ヨハネ11章47節〜12章8節「ひとりの人が民の代わりに死ぬ」

2016年2月21日

イエスはご自身のことを、「わたしは良い牧者です」(10:11)と言われましたが、それはエゼキエル34章が預言する新しいイスラエルの王であるという意味でした。そこでは主(ヤハウェ)ご自身がご自分の羊を直接に世話し憩わせると約束しつつ、その方と一体として民を養う新しいダビデを立てると約束されていました。当時の人々にとって、それはイスラエルの民がローマ帝国の支配から解放され、新しいダビデ王国が誕生することを意味しました。

イエスが死んだラザロをよみがえらせたということは、イエスが預言された真の王であることの最大の証しになりました。それに対する対応は、イエスを真の王として認め服従するか、イエスを偽預言者として殺すかのどちらかしかあり得ないと思われました。

ある意味で、ローマ帝国との軍事衝突を必死に避けようとする現状の「平和を求める人々」がイエスを十字架に付けたとも言えましょう。真理を求めようとしない日和見的な平和主義者の危なさを思わされます。

1. ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが・・・得策である

イエスがラザロの死を知ってベタニヤを訪ねたとき、マリヤは、「お目にかかると、その足もとにひれ伏し」(32節)、大声で泣き続けていました。そこでイエスは、「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じ」(33節)られたと描かれます。

主はマリヤをこれほど悲しませる死の力に対して憤りを感じ、心を騒がせられたのだと思われます。そしてその後のお墓の前でのことが、「イエスは涙を流された」と驚くほど簡潔に描写されます(35節)。それは、静かに嘆き悲しむ様子です。それを見たユダヤ人たちは、「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか」(36節)と言い、イエスの憤りや動揺や涙に「愛」を感じました。

イエスはマリヤの感情をいっしょに味わってくださいました。それは主がまさに私たちと同じ人間になって、最後の敵である「死」と直面してくださる姿勢の現れです。その後、イエスは大声で、「ラザロよ。出て来なさい」(43節)と言われました。すると、それまで確かに「死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま」(44節)、何と自分の力で出て来たのです。それは、イエスがご自身に信頼する者に、来たるべき世のいのち「永遠のいのち」を既に与えておられることの力強い証しとなりました。

ただラザロの復活は意外な展開を引き起こしました。ユダヤ人の最高議会が召集され、イエスを殺すことが決められ(53節)、犯罪人として指名手配することになりました(57節)。

人は、好意または憎しみの気持ちをあらかじめ持った上で、その理由を探し出すと言われますが、彼らもイエスを最初から信じないことに心を決めていました。彼らは、イエスが事前に巧妙な仕掛けを打ち合せていたに違いないと思ったことでしょう。彼らにとっての問題は、イエスが誰であるかより、多くの人々がイエスに従うようになったことです。

そのことが48節で、「もし、あの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来てわれわれの土地も国民も奪い取ることになる」と記されています。彼らの常識によれば、救い主を自称する人は、必ず民衆を導いてローマ帝国への革命運動を指導するはずでしたから、この動きを止めないと、ユダヤ人全体が滅亡に向かわせることになります。つまり、イエスのみわざがより偉大であるほど、彼らは事態を静観できなくなったということです。

「その年の大祭司であったカヤパ」(49節)という表現に皮肉があります。本来大祭司は、アロンの後継者が終身で勤めるものなのに、当時は、権力者の意向でたびたび変えられていたからです。ですから、カヤパは当然、ローマ帝国に協調する姿勢を貫く立場にありました。

しかも、いざとなったら聖書よりも実利を重んじるのでなければこの地位を保つことはできません。彼は、「あなたがたは全然何も分かっていない」と語り出しましたが、このような言い方をするのは、身勝手な人間の特徴とも言えます。そして、「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたに得策である」(50節)とは、まさに損得計算を優先させようと言うことで、本来の宗教家なら口に出せないことばです。

しかしそれは、彼の意図に反して、イエスがユダヤ人全体の救いのために死のうとしていることを預言する結果になりました。神は最も身勝手な人間の口を用いてさえご自身の計画を進められます。

