多くの者を義に導いた者は、 世々限りなく、星のようになる

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2023年イースター号より

二十歳近くも若い者が辻岡健象先生の思い出を語るのは恐れ多いことですが、先生の生き方を一言でまとめれば、「私心のない人」と言えましょう。いつもご自分の都合は後回しにして、目の前の人の必要に柔軟に対応し、寄り添う生き方を貫いて来られました。 “多くの者を義に導いた者は、 世々限りなく、星のようになる” の続きを読む

「私の主の母が私のところに来られるとは…」(ルカ1:43)

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2022年クリスマス号より

マリアは御使いガブリエルからの受胎告知を受けますが、その後のことが、「マリアはその日々の中で立ち上がって、山地に急いで向かった、ユダの町に」(ルカ1:39私訳) と記されています。それは自分の妊娠を知らされた直後の行動です。ガリラヤのナザレから遠く離れたユダの山地にある町に向かう当時の一般的なルートは、ナザレから東に向かい、ヨルダン川の向こうに下り、川の東沿いを南に歩き、エリコの近くで川を渡り、そこからユダの山地に向かって、まるで登山をするように標高差1200メートルを一気に登るというものでした。これは通常、四日間から一週間の道のりであったと言われます。 “「私の主の母が私のところに来られるとは…」(ルカ1:43)” の続きを読む

主の救いを身近なところに発見する

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2022年イースター号より

去る2月24日にロシアが大軍をウクライナに送り込み、世界の歴史が大きく動き出しました。ロシアの論理は、かつて日本が朝鮮半島から満州を支配し、中国に進軍したことに似ています。そこでは、米国や英国の支配からアジアを守るという大義が掲げられていました。そして日本の軍部は特に、米国の軍事的な圧力をひしひしと感じていました。ですから、日本軍による真珠湾攻撃は米国が用意した「罠」であるというのが今や歴史の通説になりつつあります。 “主の救いを身近なところに発見する” の続きを読む

神の神殿として建てられる

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2021年クリスマス号より

昨年来の新型コロナ感染症蔓延によって私たちの交わりの持ち方が変えられています。たとえば、水曜日の朝の祈祷会は Zoom で開かれていますが、70代から90代のご高齢の方が毎週参加してくださり、互いの安否を気遣いながら、互いのためにお祈りしています。そこでいつも感心するのは、そのご高齢の方お一人おひとりが、様々な不自由さを抱えながら、身近な方々に寄り沿い、仕える働きをしておられるということです。 “神の神殿として建てられる” の続きを読む

死の恐怖から、恵みの支配の中に生かされる幸い

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2021年イースター号より

新型コロナ感染爆発(パンデミック)から一年あまりが経過しましたが、なお終息の目処は立たず、多くの人々が「恐怖」に囚われています。それは聖書では「死の恐怖」と呼ばれます (ヘブル2:15)。仏教的な価値観では、すべての生き物が避けることができない「死」を受け入れ、生命への執着から解放されるための解脱の道を教えます。しかし、聖書では、「死」は人間にとっての「最後の敵」として、キリストによって滅ぼされるべきものと見られています (Ⅰコリント15:26)。 “死の恐怖から、恵みの支配の中に生かされる幸い” の続きを読む

見よ、わたしは新しいことをする

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2020年クリスマス号より

見よ。わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。

あなたがたはそれを知らないのか。

必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける (イザヤ43:19)

新型コロナ・ウィルスの脅威がますます激しくなっているように思える昨今ですが、これは社会が大きく変化する契機でもあります。14世紀には黒死病(ペスト)が、東アジアから西ヨーロッパに10年間のうちに瞬く間に広がり、1349年には西ヨーロッパ全体に広がり、人口の三分の一が死亡したと言われます。特にイタリアのフィレンツェでは人口が半分にまで激減します。一方、そのころローマカトリック教会は、政治的な対立から、教皇庁を1309年に南フランスのアヴィニヨンに移さざるを得なくなり、1378年から1417年にはローマとアヴィニヨンに二人の教皇が並立するような異常事態にありました。 “見よ、わたしは新しいことをする” の続きを読む

「世の終わり」と思える中での希望

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2020年イースター号より

世界的な新型コロナウィルスの蔓延で、株式市場が世の終わりを示すような下がり方を示し、「今後、どうなってしまうのか……」という不安が広がっています。

世界中で愛されているJ.S.バッハの「目覚めよ!と呼ぶ声」または「起きよ、夜は明けぬ」という曲があります。これはもともとフィリップ・ニコライというドイツの牧師が作詞作曲をしたもので (讃美歌174)、その讃美歌をこよなく愛していたのが音楽の父と呼ばれるJ.S.バッハで、これをもとに、カンタータ140番、オルガン・コラールBWV645を作曲し、今や様々な場でのバックグラウンドミュージックの代表作になりました(ユーチューブでいろんなバージョンがすぐに出てきます)。 “「世の終わり」と思える中での希望” の続きを読む

「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2019年クリスマス号より

使徒パウロの四つの手紙の最後に、「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」ということばが入れられています。またペテロの手紙の一つに「愛の口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」ということばが最後に記されています。

これは多くの日本人にとっては違和感のある命令で、なかなか実行する際にためらいを感じてしまいがちです。なぜ、このようなことが敢えて強調されるのでしょうか。それぞれの文脈を以下の抜粋からともに考えてみましょう。 “「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」” の続きを読む

当教会の30周年を振り返って

2019年10月、立川福音自由教会30周年記念誌より

日本では平成の30年間を振り返られてきましたが、当教会が旧会堂を借り始めたのは1989年(平成元年)の7月1日であり、礼拝が始まったのは同年の10月1日です。この平成の時代は1989年11月のベルリンの壁崩壊や1990年初めのバブル経済の崩壊から始まり、それまでの常識が次々と壊される時期でした。ただ、日本経済の低迷と時期を同じくするように、日本の福音的な教会の成長も90年代に入って急速に衰え、今や、存続の危機に陥っている教会が増えています。 “当教会の30周年を振り返って” の続きを読む