ヨハネ20章19〜29節「イエスに遣わされて恐れの中に生きる」

2020年4月12日

ニューヨークの病院の集中治療室で自主的に看護師として援助に就かれた信仰者の先週のお証しです。

「その日、30床の病棟で、私の12時間勤務内で7人の方が亡くなりました。そのうち2人は私の患者さんでした。彼らはみな重篤で、助かる見込みが無く、責任者の指示のもと自らの手で2人の人工呼吸器のスイッチを切らざるを得ませんでした。2週間前にも、人工呼吸器のスイッチを切ったことがあったのですが、その時は家族と離れて一人ぼっちで孤独に死を迎える患者さんの手を握って患者さんの息が途切れるまで一緒にいて、お見送りをしました。 “ヨハネ20章19〜29節「イエスに遣わされて恐れの中に生きる」” の続きを読む

ヨハネ21章15〜25節「あなたは、わたしに従いなさい」

2017年10月15日

日本では、「茶道」「華道」「書道」「剣道」「柔道」などのように特定の「道を究める」ことが大切にされます。それと同じように信仰の歩みを、クリスチャンとしての礼儀作法を身につけて「キリスト道」を究めるかのように、無意識に考えてしまっていることはないでしょうか。 “ヨハネ21章15〜25節「あなたは、わたしに従いなさい」” の続きを読む

ヨハネ21章1〜14節「新しい時代に生きる者として」

2017年9月24日

イエスの復活によって世界は新しい時代に入っています。「新しい創造(New Creation)](ガラテヤ6:15)はすでに始まっています。しかし、多くのキリスト者は、古い生き方に縛られ、新しい時代の生き方に適応しきれていないのかもしれません。 “ヨハネ21章1〜14節「新しい時代に生きる者として」” の続きを読む

ヨハネ20章19〜31節「信じない者を信じる者に変えて遣わしてくださるイエス」

2017年8月13日

昔、こんな話を聞きました。映画「ベンハー」の小説の原作者は、キリストの復活を否定する文書を書こうとして当時の状況を徹底的に調べた結果、反対に、キリストの復活を証拠立てる様々な事実に圧倒されて、キリストの物語を書くようになった……と。 “ヨハネ20章19〜31節「信じない者を信じる者に変えて遣わしてくださるイエス」” の続きを読む

ヨハネ20章1〜18節「イエスのために泣き続けたマリヤへの祝福」

2017年7月16日

現代はポスト・モダンの時代と言われ、合理性重視の陰で人の心情が軽んじられてきたことへの反省が起きています。17世紀のパスカルは、「心情は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている」(パンセ277)との名言を吐きました。 “ヨハネ20章1〜18節「イエスのために泣き続けたマリヤへの祝福」” の続きを読む

ヨハネ19章31〜42節「十字架から湧き出るいのちの泉」

2017年7月9日

私たちはみな人知れず傷つけられ、その傷跡から別の人を傷つける言動が生まれます。この世界を暗くしているのは、この罪の連鎖です。

しかし、イエスが十字架で、どのように血を流され、その傷跡から何が生まれたのか、を思い巡らすことを通して、そこに解決の鍵を見出すことができます。 “ヨハネ19章31〜42節「十字架から湧き出るいのちの泉」” の続きを読む

ヨハネ19章16〜30節 「イスラエルの使命を完了した王なる小羊」

2017年5月21日

「主のみこころは?」と多くの信仰者が問いかけますが、多くの場合は、就職、結婚、自宅の建設、教会の選択などということに絡んで用いられます。

私も就職の際に、多くの内定をいただきながら、「みこころの就職先は?」と真剣に祈りました。しかし、入社三日目に、「みこころを読み間違えた……」と深く後悔しました。しかし、それは、新規開拓の飛び込み訪問外交が苦しかったからかもしれません。 “ヨハネ19章16〜30節 「イスラエルの使命を完了した王なる小羊」” の続きを読む

ヨハネ18章38節〜19章16節「真の王として苦しみを忍ぶ方」

2017年5月14日

「真の王」とは、どのような存在でしょうか。自分の王権を主張して、人を従わせる人でしょうか。かつてモーセはイスラエルの民が金の子牛を作って拝んだ時、自分の名をいのちの書から消し去っても良いから、その代わりに彼らの罪を赦してほしいと願いました(出エジ32:32)。 “ヨハネ18章38節〜19章16節「真の王として苦しみを忍ぶ方」” の続きを読む