2.「贖罪の日」

大祭司カヤパはローマ帝国の軍事介入を避けるためには、イエスを「スケープ・ゴート」してすみやかに死んでもらうことが得策だと言い張りましたが、福音記者は、大祭司がそのように語ったのは、「イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである」(ヨハネ11:51,52)と解説しています。

まさにイエスはユダヤ人全体の、また「散らされている神の子たち」全体の「スケープ・ゴート」とされたのですが、それは同時に、イエスご自身が望まれたことであったというのです。

この背後には、レビ記16章の「贖罪の日」の教えがありました。その日には、「イスラエル人の会衆から・・・雄やぎ二頭を取り・・くじを引き、一つのくじは主(ヤハウェ)のため、一つのくじはアザゼルのためとする」(16:5,8)と記されます。

そして主のくじに当たった一頭は「罪のためのいけにえ」とするように命じられており(16:9)、もう一頭は、「アザゼルとして荒野に放つためである」(16:10)と記されます。

レビ記では続けて、先にくじで選ばれた、「民全体のための罪のためのいけにえのやぎの血」を、「垂れ幕の内側に持って入り・・それを『贖いのふた』の上と『贖いのふた』の前に振りかける」と記されます。その目的は、「イスラエル人の汚れと、そのそむき、すなわちそのすべての罪のために、聖所の贖いをする。彼らの汚れの中にある彼らとともにある会見の天幕にも、このようにしなければならない」(16:16)とあるように、至聖所と幕屋全体が、汚れた民の中にあることによって汚されているので、それを「きよめる」必要があるという意味でした。

なお、この「贖いのふた」はギリシャ語ではヒラステリオンと訳され、ローマ3章25節では、「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、『贖いのふた』として、公にお示しになりました」と訳すことができます。それは主がモーセに、「わたしはそこであなたと会見し・・・あなたに語ろう」(出エジ25:21)と言っておられた場です。

つまり、イエスはその十字架において、神がご自身を現わし語りかける場としての「贖いのふた(座)」となられたのです。大祭司が一年に一度、命がけで入った神との出会いの場に、今すべてのキリスト者が招き入れられています。

そして、会衆の全体の罪のためのいけにえの「雄やぎ」のもう一頭は、「アザゼルとして荒野に放つ」(16:10)ためのものでした。「アザゼル」とは、「やぎ」と「去らせる」の合成語だと言われ、英語ではしばしば「scapegoat(スケープ・ゴート)」と訳されます。

そしてその際の手続きが、「アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ」(16:22,23)と記されます。

ここで、「咎」「そむき」「罪」は、罪に関する三つの類語ですが、これによって彼らのすべての汚れが、このやぎに負わされ、宿営の外に出され、「宿営がきよめられる」という意味があります。これは、神がイスラエルの民の共同体をきよく保つために与えた方法でした。

イエスは自ら、このスケープ・ゴートになることを望まれました。「スケープ・ゴート」は組織全体を守るために一人にすべての罪をかぶせる政治技術とも解説されます。犠牲を負わされた人は、しばしば、ひとり寂しく死んで行かざるを得ません。

しかし、イエスの場合はこれを通して主が既に死の力に打ち勝っており、ご自身に従うすべての者に「永遠のいのち」を与えていることを保証してくださいました。

その後レビ記では、「罪のためのいけにえの雄牛と、罪のためのいけにえのやぎで、その血が贖いのために聖所に持って行かれたものは、宿営の外に持ち出し、その皮と肉と汚物を火で焼かなければならない」(16:27)と記されます。

イエスの十字架に関してヘブル書の著者は、「ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられた」(ヘブル13:12)と描きますが、それは主ご自身が「贖罪の日のいけにえ」となられたことを意味します。

ですから、私たちは、もはや動物のいけにえをささげる必要はありません。それは、「キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブル9:11,12)と記されている通りです。

イエスはレビ記の「贖罪の日」の記述を思い巡らしながら、ご自分が十字架で死ぬことで、神がご自身の民との和解を成し遂げてくださることを信じていました。主はご自分の死が、イスラエルの民を罪の支配から贖い出し、真の意味で世界の祝福の基としてのアブラハムの子孫とすることにつながると信じておられたのです。

