出エジプト19章1節〜20章21節「十のことば」

2015年4月19日

「十戒」として親しまれている神の御教えは、聖書では「戒め」というより「十のことば」(34:28、申命記4:13,10:4)と描かれます。私は昔、「十戒」が罪を指摘し、キリストの十字架が罪の赦しを与えるという構図で理解していました。 “出エジプト19章1節〜20章21節「十のことば」” の続きを読む

ダニエル11章40節〜12章13節「思慮深い人々は星のようになる」

2014年4月12日

トマ・ピケティ著「21世紀の資本」では貧富の格差拡大の様子が分析されていますが、実は、戦後日本の高度成長期には歴史上稀有な中間層の成長が見られ、一億総中流などとさえ言われました。 “ダニエル11章40節〜12章13節「思慮深い人々は星のようになる」” の続きを読む

エゼキエル36章16節〜37章「神のみわざに心を開く幸い」

2015年4月5日 イースター

“Um Gottes Willen, mach die Tür auf!“「頼むから、ドアを開けてくれ!」というコックピットから締め出された機長の言葉が、ネットで広がっています。Um Gottes Willenとは、スラングで、「お願いだから」「とんでもない」など、様々な意味に用いられます。でも、これは文字通りには、「神のご意志のために」という意味です。そして、今回ほど、この文字通りの意味が、心に響いたことはありません。 “エゼキエル36章16節〜37章「神のみわざに心を開く幸い」” の続きを読む

出エジプト15章22節〜18章「歓喜の後のつぶやき」

2015年3月29日

本日は教会歴では「しゅろの主日」と呼ばれる受難週の始まりの日です。イエスは十字架に架けられるたった五日前に、「ダビデの子にホサナ」というエルサレムの人々の歓呼の中を、エルサレムに入城しました。彼らはイエスがローマ帝国からの独立運動を勝利に導く救い主として期待していました。 “出エジプト15章22節〜18章「歓喜の後のつぶやき」” の続きを読む

出エジプト12章43節〜15章21節「主があなたのために戦われる」

2015年3月22日

自分の身近なところで、犠牲者の血が流されている現実に直面するとき、また、それを思い起こすようなとき、人は、不条理に対する怒りを超えて、自分の人生を厳粛に受け止めるという思いになるということがないでしょうか。神は、イスラエルの救いのために流されたエジプト人の犠牲を、忘れさせないようにしておられます。 “出エジプト12章43節〜15章21節「主があなたのために戦われる」” の続きを読む

ヨハネ7章30〜52節「生ける水の川が流れ出るようになる」

2015年3月15日

私たちは自分の世界でひとり平安を味わっていても、一歩外に出たとたん心が乱されます。私の予定に入りこみ、私の力を利用し、私の世界をかき回す人で満ちています。そんな人々を愛することは不可能にさえ思え、聖書を読むのが辛くなることがあるかもしれません。何が問題なのでしょう?何が足りないのでしょう? “ヨハネ7章30〜52節「生ける水の川が流れ出るようになる」” の続きを読む

ヨハネ7章1〜31節「神の時を知る幸い」

2015年3月8日

人の過失や気まぐれで「私の時」が左右されるのは辛いことです。しかし、後で「あれは主の時だった」と思えるなら幸いです。

「御手の中で」という賛美は伝道者の書3章11節の、“In His time, He makes all things beautiful”(神が、すべてをご自身の時に美しくしてくださる)から生まれました。たとい今が絶望的な時に思えたとしても、神はご自身の時に、それを感謝へと変えてくださいます。「時」の支配者を知る中に平安があります。 “ヨハネ7章1〜31節「神の時を知る幸い」” の続きを読む

出エジプト8章1節〜12章42節「心が強くされることの悲劇」

2015年3月1日

しばしば、人は、信仰の成長を、「心が動じなくなること」と誤解してはいないでしょうか。今日の箇所では、パロの心が動じないことによって、エジプト人がどれだけ苦しんだかが描かれます。そして、現代の世界では、心が動じないテロリストと政治家との狭間で、どれだけ多くの悲惨な犠牲者が出ていることでしょう。 “出エジプト8章1節〜12章42節「心が強くされることの悲劇」” の続きを読む

出エジプト4章18節〜7章25節「この地の真の支配者」

2015年2月22日

現代の感覚で聖書を読むと誤解が生まれます。今から三千数百年前、民族ごとに異なった神々が礼拝されていました。聖書の神ヤハウェは、奴隷の民「へブル人の神」(5:3)としか見られていませんでした。 “出エジプト4章18節〜7章25節「この地の真の支配者」” の続きを読む

ヨハネ6章52〜71節「このパンを食べる者は、永遠に生きる」

2015年2月8日

後藤健二さんの最後の様子が繰り返し映されます。それは悲しみをたたえながらも驚くほど静かな祈りの姿のようにも見えます。その意味を語るような彼の数年前のツイートが感動とともに世界に広がりました。 “ヨハネ6章52〜71節「このパンを食べる者は、永遠に生きる」” の続きを読む