ヘブル7章1〜25節「私たちを完全に救うことができる大祭司」

2019年3月3日 

人は何かのすばらしさを説明する時、「あれにはこのような問題があったけれども、これは、このような点ではるかにまさっている」というように、以前の問題点を明らかにしながら良い物を提示するという発想が身についています。そのような発想で、「旧約には大昔の厳しい教えがあるけれど、新約には神の優しがが満ちている……」などと言われることがあります。そのうちに、「新約聖書と詩篇だけあれば神様のことは分かります。救いの基本とは、イエス様を信じることで罪が赦され、たましいが天国に憩うということですから……」と、福音を過度に単純化しかねません。 “ヘブル7章1〜25節「私たちを完全に救うことができる大祭司」” の続きを読む

ヘブル6章9〜20節「神の約束と誓いに生かされる自由」

2019年2月3日 

しばしば、多くの人は聖書に誤った問いかけをして、混乱してしまいます。その一つに、「一度、救いの喜びを体験した人が、サタンの攻撃に屈して、信仰を失うことがあるだろうか?」という問いがあります。ヘブル書6章1-8節は、それに明らかに「そのとおり」と語っているように見えます。そして、諸教会の現実としては、洗礼を受けた人々の半数以上が、信仰から離れるという悲しい現実があるとも聞きます。 “ヘブル6章9〜20節「神の約束と誓いに生かされる自由」” の続きを読む

ヘブル5章11節〜6章12節「成熟を目指して進む」

2019年1月20日 

福音派の教会では、イエスを救い主として信じた人のことを、「あなたは救われたのです」と喜び合います。それは誤りではありません。しかし、その後の生き方に成長が見られないばかりか、教会から離れる人さえいるという現実を見ると、「神のかたちとして成熟を目指して生き始めるスタート台に立った」という面の強調も必要かと思わされます。 “ヘブル5章11節〜6章12節「成熟を目指して進む」” の続きを読む

ヘブル4章14節〜5章10節「苦しみを通して大祭司となられた主イエス」

2018年12月16日 

私たちプロテスタントの教会では、聖母マリアに向かって執り成しを願う祈りはしません。それはイエスご自身が私たちのすべての弱さを理解して、父なる神の右の座に着いて、私たちのために執り成していてくださると信じているからです。 “ヘブル4章14節〜5章10節「苦しみを通して大祭司となられた主イエス」” の続きを読む

ヘブル4章1〜13節「神の安息に入るための励まし合い」

2018年12月9日

私たちはイエスを救い主と信じることによって、「永遠のいのち」をすでに与えられていると教えられてきました。ところがこのヘブル書では、「神の安息」に入ることができなくなる可能性が示唆され、そうならないように「日々互いに励まし合う」ことが勧められています。 “ヘブル4章1〜13節「神の安息に入るための励まし合い」” の続きを読む

ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」

2018年11月11日

私たちの教会のヴィジョンは、「新しい創造をここで喜び、シャロームを待ち望む」とされています。そして英語のロゴマークが「New Creation : hope for the Shalom」と記されています。Creationの真ん中のが♰と、十字架を示唆しますが、イエスの十字架と復活によって「新しい創造」がすでに始まっています。 “ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」” の続きを読む

ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」

2018年11月4日

「『死』とは何か」という380ページを超える本が売れています。それも原書を半分近くに縮刷したもので、その前半では「魂」の存在が形而上学的に否定されているようです。しかし聖書は、「魂が肉体の束縛から解放されて天国で憩う……」との希望を語っているのでしょうか?それどころかヘブル書では、肉体を持つ人間が、霊的な存在である御使いたちに優っている面があるということが強調されます。 “ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」” の続きを読む

ヘブル2章1〜9節「こんなにすばらしい救いーAmazing Grace」

2018年10月7日

「奴隷商人から神の僕に」という物語が「百万人の福音」に連載され、91歳の母がそれを楽しみに読んでいます。「母が読んでいるのに、僕が読まないわけには……」と21回目になってから遡って読みだしました。私たちはだれも、自分の信仰心によって神を求めたのではなく、神が私たちを求めてくれた結果、霊の目が開かれて行きます。 “ヘブル2章1〜9節「こんなにすばらしい救いーAmazing Grace」” の続きを読む

ヘブル1章「王なる支配者としての御子」

2018年9月30日

あなたは、イエスの十字架をどのように描くでしょう?普通に考えるなら、イエスほど哀れな犠牲者はいません。何の罪を犯さなかった愛に満ちた人が、無実の罪で、当時もっとも忌まわしい十字架刑に処せられたというのですから……イエスはまさに悲劇の主人公です。 “ヘブル1章「王なる支配者としての御子」” の続きを読む

ヘブル2章5〜18節「いつくしみ深き兄なるイエス

2013年3月31日

激しい不安を抱いている人は、自分の意識を無くするために、死ぬことを自分から願ったりさえします。しかし、「死」は、すべてを失うことのシンボルです。私たちは死において、家族や友人と引き離され、それまで築いたもののすべてを失います。 “ヘブル2章5〜18節「いつくしみ深き兄なるイエス” の続きを読む