ルカによる福音書3章「さばきのために来られた救い主」

2023年12月24日

今回はクリスマス礼拝にあたり、イエスをバプテスマのヨハネと比較することで、イエスがどれほど優しく、同時に力強い「救い主」であるかを明らかにするためにルカ3章を選びました。

しかし、実際に取り組んでみて、これをどのように分かりやすく伝えられるか困惑してしまいました。でも散歩しながら思い巡らしているとき示されました。

現在、私たちがニュースを見ながら心を痛めているのは、お金と権力で弱い人々を苦しめるこの社会の不条理です。バプテスマのヨハネもイエスも、この世の権力者と命がけで戦ったということで共通しています。私たちはイエスを罪からの「救い主」として信じ受け入れますが、ヨハネはさばき主」の到来を告げ、それに向け「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」ように迫りました。

実は救い」と「さばき」はセットなのです。事実イエスはパリサイ人に向かって、「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです」(ヨハネ9:39) と言われました。

そしてイエスを受け入れなかったエルサレムとその指導者たちは、その40年後にローマ軍によって滅ぼされます。二千年前もイエスは「さばき主」として現れたのです。そして世の終わりにイエスは再び「さばき主」として現れます。

自分は大丈夫だと思い、イエスの招きを拒絶する人は、既にさばかれています。人は、救いを求める「心の渇き」がなければ、どんな良い話を聞いても救い主を心に迎え入れることはできません。あなたはヨハネの命がけの働きを素通りして、良い知らせだけを聞こうとはしていないでしょうか?

1.「ヨハネは……罪の赦しに導く悔い改め(回心)のバプテスマを宣べ伝えた」

3章1節の「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」という記述から、イエスの時代が確定できます。それは23節で「イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で」と記されるからです。私たちが西暦と呼ぶ年表は、紀元525年にディオニシウスという神学者が、イエスの降誕を軸に年を数えることを提案したことに始まります。

それはイエスが生まれて八日目に割礼を受けた日を紀元1年1月1日にするもので、それは12月25日を誕生の日とする前提です。ただこれも当時のユダヤ人が紀元前164年のユダ・マカベオスによるエルサレム神殿の回復を祝っていた「宮きよめの祭り(キスレーウの25日、太陰暦)」(ヨハネ10:22) を3世紀にクリスマスに置き変えたためと言われます。それはこれが「光の祭り」と呼ばれていたからです。

この西暦が定着するのは、8~10世紀にかけてですが、これが一般的に使われるようになって改めて当時の状況を見直したところ、イエスの誕生は紀元前4年頃と確認されます。ただ、キリストの降誕から年代を計算するのが定着してしまった後での訂正は不可能になっていました。

どちらにしても、今の世の中で皇帝ティベリオスの名前などほとんど誰も知りませんが、その皇帝の記録から、イエスの誕生を逆算して暦を作ったということに不思議を覚えさせられます。それはイエスこそが世界の主であるという告白です。

とにかく、「ティベリウスの第十五年」とは紀元29年頃のことです。彼はローマ帝国二代目の皇帝でその権力は絶大でした。当時のユダヤの権力者たちは自分たちの誇りであるガリラヤ湖を「ティベリア湖」と呼び (ヨハネ21:1)、またその西岸の都市の名をティベリアと呼ぶほどに、この皇帝のご機嫌をとりながら宗教的自治を保っていました。

そのような中で、「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ」(2節) と記されます。神は紀元前460年頃のマラキ、または紀元前432年頃の総督ネヘミヤ以来 (ネヘミヤ13:6)、約460年ぶりにイスラエルの民に語ってくださいました。まさに新しい時代の幕開けであったとも言えます。

このヨハネは、祭司ザカリヤが神殿で香をたく中でその誕生が告げられた神殿の申し子のような人でしたが、エルサレム神殿に仕える代わりに荒野で生活しており、そのような中で神のことばが告げられたという不思議な展開が描かれます。

そこで「ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改め(回心)のバプテスマを宣べ伝えた」(3節) と記されます。これはイザヤ書40章1、2節で「慰めよ、慰めよ、わたしの民よ……その苦役は終わり、その咎は償われている」と記された、バビロン捕囚からの帰還を告げるメッセージでした。

歴史的にはネヘミヤの約100年前の紀元前538年にユダヤ人は捕囚状態から解放されたのですが、その後もペルシア、ギリシア、ローマ帝国下にあり、ダビデ王国の再建は果たせない夢として残っていました。

