エリザベス女王の葬儀〜ヨハネ14章1–9節

エリザベス女王の葬儀をご覧になられた方も多いかと思いますが、どのように感じられたでしょう。最初から最後まで、聖書朗読と美しい聖歌隊の賛美と、会衆賛美が続きましたね。日本的な葬儀の感覚からすると、身近な人の証しや思い出のことばが入って、最後は皆で献花をする⋯⋯という感じをイメージしますが⋯⋯

参列者は、日本の天皇を初め、讃美歌の斉唱に加わるということを通して、故人への哀悼の意を表すということになったのでしょうか。

会衆賛美に選ばれた讃美歌は以下の三曲だったと思います。生前に女王自身が選んだのだと思われます。

  • 讃美歌43「み神のたまいし、この日も暮れけり」
  • Ⅱ讃美歌41「主はわが飼い主」
  • Ⅱ讃美歌150「あめなる喜び」

皆様も、日ごろから、自分の葬儀にはどのような讃美歌を歌って欲しいとかどの聖句を読んで欲しいかということを書き留め、牧師に知らせておいておいていただければ助かります。

読まれた聖書は最初にⅠコリント15章20–26節、53節でした。そこではキリストの復活が初穂であり、私たちは死に勝利したものとして終わりに日に新しいからだでよみがえると約束されています。

その後、詩篇42篇1–7節のことばが聖歌隊にって歌われました

わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか、
私のうちで思い乱れているのか⋯⋯

これは、拙著「心が傷つきやすい人への福音」のテーマ聖句でもあり、それが表紙の「ほおずき」の絵のモチーフにもなっています。

その後、先日就任したばかりのリズ・トラス首相がヨハネによる福音書14章1–9aを美くしい声で朗読しました。そこでは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです⋯⋯わたしを見た人は父を見たのです」という有名なことばが記されています。

その後、カンタベリー大司教による説教がありました。20分間ぐらいでしょうか⋯⋯。その中心は、女王の生き方は、「国に仕える者としての生き方であった」という「人々に仕えることにおけるリーダシップ」が語られました。特に印象的だったのは、「どのように生きるか」というよりも、「どなたに仕えていたか」という視点の大切さです。女王は、終生キリストに仕えるとともに国民に仕えて来たというものでした。

その後、先の「主は、わが飼い主」という曲が歌われました。

その後も聖句の朗読と聖歌隊の賛美、会衆賛美が続きました(このあたりはちょっと記憶があいまいです)。

まさに葬儀の式自体が、最高の主へ礼拝として整えられていました。NHKの動画配信などで、通訳付きのものを見ることができます。

一か所がっかりしてしまったのは聖霊と訳すべきところを「聖なるたましい」と訳したところがありました。さすがに後はきちんと聖霊と訳されていましたが⋯⋯

とにかく、讃美も聖書朗読も、その核心は、キリストの復活と私たちの復活の希望であふれていました。

日本の葬儀でしばしばいわれる「なくなった方が天国で今、私たちを見守ってくださる⋯⋯」みたいな話は一切ありませんでした。

私たちの教会でもずっと昔から、音楽礼拝では聖句の朗読とそれに合わせた賛美を交互に入れ、説教はなるべう短く⋯⋯という礼拝の形を受苦日礼拝やクリスマスイブ礼拝では行ってきています。

そのようにエリザベス女王の葬儀は聖句朗読、詩篇のことばにメロディーをつけた聖歌隊賛美、女王の愛唱歌の賛美で満ちていました。

全世界の多くの人々がまた日本の多くの人々が、女王の葬儀を通して、福音の核心に触れることができました。

私たちも「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われたイエスの生き方に倣い、自分の身を削りながらでも、神と人とに仕える生き方を全うしたいものです。