら、必死に何を祈っていたかが想像できるようになり、彼女は、両親が日本人の救いのために祈っていたと確信できまきました。それで、自分に今そこで、できることとして、日本人の傷病兵のお世話ができるということに思い至ったとのことでした。

淵田さんは、この話を聞いて深い感銘を受けました。まったく自分の想像を超えた行いを聞いて、マーガレットの両親は何を祈っていたのか……と深く思い巡らすようになりました。そのようなときに、彼はたまたま通りすがりに、ディシェイザー宣教師の証しのトラクトを手にしました。そして、淵田さんは、自分はどうしても聖書を必要があると示されました。そして、聖書を読み進む中で、イエスが十字架に架けられながら、次のように祈っておられたということばに出会いました

父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのかが分かっていないのです。
ルカ23:34

淵田さんは、マーガレットの両親も、最後にそのように祈っていたに違いないと確信しました。そして、その祈りを行動で現わしたのが彼女であると……

そして、「何をしているのかが分からず」に米国を憎み、真珠湾攻撃の功績を誇っている自分こそ、罪人であるということが分かりました。自分は47年間、創造主を忘れ、何をしているかが分からずに生きていたと知りました。そして、ディシェイザーのトラクトの最後に記された次の祈りを心から自分のものとして祈りました

私はただいま、神の独り子にいますイエス・キリストを私自身の救い主としてお受けいたします。
1950年2月26日

淵田さんは、その後、米国中を巡回して回心の体験をあかしします。そこにはビリー・グラハムの伝道集会などもありました。ただ、彼はどこにおいても、真珠湾攻撃の罪を悔いるようなことは言っていません。それが、彼が一部のアメリカ人から非難された理由です。

彼がどこでも強調していたのは、「憎しみ」から解放される必要がある、互いへの憎しみを正当化することこそが罪であるということでした。

僕はハワイの真珠湾記念館に行って驚いたことがあります。そこでは、淵田美津雄隊長の功績とともに、真珠湾攻撃がどれほど軍事作戦的に優れたものであったかが紹介されていました。武器を持って戦うことに関しては信仰者の中にもいろんな見解があります。多くの米国人の信仰者は、戦争が必要な場合もあることを率直に認めています。

たとえば、現在イスラエルによる軍事作戦のことが話題になっています。それに対して、様々な見解があり得ます。

しかし、そこで私たちクリスチャンが何よりも祈るべきことは、憎しみの連鎖が止められることではないでしょうか。それこそが、イエス様が願っておられることであるという点では、すべてのクリスチャンが一致できるでしょう。

正義感に駆り立てられて戦う人の中に、「憎しみ」があること自体が問題なのです。私たちはその憎しみの思いを正直に認めて、父なる神にお祈りする必要があります。自分で憎しみを消すのではなく、憎しみの心を正直に認めて、それを父なる神様に訴えるのです。そこから聖霊の働きが始まります。そして憎しみが愛に変えられるところに平和が生まれます。

淵田さんの回心の背後に、両親を無残に殺されながら、日本兵のために仕えようとしたマーガレットの愛があります。マーガレットや彼女の両親は、自分たちの行為が、これほどの影響力を持って広がったということを知らなかったでしょう。

私たちが身近なところで行うことができる世界宣教の働きがあります。