それに対し「罪の赦しに導く悔い改め(回心)のバプテスマを宣べ伝える」とは、待ちに待った神の直接のご支配がイスラエルに現れることを告げるという意味がありました。

そして、ヨハネが「荒野で叫ぶ者の声」として、「主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ」(4節) と呼びかけるというのです。それは、長く不在だった王の帰還に備え、馬車がスムースに通ることができる道路を整備するようにという呼びかけです。それはイザヤの文脈では、長く離れていた「主 (ヤハウェ) の栄光」(イザヤ40:5) がエルサレムに戻って来る、そのための心備えをするという意味がありました。

しかも興味深いのは、イザヤでは「このようにして、(ヤハウェ) の栄光が現わされると、すべての肉なる者がともにこれを見る」と記されていたことばが、ここでは「こうしてすべての肉)神の救いを見る」(6節) と記されていることです。

つまり、「主 (ヤハウェ) の栄光が現れされる」が「神の救いを見る」という表現に変えられ、ユダヤ人ばかりか異邦人を含めた全世界の人々が、「神の救い」を見るようになると描かれているのです。

今や、世界中でクリスマスが、神の御子イエスの誕生日として知られ、それももとに年代が数えられ、一週間を七日と計算し、キリストの復活を祝う日曜日が、多くの国々で休日とされているのは何という不思議でしょう。

それにしても、ヨハネは、神殿を不必要とするかのように、ヨルダン川でのバプテスマによる罪の赦しを宣言しています。これは当時の宗教的な秩序を壊すようなことでした。しかし彼は、主(ヤハウェ)が戻って来られるのを、神殿の外に出て迎えるようにと勧めているのです。これはイスラエルの民がヨシュアに導かれてヨルダン川を渡り約束の地に入ってきた原点に立ち返ることです。

そして、バプテスマの意味も、罪や汚れを洗い流すという以前に、「私たちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を通って行きました。そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受けました」(Ⅰコリント10:1、2) という出エジプトのやりなおしという意味が込められていました。

当時の人はエルサレム神殿ばかりに目を向けていましたが、ダビデ王国以前の律法が与えられた原点に立ち返って、神の救い全体を見直す必要があったのです。

2.「だれが、この方の来られる日に耐えられよう」

ただヨハネは、せっかく「バプテスマを受けようとして出て来た群集」を暖かく迎える代わりに、「まむしの子孫たち」(7節) と厳しく非難しました。これは預言者イザヤがイスラエルの民の罪を、「彼らは、まむしの卵をかえし、くもの巣を織る」と描いたことを思い起こさせます (59:5)。

それと同時に、それは彼らがアダムとエバを惑わした「蛇」のように、内側に毒に満ちた悪意を隠したまま、ただ、「迫り来る怒りを逃れる」(7節) ことだけを求めていたからでしょう。

それで彼は、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」(8節) と厳しく迫ります。イスラエルは自分たちが選びの民であることを誇っていましたが、それに対しヨハネは、「『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはなりません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです」(8節) と厳しく迫ります。

彼らは「選び」と不可分の「責任」を忘れていたからです。そんな彼らに、ヨハネは「斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます」(9節) というさばきを警告します。

旧約最後のマラキ3章1節では、「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える」と預言され、それこそがヨハネの働きでした。

ただ同時にそこでは、新しい「契約の使者」としての「救い主」の到来に関し、「だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は銀を精錬する者、きよめる者として座に着き、レビの子らをきよめて、金や銀にするように、彼らを純粋にする」(同3:2、3) と預言されていました。

「救い主」の登場は「さばき」から始まるというのです。それは当時のレビ人のような宗教指導者たちに対してであり、また「不正な賃金で雇人を虐げてやもめやみなしごを苦しめる者、寄留者を押しのけてわたしを恐れない者」(同3:5) と呼ばれるような権力者たちに対してのものでした。

ですから、救い主イエスは当時尊敬されていた指導者に向かって、「あなたがたパリサイ人は、杯や皿の外側はきよめるが、その内側は強欲と邪悪で満ちています……わざわいだ。おまえたちは人目につかない墓のようで、人々は、その上を歩いても気がつかない」(ルカ11:39、44) と、彼らの偽善が人の目には隠れていても、神の厳しいさばきを受けると言われました。

さらにイエスは十字架につけられる前、ご自身のことを嘆き悲しむ女たちに、「エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい……生木にこのようなことが行われるなら、枯れ木には、いったい何が起こるでしょうか」(ルカ23:28、31) と言われました。それはエルサレムの滅亡と、枯れ木」のような指導者に神の厳しいさばきが下るというさばきの宣告でした。当時のエルサレムは救い主を拒絶することによって厳しいさばきを受けたのです。

