多くの人が言い知れない倦怠感、空虚感や孤独感を味わっています。それは、「自分の都合」を最優先できる世の中になった結果かもしれません。真に畏敬されるべき方を知ることなしに、命を賭けるに価する喜びも、生きる意味も目的も見出すことはできるのでしょうか。 “出エジプト24章12節〜31章17節「主が求めておられる礼拝とは?」” の続きを読む
ローマ8章12〜30節「神の平和 (シャローム) をこの地であこがれ……」
ドイツのことわざに、「分かち合った喜びは二倍の喜びに、分かち合った苦しみは半分の苦しみに」というのがあります。それこそが愛の交わりの中で起きる不思議ではないでしょうか。ともに悲しみながら、またともにうめきながら、そこに何ともいえない希望が生まれているということがあります。 “ローマ8章12〜30節「神の平和 (シャローム) をこの地であこがれ……」” の続きを読む
ヨエル2章11〜14節、25〜29節「わたしの霊をすべての人に注ぐ」
私たちはときに、「とんでもないことが起きてしまった。これからどうなるのか・・・」と不安に圧倒されるようなことがあるかもしれません。そのとき、その原因を冷静に分析すること以上に大切なことは、何よりもまず、そのわざわいの中で、泣いて主にすがることではないでしょか。 “ヨエル2章11〜14節、25〜29節「わたしの霊をすべての人に注ぐ」” の続きを読む
ヨハネ8章21〜41節「真理はあなたがたを自由にする」
昔の日本のある首相は、「政治は数、数は力、力は金」と堂々と発言し、金権政治と批判されましたが、残念ながら一面の真理とついていると言わざるを得ません。議会性民主主義では議席の数が何よりも大きな意味を持ちます。その議席が金で買えるというのは、あまりにも国民をバカにした発言ですが、数は力というのは現実です。そのような中で人は、知らないうちに、お金や権力の奴隷になってしまいます。 “ヨハネ8章21〜41節「真理はあなたがたを自由にする」” の続きを読む
ヨハネ7章53節〜8章20節「わたしは、世の光です」
多くの人々の心の中には、光によって自分の闇があぶり出されるのを恐れる思いがあるかもしれません。また人は、自分の罪を知りながら、それが人々の目にさらされるのを恐れ、ときに、それがあらわにされると必死に自己弁護をはかろうとします。イエスはそのような闇を抱えた人にどのように接してくださったでしょう。 “ヨハネ7章53節〜8章20節「わたしは、世の光です」” の続きを読む
出エジプト20章18節〜24章11節「神の民とされるための契約」
ある人が、「マザー・テレサ、あなたはものを無償で与えて、貧しい人を甘やかしています」と批判したところ、彼女は「お金持ちを甘やかしている修道会はたくさんあります。貧しい人々を甘やかす修道会がひとつぐらいあっても良いでしょう」と答えました。確かに、この世の道徳は、貧しい者に厳しく、富む者に甘くなりがちです。 “出エジプト20章18節〜24章11節「神の民とされるための契約」” の続きを読む
出エジプト19章1節〜20章21節「十のことば」
「十戒」として親しまれている神の御教えは、聖書では「戒め」というより「十のことば」(34:28、申命記4:13,10:4)と描かれます。私は昔、「十戒」が罪を指摘し、キリストの十字架が罪の赦しを与えるという構図で理解していました。 “出エジプト19章1節〜20章21節「十のことば」” の続きを読む
ダニエル11章40節〜12章13節「思慮深い人々は星のようになる」
2014年4月12日
トマ・ピケティ著「21世紀の資本」では貧富の格差拡大の様子が分析されていますが、実は、戦後日本の高度成長期には歴史上稀有な中間層の成長が見られ、一億総中流などとさえ言われました。 “ダニエル11章40節〜12章13節「思慮深い人々は星のようになる」” の続きを読む
エゼキエル36章16節〜37章「神のみわざに心を開く幸い」
“Um Gottes Willen, mach die Tür auf!“「頼むから、ドアを開けてくれ!」というコックピットから締め出された機長の言葉が、ネットで広がっています。Um Gottes Willenとは、スラングで、「お願いだから」「とんでもない」など、様々な意味に用いられます。でも、これは文字通りには、「神のご意志のために」という意味です。そして、今回ほど、この文字通りの意味が、心に響いたことはありません。 “エゼキエル36章16節〜37章「神のみわざに心を開く幸い」” の続きを読む
出エジプト15章22節〜18章「歓喜の後のつぶやき」
本日は教会歴では「しゅろの主日」と呼ばれる受難週の始まりの日です。イエスは十字架に架けられるたった五日前に、「ダビデの子にホサナ」というエルサレムの人々の歓呼の中を、エルサレムに入城しました。彼らはイエスがローマ帝国からの独立運動を勝利に導く救い主として期待していました。 “出エジプト15章22節〜18章「歓喜の後のつぶやき」” の続きを読む