エペソ3章14〜21節「御父の愛が内なる人を再生させる」

2018年4月1日

母にとってこの私のうちには不思議な力が働いているように見えるようです。聖書はほとんど読みませんが、「お前のうちに働く神の力は分かる」と言ってくれます。ただしそれはこの私を社会的な成功者と見ているという意味では決してありません。 “エペソ3章14〜21節「御父の愛が内なる人を再生させる」” の続きを読む

エペソ3章1〜13節「キリストの奥義に生かされる」

2018年3月25日

生きるって、大変なことですよね。時々、めげそうになります。ときどき、「もう、やっていけない・・」と思うことがあるかもしれません。そして、ふと、「できたら、もっと気楽に生きてゆきたいな・・・」と思うことがあります。そんな中で、こんなことばが響いてきました。

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エペソ2章11〜22節「神の家族としての成長」

2018年2月25日

 初代教会の成長は、食事を共にする交わりの広がりとして描かれています。使徒ペテロは主の導きでローマの百人隊長コルネリウスの家で一緒に食事をしましたが、それが最初は仲間から非難されました(使徒11:2,3)。コリントの教会では貧しい信徒が豊かな人と同じ食事に預かるべきということから聖餐式の教えが記されます(Ⅰコリント11章)。ローマ人の手紙では、「野菜しか食べない人」を受け入れるようにと敢えて命じられていました(14:2,3)。

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エペソ2章1〜16節「私たちは神の作品(ポエム)です」

2018年1月21日

 多くの人の心の奥底に「変身願望」があると言われます。子供も「・・レンジャーに変身!」という物語に興味を惹かれます。それこそ、人が「信仰」に期待するものかもしれません。

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エペソ1章15節〜2章7節「私たちに与えられた救いとは」

2017年11月26日

会社勤めをしていた時、ついつい被害者意識で一杯になり、目の前の最低限の課題を果たすことしか見えなくなりがちでした。そんなとき上司から、「社長になったつもりで、もっと高い視点から自分の仕事を見なければならない」と言われました。実は、キリスト者として生きるとは、「イエス様だったら、どうされるでしょう(What would Jesus do?)」と問いかけながら生きることとも言えます。 “エペソ1章15節〜2章7節「私たちに与えられた救いとは」” の続きを読む

エペソ1章1〜14節「三位一体の神の愛に包まれたいのち」

2017年11月19日

私たちは父、御子、御霊の三位一体の神の愛に包まれて生きています。それを、「キリストのうちにある生活」と呼ぶことができます。

私たちは今、イエス・キリストの弟、妹として、その傍らに置いていただき、イエスの父なる神に向かって、「アバ、父」と呼びかけることが許されています。しかも、そのような祈りを起こしてくださるのは、私たちのうちに住んでくださっている「聖霊」ご自身です。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と告白することはできません」(Ⅰコリント12:3)と記されているからです。 “エペソ1章1〜14節「三位一体の神の愛に包まれたいのち」” の続きを読む

Ⅰペテロ2章22〜25節、エペソ2章19〜22節「キリストの愛にやすらぎ、いやされ、成長する」

2016年1月3日

昨年の紅白歌合戦を見ていて、不思議に心に残った歌がありました。西野カナさんの「トリセツ」です。 “Ⅰペテロ2章22〜25節、エペソ2章19〜22節「キリストの愛にやすらぎ、いやされ、成長する」” の続きを読む

エペソ2章1〜10節「聖書が語る救いとは?」

2015年7月5日

レイ・シドニー兄 証し&賛美

「天は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves)ということばは、古代ギリシャの有名な格言ですが、それがキリスト教会の中でも広まっています。これは、確かに一面の真理を表していますが、現実には、底なし沼のような「どん底」に追い込まれ、生きる気力さえ失っている人もいます。そんな人にとっては、「天は自ら助くるものを助く」というのは、強者の論理に聞こえることでしょう。 “エペソ2章1〜10節「聖書が語る救いとは?」” の続きを読む