ルカ23章50節〜24章12節「キリストの復活を今ここで体験する」

2010年4月4日 イースター

キリストの復活のしるしは何よりも弟子たちの変化に見られます。イエスの弟子たちは私たちと何も変わらない平凡な人々でした。しかし、その彼らが、死をも恐れず、イエスの復活を証する大伝道者になっています。何しろ、イエスの伝道の生涯はたったの三年間に過ぎません。これは仏陀やマホメットなどとは大違いの短さです。 “ルカ23章50節〜24章12節「キリストの復活を今ここで体験する」” の続きを読む

ルカ23章32〜49節「十字架上で輝くイエスの愛」

2010年3月28日

ルカが描くイエスの十字架の場面は、何と美しいことでしょう。十字架刑という最もおぞましい刑罰が、そのみにくさの描写を最小限に抑えながら、イエスが死に至るまで隣人を愛し、神に信頼し続けた様子が描かれています。十字架は、救い主の悲劇ではなく、愛の勝利として描かれています。 “ルカ23章32〜49節「十字架上で輝くイエスの愛」” の続きを読む

ルカ23章13〜31節「あの人がどんな悪いことをしたというのか」

2010年2月28日

私たちは、「どうして、自分ばかりがこんな嫌な目にあわなければならないのか・・・」とつぶやきたくなることが多くあります。しかも、自分の労苦が報われる代わりに、不本意に担わされてしまった責任に対して、不当な非難を受けることがあります。それを警戒するからこそ、私たちは、互いに、責任を押し付けあう傾向があります。 “ルカ23章13〜31節「あの人がどんな悪いことをしたというのか」” の続きを読む

ルカ22章63節〜23章12節「自分の都合によってイエスをさばく人々」

2010年1月31日

17世紀最高の科学者パスカルは、「あることが私の気に入ったり、気にさわったりする」というのは、何かの理由があるという以前に、「気にさわるからこそ、その理由が見つかるのだ」と言いました(パンセ276)。 “ルカ22章63節〜23章12節「自分の都合によってイエスをさばく人々」” の続きを読む

ルカ22章54〜62節「臆病な者を『不動の者』と変えてくださる神」

2009年11月15日

ペテロは確かに弟子たちのリーダーでした。カトリック教会の総本山はペテロの墓の上に立っており、ローマ法王はペテロの後継者と呼ばれています。それは根拠のないことではありません。確かに、イエスは弟子のペテロに向かって、「あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの岩(ペトラ)の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)と言われたからです。 “ルカ22章54〜62節「臆病な者を『不動の者』と変えてくださる神」” の続きを読む

ルカ22章35〜53節「傷ついたいやし人」

2009年10月11日

二十世紀を代表するユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスは、ヒトラーによるユダヤ人絶滅計画を奇跡的に生き延びましたが、意外にも、「ヒトラー経験は多くのユダヤ人にとって、個人としてのキリスト教徒たちとの友愛のふれあいの経験でもあった・・それらのキリスト教徒たちは、ユダヤ人に対してその真心を示し、ユダヤ人のためにそのすべてを危険にさらしてくれた・・・」と語っています。 “ルカ22章35〜53節「傷ついたいやし人」” の続きを読む

ルカ22章24〜34節「一番偉い人は一番下の者のようになりなさい」

2009年8月30日

ある有名な会社に30年あまり勤め、従業員百人を超える大きな海外現地法人の社長にまでなった方が、こんなことを言っておられました。海外駐在生活の中で、神と教会とに仕える生き方に喜びを見出し始めた40歳の頃、突然、上司から、「君を管理職に、特別に推薦したけれど、無理だったようだ・・・」と言われ、強いショックを受けました。 “ルカ22章24〜34節「一番偉い人は一番下の者のようになりなさい」” の続きを読む

ルカ21章10〜36節「夜はふけて、昼が近づきました」

2009年7月12日

私たちはときに、イエスを信じても、かえって問題が増えるばかりと失望したり、自分を見ても何も成長していないどころか退歩しているようにしか思えないことがあります。また、「この峠を越えたら、見晴らしのよい風景が待っている・・」と一生懸命に歩いてきたのに、「かえって見通しが悪くなるばかり・・・」と思えるようなことがあるかもしれません。 “ルカ21章10〜36節「夜はふけて、昼が近づきました」” の続きを読む

ルカ20章45節〜21章9節「人はうわべを見るが……」

2009年6月7日

イエスの時代の宗教指導者たちは、一様に、「神の国」の実現を待ち望んでいました。それは目に見えるダビデ王国の再興のときでした。律法学者たちは指導者たちの中でも、特に、目に見えない神のご支配や復活のいのちということに目を向けていました。 “ルカ20章45節〜21章9節「人はうわべを見るが……」” の続きを読む

ルカ20章19〜44節「理想と現実のギャップを超えた神の支配」

2009年5月10日

この世の中には、理想主義者と現実主義者の意見の対立が常にあります。私が神学校で学んだとき、同じ神学生仲間に、理想主義者的なひ弱さを感じました。しかし、現実の牧会の働きのなかで、教会の現実的な成長が見られない中で、大きな焦りを感じました。しかし、聖書を読めば読むほど、神はご自身の理想を常に守りながら、罪にまみれた現実の人間社会を、驚くほどの忍耐を持って導いておられることに感動を覚えました。 “ルカ20章19〜44節「理想と現実のギャップを超えた神の支配」” の続きを読む