神の神殿として建てられる

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2021年クリスマス号より

昨年来の新型コロナ感染症蔓延によって私たちの交わりの持ち方が変えられています。たとえば、水曜日の朝の祈祷会は Zoom で開かれていますが、70代から90代のご高齢の方が毎週参加してくださり、互いの安否を気遣いながら、互いのためにお祈りしています。そこでいつも感心するのは、そのご高齢の方お一人おひとりが、様々な不自由さを抱えながら、身近な方々に寄り沿い、仕える働きをしておられるということです。

その他の当教会に集っておられる方々も、それぞれの置かれている場で、身近な方に寄り沿い、仕える働きをしておられます。この教会の交わりからキリストの愛が広がり続けています。それこそ、キリスト教会のあるべき姿です。

創造主はかつて契約の箱とともにイスラエルの民の真ん中に住んでくださいました。そのときパンが無ければ天から降り、水が無ければ岩から湧き出し、圧倒的な敵にも勝利することができました。そしてダビデ、ソロモンのとき、神はシオンの丘に立つエルサレム神殿をご自身の「住まい」とされました (詩篇132:12、13)。しかし、イスラエルの民が偶像礼拝に陥った時、神はその神殿を去ってしまわれました (エゼキエル10:18、19)。イスラエルの民は、世界的な大帝国の支配下で苦しみながら、「主 (ヤハウェ) の栄光」が、神の都エルサレムに戻って来ることを待ち望んでいました。

預言者イザヤは、「彼らは、主 (ヤハウェ) がシオンに戻られるのを目の当たりにする」と預言しましたが (52:8)、イエスのエルサレム入城こそ、その成就でした。

それにしても、イエスは当時の大きな神殿を指して、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」と、途方もないことを言われました (ヨハネ2:20)。

そして今、イエスの十字架と復活によって、新しい神殿が建てられています。それはユダヤ人と異邦人からなる新しい神の民の共同体です。使徒パウロは、混乱に満ちたコリント教会の信徒に向けて、「あなたがたは、自分たちが神の宮であり、神の御霊が自分たちのうちに住んでおられることを知らないのですか。もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたはその宮です」と記しました (Ⅰコリント3:16、17)。

私たちは今、世界中に広がる聖なる神の神殿をともに建てていますが、それを破壊する者は、神ご自身によって滅ぼされると厳しく警告されています。

パウロは同時に次のように記しています。「あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要(かなめ)の石です。このキリストにあって、建物全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の住まいとなるのです」(エペソ2:19–22) 。

私たち夫婦は、ドイツにいるときに一時寄留者としてフランクフルト自由福音教会の会員となりましたが、その入会申請書に「あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく……」と記されていたのが印象的でした。それで当教会の入会申請書にもそのみことばが記されています。

また「使徒たちや預言者たちという土台」とは聖書を信仰の土台とするという交わりです。「キリスト……が要の石」とは、詩篇118篇22、23節の「家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ」に由来し、救い主が当時の人々から捨てられながら、新しい神殿の礎石となるということの預言の成就です。

そしてイエスを主と告白する人はみな、この全世界的なキリストの教会の一部とされています。私たちの礼拝に集う人は、その聖徒の一部として、当立川福音自由教会を主の宮として整える働きに召されています。その働きに加わるのに、教会員であるかどうかは問われていません。

ただし、当教会は数年後には独立した宗教法人になる予定ですが、既に教会員はすべて教会総会議決で等しい議決権を持っています。そして当教会のすべてのことはこの総会で決められます。私たち福音自由教会はこの教会自治を何よりも重んじます。それゆえ、教会員になられる方には聖書理解や教会の歩みに関して最低限の共通理解を持つことが求められます。

教会を建てる働きにはどなたでも歓迎されますが、教会員になるには一定の手続きが必要になるというのが福音自由教会のあり方です。他の教会では洗礼と同時に教会員として受け入れられます。しかし、私たちの教会の場合は、一人ひとりの信仰の確信が問われています。

それにしても、目に見える地上の教会組織を重んじすぎることも、福音自由教会の理念とは反します。イエスを主と告白するすべての方々との、また他の正統的なキリスト教会との協力関係を軽んじて、自分たちの都合ばかりを優先するようなことがあってはなりません。私たちはともに全世界的な、目に見えないキリストの教会の一部とされて、ともに全世界的なキリストのからだとしての神殿を建てているということを決して忘れてはなりません。

かつて、主ご自身の住まいとして建てられたエルサレム神殿が、今は全世界の聖徒による愛の共同体となっているという神の救いのご計画を繰り返し思い起したいものです。そして、キリストにある交わりの豊かさをともに体験できれば幸いです。