株価最高値更新とルカ19章「ミナ」のたとえ

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2024年イースター号より

 私たちの教会が立川で礼拝を始めたのは、1989年10月、バブル経済の絶頂期でした。僕は10年間の証券会社勤務と3年間の神学校での学びを終えた後で、「自分が牧師になったら、すぐにでも教会が成長する……」という、愚かな自負心をもって働きを始めました。しかし、日経平均株価が1989年12月末に最高値をつけた直後、1990年には恐ろしいほどの暴落を始め、そのうち日本経済も長い低迷期に入りました。しかも、その後を辿るように、日本の多くのキリスト教会も低迷期に入ります。最近まで、2030年には日本最大の日本基督教団での75歳以上の信徒数が三分の二を占めるようになり、現在の教会の半分以上が維持できなくなるという危機感がささやかれていました。
 しかし、2024年3月4日(月)日経平均株価が、ついにバブル絶頂期の株価を完全に上回り、日経ダウ平均で4万円の大台に乗ったと、ニューストップで報じられました。何と、たった二カ月余りで2割近くも上昇したという史上空前の上昇率です。これには実体経済から乖離した上昇という見方があります。しかし、1989年12月のバブル期とは明らかに株価は割安な水準にとどまっているという見方が大勢を占めています。実際この間に、米国の株価は約15倍になり、ドイツの株価は9倍になっています。34年前の株価より下回っていた先進国は日本以外にはありません。
 株価収益率、株式配当利回り、株価純資産倍率などのすべての指標においての国際比較でも日本の株価水準は低く、バブル期とは比較にならなないほど現在の株価はなお低い水準であると言われております。短期間の急上昇の反動は当然、起こるでしょうが、長い低迷期をようやく抜けたという経済専門家の評価が大多数を占めるかと思います。
 これは、決して、牧師である僕が、株式投資の勧めをしているわけではありません。素人が手を出すのは危ない世界であることは、どうか心に留めてください。個人的に聞かれても、株の投資の仕方はお教えできません(笑)。お教えできるのは、その危なさと、専門家と言われる人がどれほど当てにならないかということぐらいです。

 しかし、株価が経済の先行指標であるというのは、今も昔も変わらない真理です。日本は最近までの約30年間余り、デフレ経済に悩んできました。物価が上がらないことは年金生活者などにとっては良い話であると言われますが、実際はそうではありません。年金の原資は、実際の勤労所得から生まれていますから、今までのように、実質所得がまったく上がらないような状況下では、破綻することが目に見えていました。ある程度の物価上昇と経済成長がなければ、みんなが少しずつでも所得の上昇が見込まれるという希望は生まれ得ません。
 つい最近までのデフレ経済下では、たとえば原油価格を中心とした様々な資源の輸入価格が上昇したとしても、各企業は、それを売上価格に転嫁することは、なかなかできませんでした。なぜなら、社会全体で、物価は上がらないという雰囲気があるときに、自分の会社だけ、販売価格をあげることはできないからです。
 そのしわ寄せが、実質賃金の下落となって表れていました。企業が一つの家族のような日本社会では、全従業員が会社を守るために、賃上げを諦めるということが長らく続いていました。内部留保が増えても、会社の将来への不安を全従業員が共有するというデフレ社会の雰囲気があり。賃上げが起こりにくかったという現実がありました。

 しかし、最近の全世界的な物価上昇の波の中で、みんなの気持ちが、「物価は上がる……」という雰囲気に変わってきています。すると各企業も実質賃金の上昇を可能にするような販売価格の引き上げができます。そして賃金の上昇は、消費の拡大につながり、それが企業業績の上昇と賃金上昇につながるという好循環になります。
 そして、そのように少しでも将来の所得の上昇に期待を持てるようになると、今度は、若干のリスクを取ってでも、新しい商取引の世界に足を踏み出そうという勇気が湧いてきます。
 聖書のルカの福音書19章には、取税人ザアカイの家でのイエスのたとえが掲載されています。ある人が、王位を受けるために長い旅に出かけるに当たって、自分のしもべたちに一ミナ(約50万円)ずつを預け、その人の商売の能力を測ったというものです。その中で、一ミナを短期間に十ミナに増やすことができた人には、十の町の支配を委ねられ、一ミナを五ミナに増やすことができた人には五つの町の支配を委ねられたという話です。
 一方で、「自分の主人は、いかなる失敗も赦さないけち臭い人間だ」と思っていたしもべは、預かったお金を布にくるんでしまいこんで、後に、厳しい叱責を受けることになります。ここではリスクを引き受けて商売をしようとしなかったことが、主人への信頼の欠如として、厳しいさばきを受ける理由になっているのです。つまり、聖書では、創造主への信頼を持っている人は、積極的に商売をする勇気を持つことができると描かれているとも言えましょう。
 しばしば、日本人は、このようなたとえで、「商売に失敗した人は、どうなったのでしょう……」と問います。それは具体的には書いていませんが、文脈からすると、失敗は間違いなく赦されます。 なぜなら、ここでは、お金をしまい込んだ人が、「主人を信頼できなかった人」として、その不信仰がさばかれるというのが中心命題だからです。
 この世界でも、自分の将来に少しでも期待を持てる人は冒険に乗り出すことができますが、失うことを恐れてばかりいる人は新しい歩みに踏み出すことができません。そのような冒険に対する躊躇を生み出すのがデフレ経済です。

 日本の34年ぶりの株価最高値更新は、そのような、デフレ経済からの明確な脱却経済の好循環の時代が始まったということへのシグナルと理解することができましょう。しかも、それに合わせるように、異常なほどの円安の傾向を利用した海外からの観光客が日本に急増しており、日本社会の雰囲気を外向きへと変えつつあります。
 そして、それはキリスト教世界にも良い影響を及ぼすと思われます。今まで、クリスチャンの人口比率が1%にも満たない少数派の世界には、多くの人が警戒心を持ち、未信者の方々が教会に足を踏み入れることには躊躇を覚えるという傾向が見られました。そして教会も、いろんなことに対して守りの姿勢に入りがちになっていました。

 しかし、社会全体が変わろうとしているという雰囲気は、多くの未信者の人が教会に一歩足を踏み入れようとするときの勇気を与えることにもなりましょう。実際、私たちの教会でもバブル経済の余韻が残っていた時代には、多くの未信者の人が教会に足を踏み入れていましたが、金融機関が破綻するような時代になると、不思議に、教会に足を踏み入れる方もぐっと減ってきました。
 新型コロナ感染恐怖からの解放も重なって、今その雰囲気が変わり始めるしるしが、来会者の動向にも少しずつ表れ始めているように感じます。株価の最高値更新は、日本経済にとっても、日本のキリスト教会にとっても好循環の時代の始まりのように思えます。