イザヤ52章3〜10節「あなたの神が王となる」

2013年10月20日

世の多くの人々は、家内安全、商売繁盛や災いを退ける厄払いを願って神社に参拝します。そのような中で、「イエスを救い主と信じることによって、今ここで、何が変わるのですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょう。

私はしばしば、「どの人の人生にも闇の時期が訪れます。しかし、イエスに信頼する者は、痛み、苦しみ、悲しみの中にも、喜びと平安と希望を見いだすことができます。それを知っていることで、自分の損得勘定を超えて目の前の課題に真正面から向かう勇気をいただくことができるのです」と答えるようにしています。

預言者イザヤは、イエスの十字架への歩みの中に、神の救いのご計画を全うする「ユダヤ人の王」としての威厳を見させてくれます。

1.「主(ヤハウェ)があなたがたの前を歩み・・・しんがりとなられる」

52章初めでは、「さめよ。さめよ・・・あなたの美しい衣を着よ。聖なる都エルサレム」と呼びかけられますが、これは、主のさばきを受けて、ちりの中に伏していたエルサレムが、栄光に満ちた姿へと変えられることを、霊の目で見ることの勧めです。

黙示録では、「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから出て、天から下ってくる」(21:2)と記されますが、それこそこの預言が成就するときです。

神の民は、最初、自分でエジプトに下って行って苦しめられ、この直前にはアッシリヤによって苦しめられました。しかし、彼らは借金の抵当で売られたわけではなりませんから、神のみこころひとつで、奴隷状態から解放されることができます(52:3,4)。

イスラエルの苦しみは、主ご自身が、彼らを懲らしめ、反省させるために行ったことですが、当時の世界の人々は、エルサレムの滅亡は、イスラエルの神、主(ヤハウェ)が無力であったためだと思いました。

そのことを、主は、「わたしの名は一日中絶えずあなどられている」(52:5)と嘆いておられます。そして、それは神の民自身が神を忘れてしまった結果でもあります。

しかし、それに対して、神の救いは、神の御名を思い出させることとして、6節では、「それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。それゆえ、その日、『ここにわたしがいる』と告げる者こそが、わたしであることを知るようになる」と描かれます。

多くの人は、天地万物の創造主に向かって祈ることができるということが、どれだけ大きな心の平安になるかということを知らずに生きています。しかし、神を知ることこそ、また、その神にすがって生きることこそ、「永遠のいのち」の最も基本的な意味なのです。

7節からは、「なんと美しいことよ。山々の上にあって福音を伝える者の足は」という詩文になりますが、福音の内容は、「あなたの神が王となる」というものです。それはイスラエルの神がエルサレムからこの世界全体を治めるという意味です。

福音とは神のご支配が明らかになることです。主はまず神の民にご自身を啓示し、そして神の民を世界に遣わすことによって、世界にご自身を知らせてくださいます。それは、神がこの世界の歴史を確かに導いておられ、ご自身の「平和(シャローム)」を必ず実現するという希望です。

なお、「その足は、平和を聴かせ」とありますが、パウロはこのことばを用いて、「足には平和の福音の備えをはきなさい」(エペソ6:15)と勧めました。私たちは、「平和の福音」を身近な人との関係の中で味わい、またその「平和」を広げるために召されたのです。

そして、続いて、「彼らは、主(ヤハウェ)がシオンに帰られるのをまのあたりに見る」(52:8)と記されているのは、エルサレムが廃墟とされたのは、主の栄光がエルサレムを立ち去ったからであり(エゼキエル11:23)、その救いは、主の栄光が戻ってくることによって実現すると理解されていたからです。

イエスのエルサレム入城こそは、主(ヤハウェ)がシオンに帰られたということを現すものでした。エルサレムの人々はそのとき、この預言を成就するかのように、「共に大声をあげて歓喜」しました。それはイエスがエルサレムをローマ帝国の支配から贖う救い主だと思われたからでした。

しかし、神はそれ以上に、イエスの十字架と復活によって、「悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放する」という不思議な救いを実現してくださいました。

イエスの復活こそ、悪魔と罪と死の力に対する勝利です。「地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る」(52:10)とは、信仰者が常に死を乗り越えた希望に生きることができることに現されています。

最後に、「去れよ。去れよ。そこを出よ」(11節)とは、捕囚の国バビロンを出て、エルサレムに向かって旅をすることを意味します。「汚れたものに触れてはならない・・・身をきよめよ。主(ヤハウェ)の器をになう者たち」とは、主の宮の奉仕にために聖別されたレビ人に対する語りかけです。

