神の神殿として建てられる

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2021年クリスマス号より

昨年来の新型コロナ感染症蔓延によって私たちの交わりの持ち方が変えられています。たとえば、水曜日の朝の祈祷会は Zoom で開かれていますが、70代から90代のご高齢の方が毎週参加してくださり、互いの安否を気遣いながら、互いのためにお祈りしています。そこでいつも感心するのは、そのご高齢の方お一人おひとりが、様々な不自由さを抱えながら、身近な方々に寄り沿い、仕える働きをしておられるということです。 “神の神殿として建てられる” の続きを読む

死の恐怖から、恵みの支配の中に生かされる幸い

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2021年イースター号より

新型コロナ感染爆発(パンデミック)から一年あまりが経過しましたが、なお終息の目処は立たず、多くの人々が「恐怖」に囚われています。それは聖書では「死の恐怖」と呼ばれます (ヘブル2:15)。仏教的な価値観では、すべての生き物が避けることができない「死」を受け入れ、生命への執着から解放されるための解脱の道を教えます。しかし、聖書では、「死」は人間にとっての「最後の敵」として、キリストによって滅ぼされるべきものと見られています (Ⅰコリント15:26)。 “死の恐怖から、恵みの支配の中に生かされる幸い” の続きを読む

見よ、わたしは新しいことをする

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2020年クリスマス号より

見よ。わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。

あなたがたはそれを知らないのか。

必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける (イザヤ43:19)

新型コロナ・ウィルスの脅威がますます激しくなっているように思える昨今ですが、これは社会が大きく変化する契機でもあります。14世紀には黒死病(ペスト)が、東アジアから西ヨーロッパに10年間のうちに瞬く間に広がり、1349年には西ヨーロッパ全体に広がり、人口の三分の一が死亡したと言われます。特にイタリアのフィレンツェでは人口が半分にまで激減します。一方、そのころローマカトリック教会は、政治的な対立から、教皇庁を1309年に南フランスのアヴィニヨンに移さざるを得なくなり、1378年から1417年にはローマとアヴィニヨンに二人の教皇が並立するような異常事態にありました。 “見よ、わたしは新しいことをする” の続きを読む

「世の終わり」と思える中での希望

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2020年イースター号より

世界的な新型コロナウィルスの蔓延で、株式市場が世の終わりを示すような下がり方を示し、「今後、どうなってしまうのか……」という不安が広がっています。

世界中で愛されているJ.S.バッハの「目覚めよ!と呼ぶ声」または「起きよ、夜は明けぬ」という曲があります。これはもともとフィリップ・ニコライというドイツの牧師が作詞作曲をしたもので (讃美歌174)、その讃美歌をこよなく愛していたのが音楽の父と呼ばれるJ.S.バッハで、これをもとに、カンタータ140番、オルガン・コラールBWV645を作曲し、今や様々な場でのバックグラウンドミュージックの代表作になりました(ユーチューブでいろんなバージョンがすぐに出てきます)。 “「世の終わり」と思える中での希望” の続きを読む

「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2019年クリスマス号より

使徒パウロの四つの手紙の最後に、「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」ということばが入れられています。またペテロの手紙の一つに「愛の口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」ということばが最後に記されています。

これは多くの日本人にとっては違和感のある命令で、なかなか実行する際にためらいを感じてしまいがちです。なぜ、このようなことが敢えて強調されるのでしょうか。それぞれの文脈を以下の抜粋からともに考えてみましょう。 “「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」” の続きを読む

当教会の30周年を振り返って

2019年10月、立川福音自由教会30周年記念誌より

日本では平成の30年間を振り返られてきましたが、当教会が旧会堂を借り始めたのは1989年(平成元年)の7月1日であり、礼拝が始まったのは同年の10月1日です。この平成の時代は1989年11月のベルリンの壁崩壊や1990年初めのバブル経済の崩壊から始まり、それまでの常識が次々と壊される時期でした。ただ、日本経済の低迷と時期を同じくするように、日本の福音的な教会の成長も90年代に入って急速に衰え、今や、存続の危機に陥っている教会が増えています。 “当教会の30周年を振り返って” の続きを読む

「正しすぎてはならないーLet it be」/ 高橋光市氏の信仰告白の証し

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2019年イースター号より

去る4月2日に小生の父、高橋光市が93歳の生涯を閉じ、天に召されました。幸い2011年7月に日本キリスト教会連合の旭川めぐみ教会において、当時の牧師の込堂一博先生から洗礼を授けていただいておりました。母が息子である小生の信仰に従って洗礼を受けたいと言ったのがきっかけではありますが、込堂先生が何度も父を訪ね、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27) という厳然たる事実を語りつつ、「イエス・キリストの十字架のみわざを信じることによって救われる」という福音の核心を語ってくださいました。父は、自分の愛情不足で家族を傷つけて来たことを自覚しており、それが心に落ちたのだと思います。残念ながら、受洗後、認知症が悪化して行きましたので、礼拝出席等はほとんどできませんでした。 “「正しすぎてはならないーLet it be」/ 高橋光市氏の信仰告白の証し” の続きを読む

神の平和(シャローム)を完成する救い主

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2018年クリスマス号より

信仰に導かれた二十歳過ぎのとき、僕にとっては、「いつも主にあって喜びなさい」(ピリピ4:4) というみことばがとっても新鮮でした。でも信仰生活が長くなるうちに、それが偽善のように思えてきました。このみことばをいくら思い起こしても、自分のぼやき癖がどうしても直らなかったからです。しかも、世界の悲惨を見て、そう簡単に喜んでいてはならないとも思えたからです。 “神の平和(シャローム)を完成する救い主” の続きを読む

神のかたちとしての再創造

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2018年イースター号より

人は自然の本性としては、死ぬべき動物と変わりはしません。ところが聖書では、神は人をご自身の「かたち」と「似姿」に創造されたと記されています (創世記1:26)。それは、私たち一人ひとりの存在が、この世界に神がどのような方であるかのイメージを現わすことができるほどに「高価で尊い」という意味です。なおその際、「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります」(ヘブル11:3) とあるように、神はご自身の「ことば」によって、一人ひとりをユニークなかけがえのない神の最高傑作として創造してくださいました。ですから、すべての人間は、「神のことば」である御子キリストの「かたち」と「似姿」に創造されているとも言えます。つまり、神の御子が私たちと同じ姿の人間となられたという以前に、私たち一人ひとりが、御子キリストに「似せて」、御子を現わす「かたち」に創造されているというのです。 “神のかたちとしての再創造” の続きを読む

宗教改革を超えて

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2018年冬号より

2017年10月31日には、宗教改革500年記念日が全世界中で祝われました。日本でもこの記念日に合わせて「聖書新改訳2017」が発刊されました。様々な方々から、「とても読みやすい日本語になった……」との、感謝の声が上げられています。ごくごく一部に過ぎませんが、翻訳改定の働きの端に加えていただいた者としては、何かほっとした感じを味わっています。 “宗教改革を超えて” の続きを読む