2013年12月24日 クリスマス・イヴ礼拝
聖書ではイエスの誕生という重大なことが、驚くほど簡潔に記されています。 “イザヤ11章1〜10節「いと高き所におられる神のご支配がこの地に広がるために」” の続きを読む
2013年12月24日 クリスマス・イヴ礼拝
聖書ではイエスの誕生という重大なことが、驚くほど簡潔に記されています。 “イザヤ11章1〜10節「いと高き所におられる神のご支配がこの地に広がるために」” の続きを読む
世の多くの人々は、家内安全、商売繁盛や災いを退ける厄払いを願って神社に参拝します。そのような中で、「イエスを救い主と信じることによって、今ここで、何が変わるのですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょう。 “イザヤ52章3〜10節「あなたの神が王となる」” の続きを読む
2012年12月16日
「『神が、私たちとともにおられる』というなら、なぜこんな不条理が放置されているのでしょう・・」という気持ちの中で、神を礼拝しに来るのが苦痛になっている人がいます。また、「神を信じても何も変わりはしない・・」と思って失望感をつのらせる信仰者がいます。しかし、ユージン・ピーターソンはベストセラーとなった信仰の旅路に関する詩篇の解説書のタイトルを、無神論者フリードリッヒ・ニーチェのことば、A long obedience in the same direction 「この天と地において本質的なことは、同じ方向への長い忠実さが必要だということ、それを通してこそ結果が生まれ、それは常に長い期間を通して実現されることである。それこそ、人生を生きるに値するものにするのである」から引用しました。 “イザヤ7章1〜17節、9章6〜7節「神が、私たちとともにおられる」” の続きを読む
2011年12月24日 クリスマス・イヴ礼拝
信仰に導かれた二十歳過ぎのとき、僕にとっては、「いつも主にあって喜びなさい」(ピリピ4:4)というみことばがとっても新鮮でした。でも信仰生活が長くなるうちに、それが偽善のように思えてきました。 “イザヤ11章1〜10節「神の平和を完成する救い主」” の続きを読む
2011年3月13日
日本の歴史上、最大級の地震が起きて、多くの方が苦しんでおられます。そして、世界中の多くの私たちの兄弟姉妹が、この日本のために祈っていてくださいます。フィリピンやシンガポールや香港、アメリカの兄弟姉妹から安否のお問い合わせと、何かできることはないかとの支援のお申し出を受けています。 “イザヤ56章〜66章「新しい天と新しい地での礼拝を目指して」” の続きを読む
2011年2月6日
先日、ある教会の礼拝でご奉仕させていただいたとき、その後で、ある方が、「どうしても先生に、一言、お尋ねしたい・・・」と言って来られました。その方は、「以前、私は、神様のことをとっても身近に感じ、疑いなどを持つことがなかった。教会奉仕も楽しくてたまらなかった。ところが、今は、心が渇き、苦しくてたまらない。それで必死に、以前のように戻りたいと様々な努力を重ねているのですが、かえって苦しくなるばかりです。どうしたら良いのでしょう・・・」という趣旨のことを尋ねてくださいました。 “イザヤ40章〜48章「まことに、あなたはご自身を隠す神」” の続きを読む
2011年1月23日
新渡戸稲造は「武士道」という著書で、日本の武士道とキリスト教精神に共通点があることを描き、それは国際的なベストセラーになりました。小生も同じ大学の大先輩であるという理由だけで、尊敬とともに親近感を覚えますが、そのような視点の危なさを感じることもあります。武士道精神では、どのような状況下でも心の平静さを保つことができるように自分で自分を律することが大切にされます。しかし、ふと、「自分で自分を律することができるなら、どこに信仰の必要があるのだろう・・・」とも思います。 “イザヤ66章7〜24節「神が創造してくださる礼拝」” の続きを読む
2011年1月9日
私たちは今、「すぐに結果を出さなければ・・」というプレッシャーの世の中に置かれています。私自身もかつてそのような職場に身を置き、その発想を身に染み込ませて牧師になりましたが、そのために信仰生活が苦しくなった時期があります。なぜなら、あまりにも結果が見えなさ過ぎるからです。それは目に見える教会の成長のことばかりではありません。「これだけ神のみことばに親しんでいるのに、どうしてこうも僕は成長できないのだろう・・」と思ってしまいます。久しぶりに会った友人が、僕の若さをほめる意味で、「お前は何も変わっていないな」と言ってくれても、ふと、「お前の人格には昔から何も成長が見られない・・」と言われたような気になることがありました。 “イザヤ65章16節〜66章14節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」” の続きを読む
2011年1月2日
クリスチャンは天国にあこがれながらこの世の不条理をしのび、悔しいことがあっても微笑みながら生きる・・・そんなイメージがあるかもしれません。しかし、そんな生き方では、息が詰まってしまいます。義兄が私たちの信仰のあり方を尊重しながら、「お前たちの所は、アーメンだからな・・・」と言ってくれますが、今日の箇所には、「アーメン(真実)の神」という不思議な表現があります。それは、神にはご自身のことばと現実の行いの間にいかなるギャップもないということを意味します。 “イザヤ63章18節〜65章16節「アーメン(真実)の神によって祝福される歩み」” の続きを読む
2011年1月1日
AKB48の 「Beginner」を聞いて、これを書いた秋元康さんは本当にこの時代を見ていると妙に感心しました。「昨日までの経験とか、知識なんか荷物なだけ、風はいつも通り過ぎて、後に何も残さないよ、新しい道を探せ! 他人(ひと)の地図を広げるな! 伏せた目を上げた時に 0(ゼロ)になるんだ・・・今 僕らは夢見てるか、子どものようにまっさらに…支配された鎖は引きちぎろう Change your mind 何も知らなくていい Beginner! チャレンジは馬鹿げたこと? リスク回避するように愚かな計算して何を守るの? 僕らは夢見てるか? 未来を信じているか? 何もできない、ちゃんとできない、それがどうした? 僕らに可能性があるんだ、君は生まれ変わった Beginner! “イザヤ41章〜43章「恐れるな。わたしは、あなたとともにいる」” の続きを読む