ミカ4章〜6章「平和 (シャローム) をもたらす救い主」

2015年11月29日

人間の歴史は、それぞれの国が自分たちの理想とする平和を実現しようと争いを繰り返してきているのではなでしょうか。平和を求めるがゆえに争うという皮肉があります。大切なのは自分たちに都合の良い平和ではなく、創造主ご自身にとっての平和(シャローム)に憧れ、そのために生きることです。 “ミカ4章〜6章「平和 (シャローム) をもたらす救い主」” の続きを読む

レビ26章〜27章「もう、おびえなくてもよい」

2015年11月22日

ある方が、イエスを知る前の自分を「いつも何かにおびえていた……」と言っておられました。しかし、今は、自分の将来を心配する代わりに、人のため、教会のため世界のために、「悩み苦しむ余裕」が生まれています。そこに着実に愛の交わりが広がっています。 “レビ26章〜27章「もう、おびえなくてもよい」” の続きを読む

レビ24章〜25章「やり直しのきく人生」

2015年11月15日

残念ながら、日本は、失敗者に厳しい社会であると言われます。そのような中である方が、キリスト教会で礼拝する恵みを、「どの顔して出てこられるのかと言われる心配もなく、昨日までのことが無かったかのように、神の前に出ることができる」と表現しました。 “レビ24章〜25章「やり直しのきく人生」” の続きを読む

ヨハネ11章28〜46節「死に勝利した者として、死に向かう」

2015年11月8日

世界中では4秒に一人が餓死、1秒に1.8人、一年間に5,500万人が死んでいると言われます。そのような中で、たった一人のラザロの死とよみがえりには何の意味があるのでしょう。 “ヨハネ11章28〜46節「死に勝利した者として、死に向かう」” の続きを読む

ヨハネ11章1〜27節「わたしは、よみがえりです。いのちです」

2015年11月1日

2015年10月21日は、30年前に公開された映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の日として話題になりました。映画の中では、過去を変えてその未来に戻り、変えられた現代を喜ぶという話しですが、この発想と違ったback to the futureがあるように思います。それは、「新しい天と新しい地」が、すでに実現したかのように、つまり、未来の視点から現代を見直すということです。 “ヨハネ11章1〜27節「わたしは、よみがえりです。いのちです」” の続きを読む

レビ21章〜23章「人間の奴隷とならないために」

2015年10月18日

この世では、「時は金なり」と言われます。そして、自分の働きの結果ばかり気にすると、「休み」は最小限にすべきと思われます。しかし、このことばで有名になった米国独立の父と呼ばれるベンジャミン・フランクリンは、何よりも、規則正しい生活を大切にした人であり、際限なく働くことを勧めたわけではありません。 “レビ21章〜23章「人間の奴隷とならないために」” の続きを読む

レビ17章〜20章「聖なる神の基準で、隣人を愛する」

2015年10月11日

バブル経済が崩壊してまもなくの頃、「同情するなら金をくれ」と12歳の女の子が叫ぶドラマが大きな人気を博しました。そこには、薄っぺらな同情に、「家なき子」への残酷とも言える軽蔑が込められていたことへの皮肉があったのかもしれません。 “レビ17章〜20章「聖なる神の基準で、隣人を愛する」” の続きを読む

ヨハネ10章22〜42節「わたしと父とは一つです」

2015年10月4日

私たちはいつも、目の前の問題解決に心を奪われますが、それが別の問題を生み出すということを忘れてはいないでしょうか。たとえば、医療の公平性を守ろうと必死になる結果として、すべてが細い点数でコンピューター管理され、医者の自由裁量による心の通った医療が難しくなってきたとも言われます。イエスによる癒しのみわざが、「安息日破り」として非難されたことに通じる面があります。 “ヨハネ10章22〜42節「わたしと父とは一つです」” の続きを読む

レビ16章「贖罪の日-キリストの十字架の原型」

2015年9月27日

日本には、大晦日から元日にかけて百八つの除夜の鐘を聞き、一年の歩みを振り返りながら、自分を駆り立てていた様々な煩悩を過ぎ去らせて、新しい年を迎えるという習慣があります。それは三千数百年前のこの教えの影響を受けているのかも知れません。 “レビ16章「贖罪の日-キリストの十字架の原型」” の続きを読む