エレミヤ14章1節〜17章18節「主に信頼する者への祝福と、主を捨てる者へののろい」

2008年11月2日

幸福は、「健康、良き配偶者、悔いのない生涯の仕事、確固たる人生観を持つこと」にあるとスイスの哲学者 が言っています。しかし、この四つを全て手に入れることができるのは、非常にまれではないでしょうか。 “エレミヤ14章1節〜17章18節「主に信頼する者への祝福と、主を捨てる者へののろい」” の続きを読む

エレミヤ10章〜13章「あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に、栄光を帰せよ」

2008年10月16日

私たちは神を楽しみ喜ぶことができます。しかし、神を自分の目的達成の手段にすることは許されません。そこに偶像礼拝が始まるからです。私たちはこの世のものを「使用する」ことが許されていますが、その延長で、無意識にせよ、神を「使用する」ような発想になってはいないでしょうか。「楽しむ」ことと「使用する」ことの区別が大切です。ウエストミンスター大教理問答の最初では、「人間のおもな、最高の目的は何であるか」という問いに、「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」と答えるように教えられています。 “エレミヤ10章〜13章「あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に、栄光を帰せよ」” の続きを読む

エレミヤ7章〜9章「悟りを得て主 (ヤハウェ) を知るとは?」

2008年9月21日

19世紀ドイツの哲学者 は、「人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続に他ならない……幸福な人生などというものは不可能である。 “エレミヤ7章〜9章「悟りを得て主 (ヤハウェ) を知るとは?」” の続きを読む

エレミヤ4章5節〜6章30節「これでは、どうして、わたしがあなたを赦せよう」

2008年8月31日

ヴィクトール・フランクルというユダヤ人の精神科医は、アウシュビッツ強制収容所で、寒さに凍えながら強制労働に駆り立てられながら、ふと、愛する妻の面影を思い浮かべ、空想の中で彼女と対話し、彼女の微笑を見ることができました。人はどんな悲惨の中でも、愛する人の精神的な像を想像して自らを満たすことができるのです。そのとたん、彼は、彼女の眼差しの中で、人間の存在の目的を、「愛による、そして、愛の中の被造物の救い」であると悟り、「あなたの心に私を印として置いてください……愛は死のように強いのですから」(雅歌8:8私訳) の意味が分かったとのことです。それは伴侶でなくても、父でも母でも、またその他の大切な方の面影でも同じでしょう。 “エレミヤ4章5節〜6章30節「これでは、どうして、わたしがあなたを赦せよう」” の続きを読む

エレミヤ1章1節〜4章4節「背信の子らよ。帰れ」

2008年8月17日

オリンピックでは不思議に愛国心が刺激されます。そして、金メダルという結果がでると自分のことのように嬉しくなります。しかし、私たちは「結果」よりも「過程(プロセス)」を何よりも大切にする必要があります。 “エレミヤ1章1節〜4章4節「背信の子らよ。帰れ」” の続きを読む