イエスはその意味では、当時の権力者や宗教指導者たちを「さばく」者として現れたのです。そして、イエスをさばいた者たちが、神の「さばき」を受け、イエスの救いを受け入れた者が「新しい神の民」とされたのです。その意味で、「救い」は「さばき」から始まっていました。

そしてマラキ4章5、6節では主ご自身が、「見よ。わたしは、主 (ヤハウェ) の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤを遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶のものとして、打ち滅ぼすことのないようにするためである」と記されています。

ここでの「さばき」は、世の終わりの日のさばきですが、同時にイエスの十字架の40年後のエルサレムへのさばきを示唆しているとも言えましょう。ヨハネは自分こそがこの預言されたエリヤであることを自覚していたので、厳しく彼らに悔い改めを迫りました。

さばきと救いは、本来セットになっていました。私たちは耳さわりの良いことばばかりを聞こうとしますが、ヨハネは、救い主の到来に伴うさばきをこそ強調していました。確かにイエスは私たちのために「さばき」のときを遅らせてくださいました。しかし、それに安住してはなりません。私たちも、「まむしの子孫たち」と呼ばれるべき存在であることを忘れてはなりません。

3.「私は水で……バプテスマを授け……その方は……聖霊と火で……バプテスマを授けられます」

それに対し群集は、「私たちはどうすればよいのでしょう」と尋ねます (10節)。

ヨハネは、「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい」(11節) と答えます。そうしないことは、この世的な意味では責められるべきことでは全くありませんが、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と、減点主義とは正反対の生き方に立ち返るべきだったのでした。

その上で彼は取税人や兵士に、彼らの仲間が職権を利用して当然のことのように行っていた悪習をやめるようにと命じました。取税人には「決められた以上には、何も取り立ててはいけません」(13節) と命じました。また兵士たちには「だれからも、金を力づくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい」(12節) と命じました。

しかし当時の宗教指導者なら、彼らにローマ帝国の手先になるような仕事は即刻やめるよう勧めたことでしょう。一方でヨハネは、この誘惑と不条理に満ちた仕事に留まりながら、しかもその中で正義を全うするように命じたのです。

私は株式投資を勧める仕事をやめて、福音を告げる牧師になりました。しかし、牧師になって20年余りが経った頃、お金の管理やビジネスと信仰の関係についてキリスト教世界全体に発信する必要を強く感じました。それは不条理に満ちたこの世界では通用しないような綺麗ごとや傍観者的な批判ばかりが目について、不信感を抱いたからです。

このヨハネは矛盾に満ちた仕事に留まりながら、「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」ことを命じました。それは難しすぎることではありませんでした。

しかし、この社会の矛盾のただ中に身を置く者にとっては、「そのように美しく生きたい」と願いながらも、何度も失敗する自分に自己嫌悪を感じるという面がありました。しかし、その葛藤がなければ、誰も真剣に救いを求めるにようにはならないことでしょう。

罪の自覚とは、神に喜ばれる働きを願うことと表裏一体であり、「義に飢え渇く」(マタイ4:6) ことこそすべての出発点でした。

そしてヨハネは、自分を救い主「キリスト」ではないかと思う人に向かって、「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます」(16節) と、自分のバプテスマが救い主の到来への備えであることを改めて述べながら、「私はその方の履き物のひもを解く資格もありません」と言いました。

当時のラビから指導を受ける弟子たちは、無料で教えを受ける代わりに自分の先生の身の回りのお世話をしましたが、「履き物のひもを解く」ことだけは、「奴隷の仕事」として決して行いはしませんでした。つまり、ヨハネは自分をキリストの弟子どころか奴隷になる値もないと言ったのです。

その上で彼は、自分が授けている水のバプテスマとの比較で、「その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます」と述べました。それは、人間の意志がアダム以来の罪によって根本的に腐敗しているため、過去の罪からきよめられたとしても、同じ過ちを繰り返してしまうからです。

それに対し「救い主」がもたらすバプテスマは「聖霊と火による」ものだと言われます。かつて主 (ヤハウェ) は預言者エゼキエルを通し、「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる……あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える」(36:25、26) と言われました。

「新しい心」とは、神のことばに感動できる柔軟な心であり、「新しい霊」とは、私たちの心の奥底に根本的な変化を引き起こし、自分から進んで神の教えを実行できるようにする「霊」です。それは、創造主である聖霊ご自身が私たちの心と思い、感情のすべてを正し、また生かすという再創造の働きです。

またここで敢えて「火」と付加されているのは、外側の汚れではなく、内側からのきよめを強調するためです。マラキ3章2、3節でも「火」は、「銀を精錬する……レビの子らをきよめて、金や銀にするように、彼らを純粋にする」ためののような力の象徴として描かれていました。