私たちはしばしば、自分の悩みや葛藤から救い出してくれる方としての救い主を求めますが、それよりもはるかに大切なのは、神から与えられた使命に生きるということです。自分の幸せばかりを求める生き方は空しく醜いものです。私たちは主のために生き、また死ぬのです。

3.非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗った

ヨハネ11章53節ではラザロの復活の結論として、「そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた」と描かれます。イエスは、ラザロひとりを生かすために、ユダヤ人全体を敵にまわし、ご自身の十字架への道を決定付けたのです。何と計算に合わないことでしょう。

しかし、それは同時に、すべての人を「死の力」から解放するための歩みでもありました。イエスが、そのように喜んでご自身を犠牲にすることができたのは、御父への信頼において、死の力に打ち勝っておられたからです。

続けて、「そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された」(11:54)と記されますが、エフライムという町がどこにあるかに関しては良くわかりません。

とにかく私たちと同じ繊細な心をお持ちのイエスは目の前に十字架があることを思い巡らしながら、静かな場を必要といました。

55、56節では、「さて、ユダヤ人の過越の祭りが間近であった。多くの人々が、身を清めるために、過越の祭りの前にいなかからエルサレムに上って来た。彼らはイエスを捜し、宮の中に立って、互いに、『あなたがたはどう思いますか。あの方は祭りに来られることはないでしょうか』と言い合った」と記されます。彼らはまだ興味本位の対応しかできていません。

一方、そのような中で、「祭司長、パリサイ人たちはイエスを捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出し」(11:57)ます。イエスが捕らえられることは時間の問題になって来ています。

ところが、「イエスは過ぎ越しの祭りの六日前にベタニヤに来られ」(12:1)たというのです。それは、ご自身を過ぎ越しのいけにえの子羊として献げるための最後の旅でした。その村はエルサレムから三キロメートルほどしか離れておらず、すでに指名手配されているイエスには、捕まえられるために出向くようなものでした。

「人々はイエスのために、そこに晩餐を用意し」ましたが、これは十字架の六日前の土曜日(安息日)日没後だったと思われます。そこには死んで生きかえったラザロがともにいたので、大勢のユダヤ人の群れがこの家を取り囲んでいました。そして、働き者のマルタはいつものように給仕をしていました。

これは、マタイ26章6節やマルコ14章3節以降にも記されているライ病人シモンの家の記事と同じだと思われますが、ヨハネはラザロの復活の出来事と結びつけて描いています。

ところがその時、マリヤが何と「非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗った」(12:3)というのです。「純粋なナルドの香油」は極めて貴重なもので、ユダが指摘したように、これだけの量は、三百デナリ、つまり労働者の約一年分の収入に匹敵します。彼女はこれをイエスの頭から足まで注いだのだと思われますが、ここでは「イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった」という部分に注目されています。

これほど高価なものを、拭う必要のあるほどに使うことなど前代未聞です。布切れに吸わせては無駄になりますので、彼女はとっさに、自分の髪の毛を使うことを思いつきました。当時の女性が、公衆の面前で自分の髪の毛をほどくこと自体大変な恥ずべき行為であり、しかもそのためには足下にひざまずく必要があります。それは恥も外聞も忘れた姿です。

すると「家は香油のかおりでいっぱいになった」(12:3)と敢えて記されているのは、これがもたらした衝撃の大きさを象徴します。イスカリオテ・ユダは即座にマリヤを責めました。一行の会計係の立場としてはもっともな意見とも思われますが、ここでは「いつも盗んでいたからである」(12:6)と、彼が役職を利用して私腹を肥やしていたことが最大の動機だと説明されます。

本来、マリヤが自分のものをどのように使おうと自由なのですから、非難される理由はありません。イエスはすべてをご存知でありながら、「そのままにしておきなさい」(12:7)と優しくたしなめます。

イエスはユダを責める以上に、弟子たちに対して、マリヤがどれだけイエスのことを理解しているかを証しされました。「マリヤはわたしの葬りの日のために・・」とは、マリヤがイエスの身にこれから何が起こるかを十分意識していたことを示します。

マリヤは、イエスがラザロをよみがえらせたことでユダヤ人の最高議会がイエスを殺す決断をしたことを知っていました。それはどれだけ彼女の心を痛めたことでしょうか。そして、感性の鋭いマリヤは、イエスが人間として味わっている寂しさや不安を痛いほど理解できました。

