Ⅱ列王記1章〜3章「主(ヤハウェ)は生きておられる」

2018年8月26日

マザー・テレサは、36歳のとき過労で休暇を命じられ、その途上の1946910日の列車の中で、イエスが、「最も貧しい人々の中に、わたしを運びなさい。来て、わたしの光となりなさい」と語りかける声を聴きます。

彼女はその後も、イエスが「あなたが無能で、弱く、罪深いからこそ、あなたを私の栄光のために用いたいのだ」と語りかけるのを聞き、「神の愛の宣教会」の設立を教皇に願い、1950107日に修道会が始まります。

ところが、働きが軌道に乗り出すその頃から、イエスの語りかけが聞けなくなりました。  “Ⅱ列王記1章〜3章「主(ヤハウェ)は生きておられる」” の続きを読む

Ⅰ列王記20章〜22章「主(ヤハウェ)の怒りを引き起こす生き方」

2018年8月19日

聖書に記される悪王の代表はアハブですが、彼が今の日本にいたら尊敬を集めたかもしれません。明らかな罪に関しても、「奥さんのせいで……」と言われ同情を集めたことでしょう。彼は北王国七代目の王で、王家が頻繁に代わり混乱していた王国に安定と繁栄をもたらしました。

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エペソ3章8節〜6章24節「奥義の実現のための霊の戦い」

2018年8月12日

私たちはみな、自分にとっての「常識」の枠で他人を「さばく」ものです。そして、「これはできて当然で、できないのはやる気がないから……」などということがあります。 “エペソ3章8節〜6章24節「奥義の実現のための霊の戦い」” の続きを読む

エペソ1章〜3章「奥義―キリストにあって一つに集められる」

2018年8月5日

信仰者の歩みは「キリストのうちにある生活」と定義できます。あなたは今、聖霊によってイエスの弟、妹とされ、イエスの父に向かって「アバ、父」と呼びかけます(ローマ8:15、ガラテヤ4:6)。信仰は徹頭徹尾、神から始まっているのです。

N.T.ライトは、「もしルターが、宗教改革の基本教理をガラテヤ書やローマ書からではなくエペソ書から語っていたらその後の世界が変わっていたかもしれない……」とまで述べます。当時の改革者は、カトリックの煉獄の教えを否定することに忙しすぎて、私たちの救いのゴールに関しての当時の人々の誤解を正すことまではできませんでした。 “エペソ1章〜3章「奥義―キリストにあって一つに集められる」” の続きを読む

Ⅰ列王記18章〜19章「主(ヤハウェ)の前に立たせる沈黙の声」

2018年7月29日

現代のシリヤの混乱は、2006年から2011年にかけての史上最悪の旱魃(かんばつ)によって国土の6割が荒廃したことによると言われます。この地方には、人類史上最古の都市国家がいくつかありました。古代の権力は灌漑事業と穀物の管理のために生まれましたが、人類最古の政治秩序があった地域が無政府状態になっています。

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詩篇92篇「あなたの御手のわざを私は喜び歌います」

2018年7月22日

「機械の一時停止ボタンを押すと、機械は停止する。しかし、人間の一時停止ボタンを押すと、人間はスタートするんだ」と、世界的企業に倫理とリーダーシップを助言しているダブ・サイドマン氏が説いているとのことです。

続けて、「つまり、じっくり考え始め、思い込みを洗い直し始め、なにが可能であるかについて考えを組み立て始める。もっとも重要なのは、心の底に根付いている信念と、ふたたび結びつき始めることだ。そうなったときに人は、より優れた道をあらたに想像しはじめる」と記しています。

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Ⅰ列王記15章〜17章「生ける神との愛の交わり」

2018年7月15日

私たちが抱く「悪しき者」と「正しい人」のイメージは、聖書が描く基準とは異なります。新共同訳聖書では、それを「主に逆らう者」と「主に従う人」と敢えて解説を加えた訳にしています。また「ねたみ」を「熱情」と訳し直したりもしています。 “Ⅰ列王記15章〜17章「生ける神との愛の交わり」” の続きを読む

エペソ6章10〜24節「悪魔の策略に対して堅く立つ」

2018年7月8日

戦争は悪ですが、人生に戦いはつきものです。日本のサッカーチームがイエローカードの少なさで決勝トーナメントに進むことができ、ベルギーとの戦いで放ったあの二本の美しいシュートには、日本人の誰もが歓喜したことでしょう。

「キリストのうちにある生活」をサタンとの戦いとして描く本日の箇所は、多くの人に違和感を覚えさせられるかもしれません。しかし、これこそ私たちが直面する信仰生活の現実です。 “エペソ6章10〜24節「悪魔の策略に対して堅く立つ」” の続きを読む

Ⅰ列王記12章〜14章「真の王を忘れたイスラエルの悲劇」

2018年7月1日

私たちの心の奥底には、「自分の人生を思い通りに生きていたい」という願望があります。ところが人生はそのようにはなりません。そこで私たちは災いの原因となる人を恨んだり、自分の非力さを悲しんだりします。 “Ⅰ列王記12章〜14章「真の王を忘れたイスラエルの悲劇」” の続きを読む

エペソ6章1〜9節「キリストを恐れ、創造的に仕え合う」

2018年6月17日

創造主に向かって私たちは、「変えられないことを受け入れる平静な心を、変えられることは変えて行く勇気をお与えください」とお祈りします。不条理と映ることも、全能の主の御手の中で起きています。それを忘れると、忍耐心のない刹那的な刺激を求める自己中心的な生き方が正当化されてしまいます。 “エペソ6章1〜9節「キリストを恐れ、創造的に仕え合う」” の続きを読む