私たちはイエスを救い主と信じることによって、「永遠のいのち」をすでに与えられていると教えられてきました。ところがこのヘブル書では、「神の安息」に入ることができなくなる可能性が示唆され、そうならないように「日々互いに励まし合う」ことが勧められています。 “ヘブル4章1〜13節「神の安息に入るための励まし合い」” の続きを読む
ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」
私たちの教会のヴィジョンは、「新しい創造をここで喜び、シャロームを待ち望む」とされています。そして英語のロゴマークが「New Creation : hope for the Shalom」と記されています。Creationの真ん中のtが♰と、十字架を示唆しますが、イエスの十字架と復活によって「新しい創造」がすでに始まっています。 “ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」” の続きを読む
ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」
「『死』とは何か」という380ページを超える本が売れています。それも原書を半分近くに縮刷したもので、その前半では「魂」の存在が形而上学的に否定されているようです。しかし聖書は、「魂が肉体の束縛から解放されて天国で憩う……」との希望を語っているのでしょうか?それどころかヘブル書では、肉体を持つ人間が、霊的な存在である御使いたちに優っている面があるということが強調されます。 “ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」” の続きを読む
ヘブル2章1〜9節「こんなにすばらしい救いーAmazing Grace」
2018年10月7日
「奴隷商人から神の僕に」という物語が「百万人の福音」に連載され、91歳の母がそれを楽しみに読んでいます。「母が読んでいるのに、僕が読まないわけには……」と21回目になってから遡って読みだしました。私たちはだれも、自分の信仰心によって神を求めたのではなく、神が私たちを求めてくれた結果、霊の目が開かれて行きます。 “ヘブル2章1〜9節「こんなにすばらしい救いーAmazing Grace」” の続きを読む
ヘブル1章「王なる支配者としての御子」
2018年9月30日
あなたは、イエスの十字架をどのように描くでしょう?普通に考えるなら、イエスほど哀れな犠牲者はいません。何の罪を犯さなかった愛に満ちた人が、無実の罪で、当時もっとも忌まわしい十字架刑に処せられたというのですから……イエスはまさに悲劇の主人公です。 “ヘブル1章「王なる支配者としての御子」” の続きを読む
ヘブル2章5〜18節「いつくしみ深き兄なるイエス
2013年3月31日
激しい不安を抱いている人は、自分の意識を無くするために、死ぬことを自分から願ったりさえします。しかし、「死」は、すべてを失うことのシンボルです。私たちは死において、家族や友人と引き離され、それまで築いたもののすべてを失います。 “ヘブル2章5〜18節「いつくしみ深き兄なるイエス” の続きを読む
ヘブル10章32節〜11章13節「待ち望みつつ、今を生きる」
2010年11月28日
北朝鮮が韓国の島の民家を攻撃したことで、戦争は起きないはずだという信仰?が揺るがされています。しかし、戦争が起きないと思うのは希望的観測であって信仰とは無関係です。それどころか、聖書は終わりのときが近づくに連れて世界に争いが広がるとさえ語っています。 “ヘブル10章32節〜11章13節「待ち望みつつ、今を生きる」” の続きを読む
ヘブル2章5〜18節「いつくしみ深き兄なるイエス」
2010年10月31日
多くの人は、「死ぬ」ことを、意識が麻痺できることと捉え、それほど恐れてはいません。それどころか、激しい不安と恐れを抱いている人は、自分の意識を無くするために、死ぬことを自分から願ったりさえします。 “ヘブル2章5〜18節「いつくしみ深き兄なるイエス」” の続きを読む