イエスは、後にゲッセマネの園で「苦しみもだえて、切に祈られ・・汗が血のしずくのように落ちた」(ルカ22:44)と描かれていますし、この福音記者も後にイエスご自身が「今わたしの心は騒いでいる」(12:27)と言われたことを記録しています。しかし、ここにいる誰一人、マリヤほどにイエスの心の痛みを理解した人はいませんでした。

マリヤの行為をとんでもない無駄使いと思ったのはユダばかりではありませんでした。それでイエスは、「あなたがたは・・」(12:8)と弟子たちすべてに対して言われました。「貧しい人々とはいつもいっしょにいる・・」は示唆に富んだ表現です。

当時の宗教指導者も貧しい人々を助けはしましたが、彼らとは離れて生きていたからです。弟子たちがそのような貧しい人々との交わりの生活を始めたのはイエスに従った結果でした。

ところが今、主は十字架にかかろうとしておられるという意味を込めて「わたしとはいつもいっしょにいるわけではない」と言われました。イエスとの交わりには、「今この時を大切にしなければ・・」というタイミングがあるのです。私たちはいつも、目の前の問題を解決しようとしますが、貧しい人々同様、問題はなくなることはありません大切なのは、問題を抱えながら生き続けることです。

たとえば、私たちの交わりの中に苦しみを抱えた人がいつもいることには心が痛みますが、それは包容力の証しとも言えます。一見強そうな人ばかりが集まっている交わりは、かえって不健全です。昔から、伝道とは、「乞食が別の乞食に、あそこにいったら食べ物にありつけると紹介するようなものだ」と言われます。つまり、貧しい人々が自分の仲間を連れてきたくなるような交わりこそイエスが始めたもので、そこには貧しい人がいつもいっしょにいるのです。貧しい者が多いことが証しになります。

イエスとの交わりに基づかない人助けは、泳げないのを忘れて人を助けるために海に飛び込むようなものです。マザーテレサの始めた修道会はどの慈善団体よりも多くの人々を助けていますが、朝の静かな礼拝こそ、すべての奉仕者が最も大切にする時です。

彼女は、「私たちは、静かに祈る時に多くのものを受ければ受けるほど、忙しく働くときに多くのものを与えることができるのです」と言いました。

マリヤは、イエスの御声を聞く時を何よりも大切にしました。そしてイエスのお気持ちを誰よりも深く理解し、主に最も喜ばれる奉仕をすることができました。それは人間的には無駄使いと見えましたが、時代を超えて世界中の人々への最高の証しとなりました。

「家は香油のかおりでいっぱいになった」とありますが、香油のかおりは、この狭い家から始まり、世界中のキリストにある家全体に広がったのです。

私たちはしばしば、自己防衛の気持ちが邪魔になって人の気持ちに寄り添うことができません。しかし、イエスは、何と自由だったことでしょう。イエスはラザロをよみがえらせることで、ご自分の十字架を決定づけました。それは、イエスが、「わたしは、よみがえりです。いのちです」と言われたように、すでに死に打ち勝っているからこそできたことです。

イエスは、すでに死を超えた歩みを、御父との信頼関係の中で始めておられました。私たちも目先の平安とか目先の問題解決以前に、マリヤに倣って、イエスのこころの痛みに目を向ける必要があります。この世界では一つの問題の解決が次の問題を生み出します。問題を無くすこと以上に、問題のただ中で、誠実を全うする生き方こそが求められます。

ある人が、「安全と平和は意味が違う・・・日本以外のすべての国が血まみれになっていようが、日本が絶対にそれに巻き込まれない状態・・・それが安全だ!!」と言っています。現代の多くの日本人が求める「平和」は、この「安全」の理念と似ているような気がします

もちろん、だからと言って、時に独善的になりがちな超大国の戦争に巻き込まれるようなことがあってもなりません。

ただそれでも、私たちはイエスのみこころに思いをはせるとき、ときに誰もが非難するような行動、また人の犠牲になるような行動も取らざるを得ないことがあるかもしれません。大切なのはイエスとの交わりのうちに歩むことです。