Let it be 忍耐して待ち望む〜ローマ8:25

 僕はこの時期の東京、毎日、晴天が続き、とっても心地よく感じます。日本ではクリスマスが終わった感じですが、欧米諸国では、クリスマスは25日から1月7日まで続きます。

 昨晩、家内とクリスマスデイナーを楽しみながら、ビートルズの音楽を聴いていました。今年引っ越したマンションの住居は、驚くほど音楽が美しい音で聞くことができます。
 Let it be を聞きながら、ウクライナやイスラエル、ガザ地区のことを思うと、「あるがままに」などと、言ってはいけないと思いました。

 でも、よくよく歌詞を聞き、考えてみると、やはり Let it be の心こそ大切なのだと思いました。
 受胎告知を受けた聖母マリアは、「あなたのおことばどおり、この身になりますように」と答えましたが、多くの英語訳は Let it be to me according to Your word と訳されています。
 Let it be とは、自分の計らいを横に置いて、あるがままの悲惨や困難をそのまま受け止め、神に祈るということに通じるのかと思います。

 ガザ地区で何十人もの方々がイスラエルの空爆で死んだと報じられます。当然、イスラエル軍は事前通告して、避難するように事前通告しているのでしょうが、ハマスがガザの住民を人間の盾として使って、イスラエルの非道さの宣伝に使っている……ということは推測できます。
 でも、あるがままの現実を受け止めるとは、そこで何の意味も理由も分からないまま、家族が失われ、家を失い、泣き崩れている人がいるということにただ目を向けて、ともに嘆くということです。

 そのようなときに、ふと自分はいつも、この悲惨の理由や政治的な判断に入る傾向があると深く反省させられました。

 その曲では There will be an answer, let it be(答えがやがて明らかになる……だから、あるがままに……)と繰り返されています。それは、私たちがつくり出す答えではなく、創造主から与えられる答えです。

 このように書いた後、今日は、私たち夫婦が受洗し、また結婚した日本福音ルーテル札幌北教会の元の牧師夫人であった星野淑江姉の葬儀に参列しました。横浜藤が丘教会での葬儀でした(79歳で末期がんが発見され半年間で天に召されました)。
 そこで、彼女の愛唱聖句が、まさにこの箇所のマリアの告白「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」(ルカ1:38) であったことが分かりました。

 彼女と最後にお話ししたのは、約1年半前でした。彼女はウクライナから避難している子どもたちのようすを見て、毛糸の帽子を編んで送りたいと、主に示されたようです。多くの友人に声をかけ、80着の帽子を作りました。
 そのときになって、どうやって送ろうかと悩んで、僕に相談をしに電話をしてきました。僕も当時はそのようなルートがなかったのですが、彼女はできたら自分が持って行くとまで言い出したことで、援助団体の方が動き出し、無事に届けられたというエピソードがあります。

 私たち夫婦は、帰りの道で、「私たちが最初に出会った牧師夫人が、彼女のような方で良かったね……」と話し合っていました。
 何よりも直感で動くことが好きな自由な方で、あらゆる計算を飛び超えていました。それでいて人の美点をやさしく表現できる方でした。
 教派を変わった私たちの働きをずっと喜びながら、応援し続けていてくださいました。ほんとうにあるがままの僕や家内を喜び続けてくださっていました。

 ローマ人への手紙8章18–25節では以下のように記されています

今のときの苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます……御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。私たちは、この望みとともに救われたのです……私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。

 聖書が語る世界の問題の解決は、あまりにもこの世離れした、現実から乖離したように見えることがあります。
 でもだからこそ、この世の政治的な判断や価値観の相違を飛び越えて、私たちに朽ちない希望を与えて続けているのだと思います。

 ウクライナでのクリスマスは、ロシア正教の伝統から離れて、欧米と同じ12月25日になったと報道されていました。
 そして、私たちが支援しているオデッサの船越先生ご夫妻が開拓した教会には130名もの方々が集い、キリストにある希望を喜び合ったとのことです。これは開拓以来初めての大きな集会であったかと思います。それはロシアからのドローン攻撃が激しくなる中でのクリスマス礼拝でした。

 目に見える悲惨の中でも、神の救いの計画は進んで行きます。そのとき、目の前の計算を超えて、Let it be to me……と、自分に示された小さな愛のわざを行う人々によって、神の平和が人知れず広がって行くのではないでしょうか。
 そのような小さな愛のわざの積み重ねで、福音が全世界に広がり、多くの人々に目に見える現実を超えた希望を与え、さらに愛の交わりが広がり続けています。