聖書にある神のみわざの最も画期的なことは、人が「神のかたち」として、「神の似姿」に創造されたということではないでしょうか (創世記1:26-28)。ところが人は、「自分を神」としてしまい、そこから「力ある者」が弱者を支配するという構造が生まれました。
ときには、弱者を援助するという慈善事業を通してさえ「力ある者」が「神のかたち」に創造された人を支配するという構図が生まれます。それは人を「捕らわれ人」とすることです。 “詩篇146篇「望みをアダムの子ではなく、主 (ヤハウェ) に置く生き方」” の続きを読む