ルカ20章45節〜21章9節「人はうわべを見るが……」

2009年6月7日

イエスの時代の宗教指導者たちは、一様に、「神の国」の実現を待ち望んでいました。それは目に見えるダビデ王国の再興のときでした。律法学者たちは指導者たちの中でも、特に、目に見えない神のご支配や復活のいのちということに目を向けていました。 “ルカ20章45節〜21章9節「人はうわべを見るが……」” の続きを読む

エレミヤ35章〜38章「主のことばを軽蔑する悲劇」

2009年5月24日

韓流ドラマなどでは良い人と意地悪な人の対比が驚くほど強調される傾向がありますが、現実の世の中のほとんどはどちらとも言えない人でしょう。今回の箇所には、「忠実な人」、「極悪人」、「気の弱い善人そうな悪人」の三種類が出てきます。 “エレミヤ35章〜38章「主のことばを軽蔑する悲劇」” の続きを読む

詩篇32篇「赦したいと願われる神」

2009年5月17日

子供はしばしば、親に叱られて大泣きした後、まるでそれを忘れたかのように身体全体で喜びを表現するということがあります。その笑顔を見ている親も、「この子は本当に反省しているのかな・・」と疑う前に、何とも可愛くてたまらないという気持ちになります。ダビデにも同じような子供の心がありました。神の前に自分の罪を深く悲しんだと思ったら、その直後に、心からの喜びを表します。そんな彼を、神は喜んでおられたのではないでしょうか。 “詩篇32篇「赦したいと願われる神」” の続きを読む

ルカ20章19〜44節「理想と現実のギャップを超えた神の支配」

2009年5月10日

この世の中には、理想主義者と現実主義者の意見の対立が常にあります。私が神学校で学んだとき、同じ神学生仲間に、理想主義者的なひ弱さを感じました。しかし、現実の牧会の働きのなかで、教会の現実的な成長が見られない中で、大きな焦りを感じました。しかし、聖書を読めば読むほど、神はご自身の理想を常に守りながら、罪にまみれた現実の人間社会を、驚くほどの忍耐を持って導いておられることに感動を覚えました。 “ルカ20章19〜44節「理想と現実のギャップを超えた神の支配」” の続きを読む

エレミヤ32章〜34章「私たちは真実でなくても、主は常に真実である」

2009年4月28日

私は昔、証券会社にいたとき、経済見通しが週ごとのように変わることに対し、何とも言えない空しさを感じていました。そのような中で、決して変わることのない聖書のことばに、心がますます惹かれるようになりました。 “エレミヤ32章〜34章「私たちは真実でなくても、主は常に真実である」” の続きを読む

ルカ24章36〜53節「現実の生活の延長にある復活のいのち」

2009年4月12日

人は時に、「早いところこんないなや世界から抜け出したい・・・」という思いになります。またときには、「こんな交わりから離れて生きたい・・・」などと思う人さえいるかもしれません。しかし、それは復活の知らせを聞いた弟子たちにもあった心でした。 “ルカ24章36〜53節「現実の生活の延長にある復活のいのち」” の続きを読む

ルカ22章1〜23節「新しい契約としての聖餐式」

2009年4月5日

「旧約と新約の違いは何ですか?」と聞かれたらどのように答えるでしょう。残念ながら、人によっては、「旧約はユダヤ教で、新約はキリスト教です」とか、「カトリックは律法主義で旧約を大切にし、プロテスタントは福音主義で新約を重んじる」などと答えるかもしれません。それからすると、旧約の解き明かしばかりをする当教会などはプロテスタントの異端児になるのでしょうか? “ルカ22章1〜23節「新しい契約としての聖餐式」” の続きを読む