彼らはバビロンでお金を稼ぐことばかりに夢中で、この世の仕事にどっぷりつかっていたからです。これは私たちすべてのキリスト者に対する語りかけでもあります。

その上で、「あなたがたは、あわてて出なくても、逃げるように歩かなくてもよいのだから」(52:12)と勧められていることばは、出エジプトのときに食料の準備もできないまま急き立てられて追い出された(出エジプト12:33,39)こととの対比が意識されています。

それは、「主(ヤハウェ)があなたがたの前に進み、イスラエルの神があなたがたのしんがりとなられるから」(52:12)であるというのです。私たちの前も、うしろも、神ご自身が守っていてくださいます。

私たちも、やがて実現する新しいエルサレムに向かっての旅へと召されています。信仰者の歩みは、みな、「はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白する」(ヘブル11:13)ものです。

あなたの前には、新しいエルサレムの祝宴が待っています。世界は喜びの完成に向かっています。イエスを救い主として喜び迎える声は、今も世界中で聞こえています。霊の耳を開いて、それに耳を傾けましょう。イエスはすでに世界の歴史を変えてくださいました。私たちはすでに新しい世界に足を一歩踏み入れています。

新しいエルサレムに向かう旅路は、キリストにあってその成功が約束されています。もちろん、私たちが自分でイエスの救いを拒絶してしまっては救われようがなくなります。しかし、私たちが自分の意志の弱さ、自分の無力さを認め、イエスの救いにすがろうとしている限り、私たちの救いは確定しています。

人にはできないことを、神はイエスによって成し遂げてくださいました。そして、イエスは、世の完成のときまで、いつも私たちとともに歩んでくださいます。

2.「主(ヤハウェ)のしもべ」としての生き方を全うされたイエス

これに続く箇所は、「主のしもべの歌」として多くの人々から愛読されてきた所で、旧約聖書しか信じないユダヤ人がイエスを救い主として信じる際に最も多く用いられている不思議な預言です。そこには、「苦難を通しての救い」という聖書に繰り返されるストーリーの核心が簡潔に記されています。

私たちはこれを最初からキリスト預言として読んでしまいがちですが、もっと原点に立ち返って、私たちと同じ不自由な肉体に縛られていた人間イエスが、このみことばをどのようにお読みになったかを考えるべきでしょう。

イエスは総督ピラトの前に立たれながら沈黙しておられたとき、また、ローマ兵から鞭を打たれていた時、また「いばらの冠」をかぶらされて嘲りを受けておられたとき、この「主のしもべの歌」を思い巡らしていたことでしょう。

イエスは、そこに描かれた生き方を全うすることこそが「ユダヤ人の王」としての使命であることを自覚し、またそれによって「神の国」を全世界にもたらすことができると信じておられました。

イエスの十字架に至る場面はまさにその700年前に記されたイザヤ書53章に記されていました。イエスはこのみことばをそのまま生きることによって「世界の救い主」になられたのです。

ところで、現代のユダヤ人も、ナチス・ドイツによる大迫害を受けながら、自分たちが「主(ヤハウェ)のしもべ」として苦難に耐えているという自覚を持っていたのではないでしょうか。

この歌は、不条理な苦しみの中で、その苦しみに積極的な意味を生み出す力を持っています。この歌を生きる者は、苦難に耐える力を受けることができます。

ビクトール・フランクルというオーストリヤ出身の有名なユダヤ人の精神科医がいました。彼は第二次大戦時の最も忌わしいアウシュビッツ強制収容所の苦しみをくぐりぬけ、その体験を「夜と霧」という本にまとめ、不朽のベストセラーになっています。この本に関してはNHK、Eテレ百分で名著という番組で昨年8月と今年3月にも放送されています。彼が始めた精神療法のロゴセラピーは、人生の意味を問うことで人を立ち直させるもので、聖書のメッセージと矛盾しません。

ヒットラーがウィーンに進軍してきたとき、フランクルはすでに精神科医として尊敬を集めていました。ただ、ユダヤ人であるためナチス・ドイツ政権の支配下では働きを続けることができません。それで、米国行きのビザを申請していました。数年かかってビザが下りたとき、ユダヤ人に対する迫害が激しくなっており、そこに残ると、強制収容所への抑留が避けられない状況になっていました。

