詩篇144篇「すべてのことを主に祈ることができる幸い」

2019年8月11日 

日本人にとってのキリスト教信仰はときに「武士道」にとって代わるような、無私で高潔な生き方を教えるものと見られてきた傾向があるかもしれません。「敬虔なクリスチャン」という表現には、勝つか負けるかというこの世の競争社会を超越した、聖なる生き方をする人というイメージがあるかもしれません。 “詩篇144篇「すべてのことを主に祈ることができる幸い」” の続きを読む

詩篇148篇「神の世界に生かされる自由」

2019年7月28日 

私たちは、健康を求めすぎることで病気になり、お金を求めすぎることで貧しくなるという逆説をこの世界で味わいます。それから全く自由な生き方を、1200年代初めの中部イタリアの自由都市アシジを中心に活躍したフランシスコに見ることができます。 “詩篇148篇「神の世界に生かされる自由」” の続きを読む

詩篇147篇「エデンの東の町(東京)から新しいエルサレムへ」

2019年7月7日 

世界で最初の都市を建てたのは、弟殺しのカインでした。彼は「さすらい人」となると神の宣告を受け、同時に、「(ヤハウェ) は、彼を見つけた人が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけられ」、守ろとされました (創世記4:14、15)。しかし、彼は「エデンの東」に「町を建て」、定住します。それは神の宣告と神の守りを拒絶したことを意味します。 “詩篇147篇「エデンの東の町(東京)から新しいエルサレムへ」” の続きを読む

詩篇145篇「神のご支配を感謝しつつ生きる」

2019年6月2日 

(ヤハウェ) は王である」、「(ヤハウェ) は王座に着いておられる」という賛美のことばが詩篇には多数登場します。

この世界には多くの自然災害などがありますが、たとえば火山活動で生まれた日本列島にこれほど多くの人々が安心して暮らしていられるのは、主がこの地を守られているからです。この宇宙にこの不思議な地球が存在し、様々な生命体が存在していること自体が、宇宙の中での奇跡と言えましょう。 “詩篇145篇「神のご支配を感謝しつつ生きる」” の続きを読む

詩篇143篇「主 (ヤハウェ) よ 私を生かしてください!」

2019年5月19日 

この詩篇は伝統的に七つの悔い改めの詩篇 (6,32,38,51,102,130,143篇) の最後と呼ばれ、作者もダビデであると見られています。しかし、この詩のどこにもダビデの罪の悔い改めの姿が描かれていません。ひょっとすると、多くの信仰者は詩篇を読むときに、すでに一つの枠を持ってしまっているからこそ、これを悔い改めの詩篇と分類したのかもしれません。 “詩篇143篇「主 (ヤハウェ) よ 私を生かしてください!」” の続きを読む

詩篇55篇「あなたの重荷を主 (ヤハウェ) にゆだねよ」

2019年5月5日 

花粉症に苦しむ方が、「昨夜、私は鼻が詰まって眠られなかった……」と言ったことに、ある尊敬されるカトリックのシスターは、「あら、お薬をちゃんとお飲みになったの?」と応答してしまい、後で自分の配慮のなさを深く反省したとのことです。

私はそれを伺い、その気づき方に感心しました。人は、誰でも、自分の気持ち、自分の辛さをわかって欲しいと願います。そのときに、苦しみの原因を分析されたのではかえって気が滅入るかもしれません。私たちも、しばしば、そのような反応をすることを反省すべきでしょう。 “詩篇55篇「あなたの重荷を主 (ヤハウェ) にゆだねよ」” の続きを読む