さらにキリストの働きが、「また手に箕 (winnowing fork) をもって、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に納められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます」(17節) と描かれます。

これは当時、ローマ帝国による迫害やエルサレム攻撃を通してイスラエルをきよめ、キリストにある新しい神の民へと変えるプロセスを指すと思われます。それは私たちにとっては、キリストの苦しみに預かることで「きよめられる」ことを指すと思われます。そして神によってきよめられる者は、もう「火で焼き尽くされる」というさばきを恐れる必要はありません。

ヨハネは、この後まもなく「領主ヘロデ」に捕らえられます (19、20節)。それは、ヘロデの結婚が律法に反すると真っ向から批判したためです。これによってヨハネはその短い生涯を閉じざるを得なくなります。しかしヨハネは、救い主の到来を告げることを使命として生きていましたので、それを果たせたことで満足でした。

ヨハネは人々を神の救いのご計画の原点に導きました。この働きがなければ、当時の民衆が、へブル語でヨシュアと呼ばれるナザレの大工の息子の声に耳を傾けることなどあり得なかったことでしょう。

そして、私たちにとっての最大の使命もまた、自分のことではなく、イエスをこそ世に証しすることです。

4.「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」

21節では他の福音記者のように、「ヨハネがイエスにバプテスマを授けた」と明記せずに、「民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた」と記されます。これは、イエスが民衆たちの一人、つまり、罪人の仲間となったことを強調するためだと思われます。

しかも、この記事の中心は、「そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして自分の上に下られた」という点にあります。つまり、イエスはこのとき、任職の油によってではなく、目に見える聖霊によって、「ダビデの王位」を与えられたのです。まさにイエスのバプテスマはダビデの後継者としての戴冠式でした。

それは同時に、預言された(ヤハウェ)のしもべとしての働きの始めでした。天からの声が、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(22節) と語られるのは、イザヤ42章1節のことばと基本的に同じです。つまり、神ご自身がこのときイエスを、ご自身の代理としての働きに遣わすためにご自身の御霊を授けられたのです。

私たちのバプテスマはイエスと一体となるしるしです。そのときイエスが罪人のひとりになったように、私たちはイエスの兄弟の立場に入れられます。そしてイエスに下った御霊が私たちに下ります。

そして私たちがイエスに倣ってバプテスマを受けることは、キリストとの結婚式であり、そこで父なる神は私たち一人ひとりに向かって、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」と語ってくださいます。

ただし、それは私たちを天国に引き上げるためという以前に、イエスの代理としてこの地に派遣するためです。

ところで、ここでも、「教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で」(23節) と、客観的な歴史資料が提供されます。それはイスラエルで、公に教師としての働きを始めることが許された年でした。

その上で、イエスの契約上の父ヨセフの系図が記されます。これはマタイの系図と大きく異なり、それに関しては様々な解釈がありますが、どれも完全に満足できる説明ではありません。とにかく、これを通して、イエスは、ソロモンの系図以外の「ダビデ」(31節) に属する者として生まれたこと、また、契約の父「アブラハム」(34節) に属するばかりか、最初の人間「アダム」(38節) に属するということを明確にしています。

つまり、イエスは、ユダヤ人の王であるばかりか、全人類の王としての生まれたということを強調されているのです。

バプテスマのヨハネは、当時のユダヤ人たちに向かって、「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるように教えたのか」と、「悔い改め」を迫りました。そして、イエスを拒絶したユダヤ人たちはその約40数年後にエルサレム神殿とともに滅びました。

一方、自分の罪深さを悟っていた取税人や遊女を含むイエスの弟子たちは、キリストの教会の礎となってゆきました。私たちはしばしば、自分の心の奥底にある真の渇きに気づいてはいません。神はそれを気づかせるために様々な試練を与え、またあなたに厳しいことを告げるバプテスマのヨハネのような人を置いてくれます。

神は私たち一人ひとりに、「あなたはわたしの愛する子」と語りかけてくださいますが、そのような「さばき」の声とともに味わえることばです。

福音とは、自分の弱さを自覚させる「火」のさばきと、それを知る者の心のうちに働く「聖霊」のみわざにあります。その不思議を「飼い葉のおけに」という子ども向けの賛美で表現してみました(曲:聖歌667)。

「飼い葉の桶に寝ている かわいい顔のイエス様 預言者たちが言ってた ほんとの救い主です」

「世界のすべて造って お守りなさるイエス様 何でもできる神様 何とも小さくなられた」

「私が弱いときこそ 力をくれるイエス様 困ったことがあっても いつでもついて行きます」 (高橋作詞)