しかし、彼には年老いた両親がいました。その両親のビザはありません。彼は迷いました。彼がウィーンに残ったところで両親を救うことができるわけではないことは明白でしたが、両親を置き去りにして自分だけが渡米することに後ろめたさを感じていました。

迷いながら家に帰ってみると、父親が、破壊されたユダヤの会堂の瓦礫から拾ってきた大理石がテーブルの上に置いてありました。そこにはヘブル語のカフというアルファベットが刻まれていました。それは、「あなたの父と母を敬え」の最初のことば、「敬え(カベッド)」の最初の文字でした。

彼は、この文字を見たとき、自分の使命は、両親とともにウィーンに残ることにあると確信できました。彼は自分の医療技術を用いて、秘密警察の悩みを解決し、両親の抑留を一年間伸ばすことができましたが、まもなく両親とともに強制収容所に抑留されました。

父は、そこで肺水腫を患って死の床につきます。彼は医師として、父に最後の痛み止めの注射を打つことができました。彼は、そのときのことを、「私は、それ以上考えられないほど満足な気持ちであった」と書き残しています。

母はその後、アウシュビッツのガス室送りになりましたが、移送される直前に、彼は母に祝福の祈りを請い、まさに心の底からの祝福のことばを母から最後に受けることができました。

彼自身もその後、アウシュビッツに送られますが、彼はそこで母親のことばかりを思い、母への感謝の思いで心がいっぱいになっていたとのことです。

フランクルは奇跡的にアウシュビッツの苦しみの生き残り、そこでの体験を証ししました。それは、苦しみの証ではなく、どんな悲惨な状況に置かれても、人間は高貴に、自由に、麗しい心情を持って生きることができるという神のかたちに創造された人間の生きる力の証しでした。

「何のために生きるのか・・・」という問いに答えを持っている人は、最後の瞬間まで、真の意味で生きることができるということの証しでした。

そして何よりも、彼が、あらゆる損得勘定や現実的な計算を捨てて、両親とともに強制収容所に入ると決めたことは、一瞬一瞬、人生の問いに答えながら歩むことを、身をもって証することになりました(結論は各自で異なって当然ですが・・・)。

その後、彼は、この「生きる意味の心理学」によって、多くの人に希望を与えながら、92歳に至るまで幸いな生涯を全うしました。

ヒットラーはドイツ国民の中にあった怒りと憎しみとねたみの感情を煽ることによって権力を握りました。一方、ユダヤ人のフランクルは、権力者に振り回され、理不尽な苦しみに耐えることで、神のかたちに創造された人間の尊さを証しできました。

フランクルはその意味で、アウシュビッツの苦難を通してヒットラーに打ち勝ったのです。

イエスの十字架への歩みは、王のなかの王としての歩みでした。イエスは圧倒的な勝利者であったからこそ、十字架に向かって歩まれたのです。私たちは、十字架の「暗さ」に、この世の暗やみを圧倒する「光」を見ることができます。

N.T.Wrightは、「the cross is the victory that overcomes the world (十字架は、世を打ち負かす勝利である)」と述べていますが、当時の「十字架」は、ローマ帝国の秩序に従わせる「脅し」の手段でした。

イエスの幼児期に何千ものユダヤ人がガリラヤ地方で独立運動に参加し、十字架にかけられました。ローマにとってそれは、法の秩序と平和を守らせるための脅しのシンボルでした。しかし、イエスはそれを「愛と赦し」のシンボルに変えてくださいました。

しかも、その脅しは、キリストの弟子には通用しなくなり、ついにはローマ帝国自体が十字架にかけられたイエスを救い主と信じるようになりました。

イエスの受難のシーンには、真の王者の姿が描かれています。ハエを殺すように人を殺すことができたローマの百人隊長はそれに気づきました。なぜなら、真の王の権威とは、民を救うためには自分のいのちを差し出すことができるという生き様に現されるからです。

3.「さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた」

イエスの十字架の場面では、ローマの兵士たちがイエスに、「紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ」、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし、「葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた」と、その嘲弄の様子が生々しく描かれます。

イエスは、そのような嘲りを受けながら、イザヤ53章1-4節のみことばを思い巡らしていたのではないでしょうか。そこには、「主(ヤハウェ)の御腕は、だれの上に現されたのか。彼は御前で若枝のように芽生えたが、乾いた地から出ている根のようだった。見とれるような姿も、輝きも彼にはなく、私たちが慕うような見ばえもない。さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」と記されています。

