イザヤ52章13節〜53章6節(ヘンデル作オラトリオ「メサイア」第二部のテキストから)「のろいの十字架に隠された祝福」 

2008年3月16日

イエス・キリストはこの世の中では、愛の模範として尊敬されています。それは福音書に描かれたイエスの姿をベースにしています。しかし、よく見ると、福音書では繰り返し、イエスにおいて旧約の預言が成就したと記されています。つまり、旧約聖書を飛び越えてイエスの人間としての生き方ばかりを見るように聖書は記されてはいないのです。 “イザヤ52章13節〜53章6節(ヘンデル作オラトリオ「メサイア」第二部のテキストから)「のろいの十字架に隠された祝福」 ” の続きを読む

イザヤ28章〜30章「困難の中に神を見る」

2008年3月9日

目の前の問題に圧倒されていたとき見えなかったことが、ふとしたことで解決が見えたというようなことがないでしょうか。「知恵の輪」をはずすのと同じように、「何だ、こうすればよかったんだ・・」と思うようなことがあるかもしれません。熱くなりすぎたり、力づくになってしまうことは、かえって問題を複雑化させてしまいがちです。平安の祈りに、「一日一日を生き、今、このときを楽しみながら、困難を平和への道として受け入れさせてください」という祈りがあります。困難の背後に、またその中に、神がおられます。すべては神との交わりを豊かにする契機になります。 “イザヤ28章〜30章「困難の中に神を見る」” の続きを読む

ルカ16章14〜31節「神の恵みをむだに受けないようにしてください」

2008年3月2日

私たちは様々な恵みの賜物を受けています。しかし、それは常に両刃の剣です。富が罠となるように、ある種の才能も罠になります。たとえば、「僕には、道産子の忍耐心がある!」などと自分を誇っていると、それは同時に、「融通の効かない頑固さ」として、人を振り回すことになってしまいます。 “ルカ16章14〜31節「神の恵みをむだに受けないようにしてください」” の続きを読む

イザヤ21章〜27章「主 (ヤハウェ) と和 (シャローム) を結ぶ」

2008年2月24日

ある小学生の男の子が、クラスの中で、ひとりだけ自分の将来の夢を語ることができなくて、それが原因で皆にからかわれ、しょげていました。そのことを忘れようとすればするほど、情けない気持ちになってしまいました。 “イザヤ21章〜27章「主 (ヤハウェ) と和 (シャローム) を結ぶ」” の続きを読む

イザヤ13章〜20章「愚かな誇りと持つべき誇り」

2008年2月17日

キリスト教会では「謙遜」が最大の美徳と呼ばれます。しかし、そのために「誇り」の大切さを忘れてはいないでしょうか。牧師の集まりなどで感じるのは、「謙遜」よりも、それぞれの強烈なまでの「誇り」です。だからこそ、なかなか意見がまとまらないということがあります。 “イザヤ13章〜20章「愚かな誇りと持つべき誇り」” の続きを読む

イザヤ9章8節〜12章6節 「暗闇迫る中で、『I have a dream!』と叫ぶ力」

2008年2月3日

四、五十年前の日本と現在の違いは、「夢」にあるのかもしれません。昔の夢は、今から見れば愚かしい面もあったかもしれません。しかし、どんな夢であれ、夢を持っていた時代には人々に活気があり、人情も豊かだったのではないでしょうか。 “イザヤ9章8節〜12章6節 「暗闇迫る中で、『I have a dream!』と叫ぶ力」” の続きを読む

ルカ16章1〜13節「小さいことに忠実であること」

2008年1月27日

私は十年間証券会社に勤め、主に営業畑を歩み、退職して牧師になりました。証券会社のことをよく知っている人は、しばしば、「あんなあこぎな商売から早く足を洗って良かったね・・・」とか、「あんな恐ろしい会社をやめて良かったね・・・」はなどと言ってくれます。それを聞くたびに、何か複雑な気持ちになります。 “ルカ16章1〜13節「小さいことに忠実であること」” の続きを読む

イザヤ7章1節〜9章7節「御顔を隠しておられる方への信頼」

2008年1月20日

「神が私たちとともにおられる」というなら、なぜこんな不条理が放置されているのでしょう。なぜ神はすみやかに私たちの祈りに答えてくださらないのでしょう。そのような気持ちの中で、神を礼拝しに来るのが苦痛になっている人がいます。 “イザヤ7章1節〜9章7節「御顔を隠しておられる方への信頼」” の続きを読む

イザヤ1章〜6章「主 (ヤハウェ) おひとりだけが高められる」

2008年1月6日

去る元旦のメッセージにあった、「死ぬことによって生きるのがキリストのいのちです」の意味を尋ねてこられたあるお子さんに、「それは難しい質問だね……」としか答えられず、ずっと引っかかっていました。しかし、それはイザヤのメッセージに通じるものです。人生の時がくるまで「言語明瞭意味不明」にとどまるべきことなのかもしれません。 “イザヤ1章〜6章「主 (ヤハウェ) おひとりだけが高められる」” の続きを読む

哀歌3章40節〜5章22節「哀歌からクリスマスへ」

2007年12月16日

百万人の福音一月号の特集は「祈れない時にー知らなかった豊かな世界」と題して、小生の詩篇の翻訳交読文を含め六ページにわたって記載していただきました。十数年前に、詩篇の中にある「うめきの祈り」に深く感動して、それを熱く語ったとき、「そんな暗い話ばかり聞きたくない……」という反応が多かったのですが、時代が変わってきた感じがします。 “哀歌3章40節〜5章22節「哀歌からクリスマスへ」” の続きを読む