イエスは、ご自分を何と、「主の御腕の現れ」と意識しながら、主の救いは、人々のあざけりやののしりに耐えることによって実現できると信じておられました。まさに、イエスは神によって立てられた真の王としての自覚を持つからこそ、あざけりに耐えることができたのです。

私たちは、自分の存在価値を高く評価してくれる方の語りかけを聞き続けることによってのみ、不当な非難に耐えることができます。

イエスの苦しみにはイザヤの苦難のしもべの姿を実現するという創造的な意味がありました。そして、イザヤの預言の書き出しには、「見よ。わたしのしもべは 栄える。高められ、上げられ、はるかにあがめられる。多くの者があなたを見て唖然とするほどに、その見ばえも失われて人のようではなく、その姿も人の子らと違っていたのだが・・・。そのように、彼は多くの民を驚かせ、王たちはその前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ」(52:13-15)と記されていました。

主のしもべ」としての「栄光」は、この世の常識の逆転によって現されるというのです。私たちは知らないうちに、この世的な成功や栄光の基準によって自分の価値を測ってはいないでしょうか。

イエスの十字架と復活は、世界の価値観を変えました。私たちは世の不条理に振り回され、敗北者の道を歩むように見えても、「圧倒的な勝利者」(ローマ8:37)とされているのです。

それにしても、イエスは孤独を味わいながらも、ご自分のことを弁護はなさいませんでした。イエスに十字架刑を宣告したのはローマ総督ピラトです。

彼は裁判の席で、イエスに向かって、「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです」(4節)と問いかけます。そこには、イエスが弁明さえすれば、この愚かな裁判を終えられるという期待がありました。

ところが、「それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた」(15:5)というのです。これはピラトにとって到底理解できないことでしたが、それこそが、イザヤ53章7節に記された主のしもべの姿でした。

そこでは、「痛めつけられても、彼はへりくだり、口を開かない。ほふり場に引かれる羊のように・・・。

毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」と預言されていました。

エスは、人々が期待する救い主の姿ではなく、イザヤが預言した「主(ヤハウェ)のしもべ」の姿を生きておられたのです。

しかも、それに続くイザヤ53章10節には、「彼を砕き、病とすることは、主(ヤハウェ)のみこころであった。もし、彼がそのいのちを罪過のためのいけにえとするなら、末長く、子孫を見ることになる。主(ヤハウェ)のみこころは彼によって成し遂げられる」と記されていました。

イエスはご自分を「罪過のためのいけにえ」とするのが、「主のみこころ」であると確信していたため、敢えて、ピラトの前で沈黙を守っていたのです。

そして、本来、エルサレム神殿はイスラエルの民の罪をあがなうための神が与えたシステムでした。そこで、イエスはご自分の死を通して、神殿を完成しようとされたのです。それにしても、祭司長たちがイエスを殺したいと願った最大の理由は、イエスが自分たちの生活の基盤であるエルサレム神殿の秩序を壊そうとしていたと解釈したからです。イエスは彼らの既得権益に挑戦したのです。

一方イエスはイザヤ53章12節にあるように、「そのいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられた」、つまり、犯罪人の仲間とされることこそ、神のみこころであると信じ、ピラトの前で沈黙を守りました。自分の身を守るために平気でうそをつく祭司長たちと、ご自分が無罪でありながら、有罪判決を受けることが主のみこころであると確信して沈黙を守るイエスの対比がここでは強調されています。

イエスの沈黙に、王としての威厳が現されています。

神のみわざは、私たちが人の痛みを自分の痛みとできる、人の弱さに寄り添う、という愛の交わりの中に現されます。すべての人は、神のかたちに創造されました。だからこそ、私たちは互いに愛し合うことができます。

逆説的になりますが、「神よ、どうして……」と共に嘆き合っているところに、神の愛が全うされているということがあります。私たちはこの世界では、問題から自由になることはできません。しかも、問題を解決しようとすることが、しばしば、問題を起こす人を排除するという方向に働きます。

そして、それこそが、この世界に争いを引き起こす最大の原因となっています。キリストは私たちに問題を解決する力以前に、問題を引き受ける力を与えてくださいます。

そして問題をともに引き受けることのただなかに、神の平和が広がって行きます。神は、あなたをキリストに従う者と召されることによって、あなたをご自身の平和のために用いてくださいます。